第9話 他人が踏み込む我が家。「売れました」という名の死刑宣告
焼肉屋で束の間の喜びを噛み締めてから、5ヶ月が過ぎた。
住宅ローンと借金の支払いが止まったことで、確かに手元の現金は貯まり始めていた。
だが、俺たちの精神は限界に近づいていた。
任意売却の手続きが進み、俺たちのマンションは不動産市場に「売り出し中」として公開された。
それに伴い、休日のたびに「内覧」という名の地獄がやってくるようになったのだ。
「失礼しまーす。こちらがリビングになります。日当たりもいいですよ」
不動産屋に案内されて、見知らぬ夫婦が俺たちのマンションに入ってくる。
俺と由美は、リビングの隅のダイニングテーブルに座り、ただ息を潜めてやり過ごすしかなかった。
他人が俺たちの城を、ただの「中古物件」として値踏みしていく。
「あー、壁紙はちょっと汚れてますね」
「キッチンはこのままでも使えるけど、新しいシステムキッチンに入れ替えたいな」
無邪気で残酷な言葉が響くたび、由美が俯き、膝の上でギュッと拳を握りしめるのがわかった。
ここは、俺たちがローンを組んで買った家だ。
子供たちが壁に描いた落書きも、柱につけた身長の傷も、俺たち家族の生きた証だった。
だが、彼らにとってはただの「修繕が必要な汚れ」でしかない。
自分たちの生活が、思い出が、ただの商品として他人の目に晒される屈辱。
俺は奥歯を噛み締めながら、早く帰ってくれと心の中で叫び続けることしかできなかった。
そんな針のむしろのような週末を何度か繰り返した、ある日の夕方。
俺のスマホに、仲介を頼んでいる不動産屋から着信があった。
『高橋さん! 良いお知らせです! 買い手がつきましたよ!』
電話口の担当者は、弾むような明るい声でそう言った。
競売にかけられる前に、希望に近い価格で売れた。任意売却としては大成功だ。
担当者が喜ぶのも無理はない。
だが、その言葉を聞いた瞬間、俺の頭の中は真っ白になった。
「……売れたんですか」
『ええ! これからローンの債権者と配当の調整に入ります。引き渡しの時期が決まったらまた連絡しますが、急いで引っ越しの準備を進めてくださいね!』
電話を切り、俺はゆっくりとリビングを見渡した。
夕日が差し込む、見慣れた部屋。
由美がキッチンで夕飯の支度をしている音が聞こえる。
「売れた」ということは、この家賃ゼロの「ボーナスタイム」が終わるということだ。
次に住む場所を、すぐに見つけなければならない。
この家から、強制的に追い出される日が確定してしまったのだ。
「……健太、どうしたの?」
俺のただならぬ空気を察して、由美が不安そうな顔でキッチンから顔を出した。
「……売れたってさ」
俺のその一言で、リビングの空気が凍りついた。
もう、後戻りはできない。
俺たちは本当の意味で、この家を失うのだ。
続く




