第13話 終わりの見えない家計簿との本当の戦い
古い2DKの部屋での、新しい生活が始まった。
朝目が覚めて、狭い天井を見上げる。
前のマンションのような広さはないし、壁紙も少し汚れている。
でも、窓の外から聞こえる車の音も、となりに寝ている子供の寝息も、なぜか前よりずっと穏やかに感じられた。
借金の取り立てに追いかけられない朝が、こんなにも静かで平和なものだったなんて、俺はずっと忘れていた。
だが、穏やかな気持ちだけで生きていけるほど、現実はあまくない。
引っ越しの荷ほどきが落ち着いた夜、家族が寝静まったあとの狭い食卓で、俺はひとり、使い古したノートを開いた。
家計簿だ。
自己破産の手続きは、引っ越したからといって終わるわけじゃない。
むしろ、ここからが正念場だった。
机の上には、くしゃくしゃの買い物の紙切れ……いわゆるレシートの山がある。
数十円の安いもやし、値引きされた肉、トイレットペーパー。
その一つ一つの金額を、1円のズレも許されないように、ボールペンでノートに手書きしていく。
「これ……いつまで続くんだろうな?」
ため息をつきながら、山積みの買い物の控えを綺麗にのばす。
これを毎月、自分を助けてくれている弁護士のところに送らなければならない。
裁判所から選ばれた管財人という人間が、俺の生活に無駄遣いがないか、隠しているお金がないか、目を光らせているからだ。
引っ越しをして、借金の取り立てという地獄からは抜け出せた。
生活の場所も新しくなった。
でも、やらなければいけない「1円単位の記録」は何も変わらない。
自分の生活すべてを他人に管理され、報告しなきゃいけないこの地獄は、まだしばらく続く。
あと数ヶ月で免責が下りて終わるのか、それとも半年以上かかるのか、今の俺にはまったくわからない。
先の見えない暗いトンネルを、手探りで歩いているような息苦しさだった。
ノートに数字を書きこみながら、俺は奥歯をギリッと噛みしめた。
情けない。みじめだ。いい年をした大人が、何十円の買い物を証明するために、夜な夜な紙きれと格闘している。
でも、ふと横を見ると、ふすまの向こうで妻と子供たちが静かに眠っている。
その寝顔を見た瞬間、俺の中の迷いや弱音が、スッと消えていくのを感じた。
そうだ。俺は家を失い、信用を失った。
でも、一番守りたかった家族の命と笑顔だけは、なんとかこの狭い部屋に連れてくることができたんだ。
借金から逃げるための戦いは、もう終わった。
取り立ての恐怖に震える日々は二度とこない。
だけど、これから始まるのは、失った自分たちの生活をもう一度、自分の手で立て直すための戦いだ。
1円の重みを噛みしめ、自分の弱さと向き合い続ける、地味で、みじめで、泥くさい戦い。
これからは、本当の戦いだ。
命を絶とうか迷っているやつがいたら、よく聞いて欲しい。
死ぬことに比べたら、1円単位の記録をつけるみじめさなんて、どうってことない。
どんなに時間がかかっても、いつか必ず終わりはくる。
だから、死ぬ気で生きろ。
這いつくばってでも、この本当の戦いに挑んでみせろ。
俺も、この古い部屋から絶対に逃げないから。
続く




