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聖女落下。  作者: 鶴川紫野


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2


「ははっ、卑しい女の侍女は、やはり卑しいんだな」

 ファラは息を吐き出して目を閉じた。

(……ああ、この素直さは、本当に傀儡にはちょうど良いわよね)


 宰相家が王家の許しを得て好き放題していることは周知の事実だ。だが、王太子は、未だに宰相家が王族の意を汲み先んじて物事を動かしているだけだと思っているのだろう。


 ……もしかしてアリスもすでに寝取られているんじゃないかしら? そうでなくとも時間の問題よね、宰相家って王家のものを何でも欲しがるみたいだし。

 などと、とびきり下世話なことを考えて溜飲を下げていると、王太子は朗々と声を張り上げた。


「では、もしもマリーツィアが風審によって死んだ場合——アフェット公爵家に連なる者たちも、すべて処刑とする!」


「……え?」


 さすがにファラも目を見開いて、呆然と王太子を見上げた。

 視界の端ではマリーツィアが耳を塞ぎ、小さく蹲って震えている。

 その姿に満足したのか、王太子があからさまに嬉しそうになる。


 ファラは、マリーツィアの両親とファラの極刑は、免れないと思っていた。

 だがアフェット公爵は、まだマリーツィアの祖父だ。この国の世襲貴族の爵位は、基本的に生前移譲されない。対外的にアフェット公爵として振る舞っているマリーツィアの父は次期公爵であり、現公爵の名代である。


 そして、現アフェット公爵には、何人も弟がいる。歳の離れた末弟のその末の息子という、譲られる爵位もない庶民同然の暮らしをしている青年さえも、マリーツィアと同い年の従叔父に当たる。


 だが王太子は、きっと彼らをも含めるのだろう。


(……リーヴも、死ぬの?)


 考えてみれば、当然のことかも知れない。

 王家を騙しているのだから。

 だが、聖女制度は形骸化して久しいものと、ファラは思っていたのだ。


 ただ貴族令嬢の中で一番聖力の強い者を選んでいるだけ。

 初代聖女のように、常人と一線を画す聖力を持っているわけでもなく、王国の少女の中で一番と謳いながら、貧しい家の少女たちは調べられることもない、穴だらけの選抜方法で。


 今より三代前の王妃などは、明らかに他に格上の聖力持ちがいただろうと思われる力量の聖女で、ただ国王との仲は極めて良好で平和な治世だったと伝わっている。

 神の実在さえ不確かなこの国の聖女の地位を、ファラは正直なところ舐めていた。


 発覚すればマリーツィアとファラは処分されるにしても、実際の罪深さなどは、王太子が補習や落第を免れるために行われた点数操作と、そう変わらないとまで思っていたのだ。


 王太子とその影の宰相たちの裁量によって、罪は重くも軽くもなるものなのに。


「そんな……企んだのは私とお父様よ……お祖父様は関係ないわ……お祖父様の……」

 マリーツィアが何か呻いているが、公の場で王太子が宣言してしまったことだ。


 王は、もともと王太子のことを可愛がっていて、王太子よりは優秀な弟が頭角を現す前に立太子させたくらいだ。そして、アフェット公爵家の席が丸々空けばさらなる権力が手に入る貴族院の者たちも、喜んで承認するだろう。


(……事情をよく知らない者たちからしても、巨悪の公爵家が、次代の王と聖女に一網打尽にされるなんて、絶対に面白いイベントだもの。刑場は、盛り上がるでしょうね)


 そんなところでリーヴを殺させたくなかった。

 だが、マリーツィアの取り巻きであるファラは、リーヴにとっても加害者側だろうか。


(……もしマリーツィア様の取り巻きが私でなくとも、こうなっていたとは思うけれど……)


 それでもファラが実行していた以上、ファラに責任があるだろう。

 それにファラは、マリーツィアの手助けを頑張ってしまった。


 もっと早くに露見していれば、ここまで王太子とアリスの怒りを買わず、公爵家の末端の者までは咎められなかったかも知れない。


(……ごめんなさい、リーヴ。……どんなに謝っても足りないわね)


 ファラだって本当はわかっていたのだ。

 病気の弟を見捨てて、ファラが婿を取る道もあった。

 その婿に、平民だが血筋は良く、学業成績が優秀だったリーヴを選ぶこともできたはずだ。


 だがファラは、病気で衰弱した母親に託された、小さな弟の手を離せなかった。

 悲しそうな顔をした弟に、僕はもう十分に生きたよと何度言われてもだ。


 自分の大切な物を守るためであっても、他人を害してはならない。

 頭の中ではわかっている。だけど存在しない神はどんなに祈っても助けてくれないが、莫大な見返りを用意すれば他人は助けてくれる。だからファラが上手くやれば、弟も家も助かるはずだったのだ。


「連れて行け」


 王太子の号令で、衛兵たちに引き立てられる。


「い、いやっ! ファラ、命令よ、私を助けなさい! 助けて!」


(……それでマリーツィア様がリーヴを助けられるなら、喜んで従いますけれど)


 今まで何度となく受け入れてきた命令を、ファラは微笑んで受け流した。

 もうファラとマリーツィアの死は確定したのだ。足掻きようがないではないか。

 まして弟が亡くなってしまった今、ファラにマリーツィアを助ける義理はない。


 ファラは狂乱するマリーツィアを横目に、肩をすくめて両手首を前に差し出した。

 一応、ファラとてまだ子爵令嬢なのだ。おとなしくしていれば、かろうじて罪人でもか弱い少女として扱ってもらえる。


 ……今となっては、ファラが何をして金を受け取っていたのか、弟に知られなくて済んだことが、せめてもの救いだった。


 外から鍵を掛けられる窓の無い馬車に乗せられて、ファラは、深くため息をついた。

 マリーツィアもようやく暴れる気力を無くしたらしく、静かに項垂れている。


 不自由な手で胸元を緩めて、細い鎖を引く。その先端には、小さな赤の宝石が、ささやかな花を模した華奢な台座の中央に留められている。

「……虫の知らせというものかしら?」

 このほんの小さくて何よりも贅沢な装飾品を、普段のファラならば、喪服姿で身に着けることはしなかったはずだ。


 だが、今朝は隠し持っていたい気分だった。

 そろそろ断罪劇から逃れられないだろうという予感はあったことと、ただただ弟の死が悲しくて、何かに縋りたくなっていたせいだろう。


 そうしてリーヴから貰ったネックレスを取り出して、こんなに可愛らしい物は似合わないと思っていたのに、なんとなく付けてみて、鏡を見たら、しっくりと似合っているような気がしたから。

 だから、今日だけ着けてきた。

 ……もうすぐ、喪服ごと取り上げられるだろう。

 処刑される罪人には、相応の服装があるのだから。


「……マリーツィア様。こちらを引っ張ってくださいますか? 引き千切りたいのです」

 マリーツィアは明らかに戸惑ったようだが、もう迷惑がる気力もないのか、この期に及んでファラが妙案を思いついたことを期待したのか、素直に手伝ってくれた。


 貴族令嬢の首元を飾るための華奢な鎖は、少し力を込めれば呆気なく千切れた。

 ファラは鎖から先端の宝石を取り外した。

 そして、それを、そっと口に含んだ。

 少し気合いを入れて——ごくりと嚥下する。


「……っ……」

 固く、ファラの喉には大きなそれは、ファラの胸を詰まらせながら、身体の中に落ちていった。


「……っ……はぁ……っ」

 それでも、これだけは、自分の物のまま、誰にも取り上げられたくなかった。


 不自由な手で、華奢な鎖を今度は自分一人で引き千切って、喉に引っ掛からないように何度か結んで小さく丸めて、いくつかの玉を作り、それらも飲み込んでいく。


 あとは、これが体外に排出されるよりも先に、処刑の時間がくることを祈るだけだ。ファラはリーヴのことが好きだったが、ファラが金のために切り売りした人生に、リーヴと過ごした時間はなかった。だから、どんな形であれ、これくらいは最期まで持っていたかった。


「……あは」

 ……別に後悔はしていない。

 偽の聖女マリーツィアを手助けすることで、弟の寿命は伸びた。

 そのために本物の聖女を、ファラが害したのは事実だ。

 ファラは弟に、家のためにお荷物にならずに死んでほしいと告げたことはなかった。そんなことは出来なかった。


 だがこの国は、弟をあっさりと見殺しにした。

 そして明日には、マリーツィアの一族の中でも弱い立場にあり、言いなりになるしかなかった者たちも殺す。


 ……自分や仲間が生き残るために他人を害してはならない。

 それはそうだろう。ならこの国は滅ぶべきだ。そうやって他国を略奪して大きく育ったのだから。

 それをこの目と耳で確かめたのだから、もうこの国で生きたいとも思わない。


「……あなた、気が狂ったの?」

 気づけばマリーツィアが、驚いたように、奇行に走ったファラを見つめていた。


「はい、ずっと以前から。……でも、このネックレスは去年、リーヴが私の誕生日にくれた物だったんです。だから、死に場所まで持っていこうと思って」

「そう。……リーヴって、あの平民の子よね」

「ご存知だったのですね」

「記憶力は悪くないのよ。……殿下には、気味悪がられてしまったけれど……」


 王太子が自分の趣味嗜好を口にすれば、マリーツィアが覚えてその後に活かそうとした。そして、自分が口にしたことを忘れた殿下が、マリーツィアをストーカー扱いしたことも一度や二度ではない。


「リーヴは男気も甲斐性もないみたいだけど、貴女のことはかなり好きだったみたいね」

「そうでしょう。私も先程まで、ここまでリーヴのことが大好きだったなんて思いませんでした。だって私、ずっと別の人に嫁ぐつもりだったんですよ?」


 初めて、マリーツィアの前だというのに、視界が滲んでしまった。

 ファラには、踏み出す勇気も理由もなかった。リーヴのことは最初から諦めるしかない恋だった。だから、自分が選んだ道の後悔は、自分で受け止めなければならない。

 たった一つしかない選択肢を仕方なく掴んだだけのつもりでも、それは誰のせいにもできないファラの選択だ。


 だけど、悲しいものは悲しいのだ。


「……今更気づいたわ。恋って、ずいぶんと頭がおかしくなるのね」

「……そのようですね……」

 ファラも、リーヴも。そして王太子に幼い恋をして諦められなかったマリーツィアも、今更になって遅い初恋に身を焦がしている王太子もだ。

 だったらもう、心から全部燃えて終わってしまえばいい。



 翌日は、嫌になるほどの快晴だった。


「ひっ……!」

 明るい陽射しに照らされて、塔の上まで引き摺られてきたマリーツィアは、せっかくの綺麗だった髪を振り乱して泣き叫んだ。


「いや、嫌よ……っ! こんな高さから落ちるなんて、いやぁ……っ! 死んじゃうに決まっているじゃないっ……!」

 その肩と頭を乱暴に押さえつけた断罪者たちが、態とらしくマリーツィアに下を向かせる。

 ファラは、仕えた主の無様な末路を見届けたあとに首を落とされる予定で、一緒に塔の上まで登らされていた。


 わざわざ塔の上までついてきた王太子は、仮にも婚約者であったマリーツィアの姿を見て、ニヤニヤと嘲笑った。


「では、罪を認めるのだな、マリーツィア」

「あ……あ、ぁ」

 その言葉に、マリーツィアは縋るように反応した。認めても許すなんて言っていないのに。


「……み、みとめ」

「私が!」

 思わずファラは叫んだ。塔の上から落ちれば、誰でも死ぬ。仮に聖女でも。


「……私が、マリーツィア様の代理人を務めます」

 だから、マリーツィアはわざわざ改まって罪を認める必要などなかった。惨めに泣いて後悔する罪人として身も心も落とされるよりは、一方的に断罪された者として殺されるほうが、ほんの少しだけマシだ。主にファラのなけなしの矜持が。


「……ですので、私が死んだ場合は、マリーツィア様は通常の処刑法を」

 とはいえ、あまりにも馬鹿なことを言った。マリーツィアを庇って、自分が酷い死に方をする必要なんてなかった。ファラは自分にも腹立たしく思いながら、王太子を睨んだ。


「いいや、聖女を騙ったのは、マリーツィアだ。マリーツィアが落ちるべきだ」

「もしも聖女に仕える者が、聖女のために風審に向かうのであれば、神もお助けくださるはずでしょう? 私が行います」

 ファラは、王太子への無礼など気にせず答えた。


「それに、神明裁判は見せ物ではありません。殿下が宮中で何一つ勝てなかったマリーツィア様を、塔から突き落としたくて仕方ないことは、誰もがわかっておりますが」

 なるべく堂々と、口にしたつもりだった。けれどファラの声もやっぱり震えていた。


「き……貴様も落とされたいのか!」

「はい。ありがとうございます。では私がマリーツィアの代理人を務めます。代理人の意味はご存知ですよね? 二度と神を試そうなどと考えないことです」

 簡単に激昂してくれた王太子を侮蔑して、ファラはさっさと塔の窓辺に近づいた。


「ファラ……? どうして……」

 マリーツィアが驚いたようにファラを見つめる。まるで、今までのファラからはまったく忠誠心を感じていなかったかのような反応だ。それは正しい。


 ……マリーツィアが落とされて、歓声が上がっていろいろ整うのを待って、下手な処刑人に何度も首を叩かれる。それよりは、さっさと自分で落ちたほうが早くて楽で、ほんの少しだけ自由そうな気もしていた。


 とはいえ、強がれたのは、ほんの数秒だった。

(……うん。ごめんなさい、ちょっと……怖いわね)


 わざわざ飛び降りやすいように置かれた二段の踏み台に、ファラは足を掛けた。


 途端に、鮮明な怒声が聞こえた。

 視界に入る誰もが、マリーツィアの——代わりのファラの死を望んでいた。

 それでも弟は、間違いなくファラよりも長時間苦しんでから死んだのだ。

 そう思えば、落ちるだけの、一秒か二秒くらいは、我慢しなくては。

 などと取り繕ったところで、ただ後ろから押されたくないだけの一心で、ファラは竦む足を叱咤して、のろのろと階段に両足を乗せた。


(……怖い……)


 けれど、二段に両足を乗せた途端、ファラの耳に届く音が、静かになっていった。

 ——まさか、少女が塔から落ちて死ぬ姿を、今更になって皆が恐れはじめたのだろうか?


(……違う)


 ファラに聞こえる周囲の音が、ぼんやりと遠くなっているのだ。


 見下ろした観衆は、むしろ祭りのように浮足立っているようだった。いよいよ期待が最高潮といったところだろう。


 それでもファラは、もう悲しくなかった。国中のファラの人生の敵全員が、もうどうでも良かった。


(……なんだろう。お腹の中が、温かい)


 昨日の昼食以降、食事をしていないのに。

 そう考えてから、ようやく思い至る。


(……ああ、これは……そうか。リーヴね)


 捕らえられて飲み込んだネックレスの宝石に、リーヴはあらかじめ加護を付与してくれていたのだろう。


 ファラが悲しい気持ちにならないように——とか。そういう類いの、どこにも逃げられないファラのための、ふんわりと優しい微睡みの魔法を。

 胃を満たすような温かさは、やがて徐々に範囲を広げ始めた。


「……ごめんね。大好きだったの」

 二段に、両足を乗せる。

 カーテンを閉めた建物の窓の隙間から、アリスらしき顔が覗いているのが見えた。

 それも、もうどうでもよかった。

 塔の窓辺に足を掛ける。

 続けて、ファラは窓辺に立った。

 まるで自分の存在が空に溶けるような心地になった。


(……あ。……今日の空、綺麗ね。リーヴの瞳みたい)


 柔らかな温もりが、全身を満たし、心臓に、絡みつく。

 ファラはゆっくりと目を閉じた。


 力を失った足が、身体を支えられなくなって、ふっと重力に引かれる。


 最期にリーヴの魔法を感じられて、ファラはけっこう満足だった。

 



▶▶ ▶▶ ▶▶


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