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(……まあ、こうなるわよね)
ファラは諦めた気持ちでこの場を眺めていた。
壇上には、この国の王太子と、彼にエスコートされた本物の聖女アリス。
そこから見下されているのは、聖女を騙った悪女マリーツィア。
そしてその後ろに立つ、取り巻きとしてマリーツィアに十年以上従っていた、ファラだ。
「マリーツィア! お前の化けの皮はすべて剥がれた! 貴様は聖女などではない……聖女を騙った罪人だ!」
王太子が高らかに宣言する。
アフェット公爵令嬢マリーツィアは十年間、確かに聖女を騙っていた。
それをファラはよく知っていた。
周囲はざわめく。まさか王太子やその未来の伴侶となるはずの公爵令嬢たちの学園卒業を祝う夜会で、そんな事実を明かされるとは思っていなかったことだろう。
けれどファラは、王太子がマリーツィアよりも、二番目に聖力が高い子爵令嬢アリスを気にしはじめた時点で、嫌な予感はしていたのだ。
(……アリス様は、聖女だと判明する前から、誰がどう見ても王太子殿下の特別な御方だったものね)
在学中から堂々と未来の愛人を囲う王太子の良さなんて、ファラにはわからなかった。
だが、マリーツィアは嫉妬と動揺で狂ってしまった。
彼女を抑えるのは、彼女より身分の低いファラには荷が重かった。
元よりマリーツィアが聖女を騙った動機は、あまりにも単純なものだ。
先代聖女である王太后の崩御に伴い、現王太子は必ず新たに現れる聖女を見つけ出し、伴侶に迎える必要があったから。
(……あるいは、先代聖女が早世されなければ、王家との婚姻が数代空いているアフェット公爵家のマリーツィア様は、一人勝ちだったかも知れないけれど)
だが、魔力が多くないマリーツィアは、公爵令嬢であっても、聖女にはなれなかった。
だからマリーツィアは、恋のために過ちを犯し続けていたのだ。ファラを巻き込んで。
「そんな……ですが、わ、私は、貴方の婚約者として今まで……」
「そんなものは当然破棄するに決まっているだろう」
この期に及んで憐れな声を上げるマリーツィアは、それでも依然としてこの場の誰よりも美しい。
しかし王太子は、長年王太子妃となるべく研鑽していたマリーツィアを、冷たく見下げた。
「私の伴侶となるべきは、本物の聖女であるアリスのみ。罪人のお前が、おこがましくも私に近づこうなどと思うな」
(……ええ、殿下からすればそうでしょうとも。なにせマリーツィア様が聖女だと思われていた頃から、殿下は伴侶となるはずのマリーツィア様を遠ざけていたくらいだもの)
などと、ファラがそう思ったところで、もう悪事を暴かれた者の負け惜しみにしかならない。
——聖女。それは、この国を守護する聖霊神の寵愛を受けた乙女のことだ。
聖女が天寿を全うすると、この国の身元の確かな娘は、聖堂にて身に宿る聖力を測定する。
聖力とは、聖霊神に与えられた力のことだ。その力が強いほど、神に愛されており、神への祈りが届きやすいとされる。
そして一番聖力が強い少女が、新たな聖女としてその身を守るために国王または王太子に嫁ぎ、王妃となるのだ。聖女が存命のあいだは、貴族令嬢から妻を娶り、そして聖女が死ねば新たな聖女を探す。
だからマリーツィアは、王太子と結婚したくて、聖女になることを望んだ。
マリーツィアの父である公爵も、ぽっと出の下位貴族の娘などを王妃に戴く可能性よりも、恋に溺れた愛娘の栄華を望んだ。
だからマリーツィアとその両親は、困窮したファラの実家を助けることを条件に、ファラを利用した。
幸か不幸か、マリーツィアもファラも、平均よりは聖力があった。
そのため元は医療のために開発されたという特殊な法具で、ファラの聖力をマリーツィアに譲渡しさえすれば、マリーツィアの聖力は一時的に国一番となれたのだ。
だが当のマリーツィアは、恋心だけで大それたことをしでかすわりに、その嘘を常に貫き通すには小心者だった。
だから、二番目の——本来ならば一番聖力の高かったアリスが王太子に近づくのを見て、彼女を虐めた。
そのせいで王太子の心はさらにマリーツィアから離れ、アリスを庇うようになった。
道化のように一人でずるずると泥沼に嵌っていくマリーツィアを、ファラはずっと見ていた。共犯者として。
「……ああ、マリーツィア。お前は、本物の聖女アリスを殺害しようとしただけでなく、聖女を騙り、王家をも欺いていたのだな。非常に残念だ」
騙され続け、本来の王太子妃を害されていた王太子の怒りは、正当なものだろう。
たとえ王太子が、常にマリーツィアよりも勉学で劣っており、逆恨みのように、今まで聖女の地位にいたはずのマリーツィアへは、今のアリスに対してのようなエスコートをしたことがなかったとしてもだ。
マリーツィアが身分を笠に着て子爵令嬢を虐めたように、王太子が当時は聖女で婚約者だった公爵令嬢を堂々と蔑ろにしていたとしても——そう、悪いのはマリーツィアだ。
(……そもそもマリーツィア様は、幼い頃から勉強ばかりの箱入り娘で、男性への免疫がなさ過ぎたのよ。だからあんな顔が良いだけの王太子殿下に引っ掛かるのよ……)
とはいえ普通ならば、その後の態度で、夢から覚めるだろう。
だが、マリーツィアは、嘘を付いているという引け目があるせいで、王太子殿下から辛く当たられることを、受け入れてしまっていたのだ。
ファラは、一応身内側であるマリーツィアを贔屓目に考えつつ、ぼんやりと王太子の話を聞き流していた。
——バレたら殺される。
もう十年近く、ファラはそう思いながら、マリーツィアの取り巻きをしていたのだ。
それが確定して緊張の糸がふつりと切れたファラは、もはや今後のことなどどうでも良くなっていた。
「ねえ、ファラ」
「……はい。なんでしょう、アリス様?」
しかしアリスに呼び掛けられ、ファラは仕方なく反応した。
今さらファラからアリスと話すことは何もない。
貧乏子爵の娘であるファラは、一切の減刑なくマリーツィアの幇助犯として極刑を宣告されるに決まっているのだから。
「どうして……マリーツィアに加担していたの? 貴女は、優しい人だったのに」
案の定のくだらない問いに、ファラは眉を下げた。
——死の淵で必死に留まる弟の病気を治したい、と。
マリーツィアの所業をたびたび代わりに謝りに行って、引き止められて付き合わされた茶会で、なぜマリーツィアに従っているのかと、アリスには何度も聞かれた。正直に答えたことも、今までに何度もあった。
(……お気に召すような楽しい話じゃなかったからって、毎回すぐに忘れていて、私も驚いたわよ。私だって、あわよくば未来の寵姫の力で、王太子に取り計らってもらおうと思ったこともあるのに)
王家が平民人気を得るために行った度重なる政策で、近年貴族は何度か特権を削られていた。そのため領地を持たない下位の宮廷貴族は、元より困窮していたのだ。
それでも貴族が神官の治療を受けるためには、相応の寄付を行う義務があった。
ファラの家には、弟の根治治療を望めるだけの金がなかった。けれど、すでにそれなりの要職についていた父が、爵位を返上することは許されなかった。——給料が良いわけでもなく、拘束時間も長い煩雑な仕事を務められる人材が、他にいなかったからだ。
そのため、ただ現状を維持するための治癒だけでも膨らむ借金を、マリーツィアの父親に肩代わりしてもらうしかなかった。
ファラは、弟を産んで亡くなった母と同じ病気で苦しむ弟を助けたかった。だから、大金を稼げるならば何でもすることに決めたのだ。
マリーツィアがファラの力を使って聖女ごっこをして、ほんの少しでも優先的に弟の苦痛を取り除く薬を融通してくれるのならば、願ってもないことだった。
ファラは学園の卒業後は、三十歳上の裕福な伯爵の後妻に入るつもりだった。もちろんマリーツィアの父親の紹介だ。
そしてマリーツィアの侍女として王宮に上がり、マリーツィアの付属品として一生を終えるつもりだった。
ファラは、マリーツィアとアフェット公爵に加担する以外に、大事なものを守る方法を見つけ出せなかったのだ。
(……ファラってば可哀想! なんてケーキを食べながら言って、直後に王太子からの贈り物を自慢してきたアリス様には、遠い世界の滑稽な話だったでしょうけれど)
短い人生の回想を終えたファラは、にっこりとアリスに向かって微笑んだ。
「お金が欲しかったのです」
「そんな……でもっ、マリーツィア様に虐められていた私に、ファラは優しくしてくれたわ。それは嘘ではないでしょう?」
「……ええ。私は、アリス様とマリーツィア様の双方に優しくしましたわ。そしてアリス様よりもマリーツィア様のほうが、私に優しさを返して下さいましたので、最後までマリーツィア様に従うことに致しました」
マリーツィアが、驚いたようにファラを振り返る。
日頃から、ファラに無茶振りばかりしていた自覚はあるのだろう。
ファラは苦笑して、自分の胸元に触れた。
黒いリボンにパールをあしらったブローチは、この国では祝いの場でも付けることを許される、女性用の喪の印だ。
それを見て、弔意を述べてくれたのは、マリーツィアと、マリーツィアの友人と、ファラ個人のごく僅かな友人たちと、顔見知りが数人だけだ。
派閥を考えれば当然かも知れないが、壇上の二人ではない。
「……そんな……だって、私は子爵家で……マリーツィア様のお家ほどの資産は……」
うろたえるアリスの側で、王太子が一蹴する。
「金が理由とは、卑しい女だ」
「そのようですね」
ファラはただ頷いた。
(貴方を金づるにしているアリス様への罵倒かしらね?)
それと、国民を自分の女に貢ぐための金づるにしないで欲しい。
思うことはいくらでもあったが、わざわざ内心を晒す理由もなかった。
——だって、もう弟は死んでしまったのだから。
そしてファラ自身、恨みごとばかり抱えながら生きるのにも、疲れてしまった。
弟の唐突な発作はいつものことだ。けれど、いま思えば告発の準備をされていたのであろうマリーツィアとファラは、ここ数週間、王都から離れた聖堂病院に送られて、そこで患者たちの治療に当たっていた。
代わりに父が呼んだはずの王都の神官は、王太子が強行させた新たな聖女の認定式で忙しいと、丸一日訪れなかったそうだ。
そのあいだに、弟は苦しみ続けて、心臓が止まってしまった。
けれどそんな罪人の家族の悲劇など、幸せな彼らには関係ない。
(……死んだらまたあの子やお母様にも会えるのかしら? お父様も私と一緒に逝くだろうし、そっちのほうが幸せかも……なんて、私はそもそも神様を信じていないけれど。……もしもいるなら、死後より過去をさっさと救ってほしかったものね)
「アリス。聞いただろう。そんな守銭奴に君が心を痛める必要はない」
「……はい。ありがとうございました」
王太子の声に、本物の聖女は淑やかに同意する。
アリスが引き下がるのを見て、王太子は、やや芝居がかった仕草で言った。
「マリーツィア。アリスを害したお前など、私がこの場で切り捨ててしまいたいくらいだが……慈悲深いアリスは、お前には神明裁判を受ける権利があると申し出てくれた」
その言葉に、黙って青ざめていたマリーツィアの表情が凍りつく。
ファラもさすがに眉をひそめて王太子を見上げた。
神明裁判は、名の通り、神意を明らかにする裁判だ。
古代から記録されている方法だが、今ではほとんど行われることはない。
理由は簡単。
非合理的だからだ。
神意など、人間の都合で推し量れるものではない。
神話時代以降、神が単なる人間のためにわざわざ奇跡を起こしてくれたことなどないのだ。
(……というか、もう神の存在を信じるような時代ではないのよ)
そもそもファラは、聖霊神も聖女も実在していないものと思っている。
だからこそ、マリーツィアが何年も聖女を騙ることができたのだとも。
本当にアリスが聖女として聖霊神に愛されているのであれば、アリスが何年もマリーツィアに虐められているはずがない。
そしてあまり頭の良くない王太子に助け出されるのを待たずとも、マリーツィアが聖女を騙った直後から、マリーツィアに聖霊神による神罰が下っているはずである。
ファラは苛立ってアリスを睨んだ。
ファラの表情だけでなく、聴衆の中にも呆れた顔をした者がいたのか、アリスが言い訳がましく付け加える。
「……あ、その……マリーツィア様にも、聖霊神の加護があるならば……あの、神様も守ってくださるかも、と……」
(……やっぱり嘘は堂々と吐くべきね)
どうせアリスも、ファラと同様に、聖霊神の加護など本心から信じてはいないのだろう。
神が平等に人を裁いてくださるならば、人間の裁判員は必要ないのだ。
それどころか人間の作った規律も必要ないのである。
——罪を犯す前に、罪を訴えられる前に、どうして神が事前に止めてくださらないのか?
だから神明裁判は成立しないのだ。
少なくともこの国においては、もう百年ほど前にそう結論づけられていたはずだった。
(……そして神様が逐一出張ってくださるなら、国王という統治者も必要ないわね)
神から統治を任された王の跡継ぎである王太子が、人間だけで判決を出さずに神判に結果を委ねるなど、ファラとしては愚行に思えてならなかった。マリーツィアを落とすことで、アリスの正当性を高めたいとしてもだ。
「神明裁判の内容は、風審とする」
場の空気を読めない王太子が得意げに宣言する。
周囲からはいくつか呆れたため息が聞こえたが、当事者であるマリーツィアは、いよいよ立っていられずその場に崩れ落ちた。
風審は、この国独自の神明裁判だ。
この国の守護神である聖霊神は、蝶の姿を持つという。
だから裁判方法も、風に尋ねるものとなった。
内容は実に単純なもので、被告人が王都で一際高い聖堂の鐘楼から飛び降りて——あるいは突き落として、奇跡的に無傷であれば、無罪。
死ねば、聖霊神は助けてくださらなかった罪人として、罪を風が雪ぐまでという名目で、ずっと砕けた遺体を晒される。
塔に上げられ、落下し、死後には虫や鳥に喰われて腐敗した血肉と骨を晒す被告人の姿は、長く王都中の人々に見物されるだろう。
高位貴族の少女には耐え難い屈辱だ。いや、マリーツィアはまだそこまで気が回っていないかも知れない。そもそも衆目の前で、塔から突き落とされるのだ。その時点で怖くて恥ずかしくて悲しいに決まっている。
まず体面もなく泣き叫ぶであろうマリーツィアを想像して、ファラは内心舌打ちした。
「……ではアリス様も、塔から飛び降りられるのですね?」
罪人でもマリーツィアは高位貴族なのだから、さっくり断頭台にでも送ってやればいいものを、という嫌味を吐き出す代わりに、そううそぶいてみる。
「なぜアリスが罪人と同じことをしなければならないんだ!」
王太子が目を剥いて怒鳴る。
「マリーツィア様が塔から飛び降りても、聖霊神の奇跡が起きないことが、マリーツィア様が聖女でないことの証明となるのでしょう? ではその前に、聖女であるアリス様ならば聖霊神の加護によって助かることを証明されるべきです」
「そんな、酷い……!」
間髪入れずに悲鳴を上げるアリスを、王太子が庇うように抱きしめる。
やっぱり酷い行為だという認識はあるのね、と、ファラは呆れた。
しかし、王太子とアリスの後ろに控えていた宰相の息子が口を挟む。
「アリス様は罪を犯していないのだから、神判を受ける必要はないでしょう」
「……残念です。本物の聖女であるアリス様の奇跡、ぜひ私も貴方がたに殺される前に、一度見てみたかったのですが」
どうにかマリーツィアを風審ではなく普通の処刑にさせたかったが、ファラの手腕では無理だったようだ。
諦めて引き下がるファラに、王太子は勝ち誇ったように笑う。




