練習相手
やばいやばい。これは本当にやばい。
待っているだけで、心臓がすでに早鐘のようにバクバクと暴れている。これ以上何かされたら、破壊力に耐えきれず、鼻血でも出してしまうんじゃないだろうか。
(……ドラキュラに血はつきものだけど、ここで鼻血を出すのは絶対にだめだろ!)
心の中で必死にツッコミを入れながら、俺は少しでも鼓動を静めようと、何度も深呼吸を繰り返した。幸い、フロアの照明は落としてある。薄暗がりのおかげで、顔が真っ赤になっているのは目立たないはずだ。
そこへ、リッジウェイさんが、エプロンを脱いで、俺が作ったドラキュラのマントを羽織って現れた。
――完璧だった。
ゆらゆら揺れるLEDキャンドルの妖しい光に照らされて、マントのスパンコールと繊細なレースが、きらきらと輝いている。漆黒のベルベットの上質な光沢が、リッジウェイさんの浮世離れした美しさを、これ以上ないほど引き立てていた。
立ち襟の裏地の深いワインレッドが、磁器のように白い肌を際立たせ、そこに、夕暮れの空みたいな青い瞳が重なる。息をのむほど、きれいなコントラストだ。
「ひとまず、これで練習してみようか」
「は、はい……!」
ドラキュラの城と化した『ローズ&クラウン』。俺は今、その恐ろしくも魅力的な城に招かれた、無力な客だった。
「さっき、AIにどんなファンサービスが喜ばれるか聞いてみたんだよ。それを一通りやってみるね」
「は、はい……!?」
(えっ、AI!? )
俺の困惑をよそに、リッジウェイさんは黒いマントを優雅に翻すと、俺の目の前に、すっと細くしなやかな手を差し出して、柔らかく微笑んだ。
「――お嬢様、ようこそ我が城へ」
(……うわ、本物だ!)
あまりの絵になりぶりに、心の声が思わず漏れそうになる。俺は、差し出された手の上に、恐る恐る自分の手を重ねた。
「どうぞ、こちらへ」
洗練された動作で、そのままテーブルまでエスコートされる。
(なんだ、すごく紳士的で上品なファンサだ……よかった……)
胸を撫で下ろしたのも束の間だった。椅子を引いてもらって腰掛け、ちらりと後ろを振り返ると、リッジウェイさんが、何かを思い詰めたような表情で、ぴたりと固まっていた。
「え……?」
直後、リッジウェイさんが、真剣そのものの瞳で、俺のすぐ目の前へ、大きく一歩踏み込んできた。
「ひっ……!」
ぐっと顔が近づく。芸術品のように整った顔立ちが、目の前に迫る。あまりの至近距離に、脳の処理が追いつかず、俺は反射的に、首を真横へスライドさせて回避した。
「――逃がしませんよ」
低く静かな声で囁かれると同時に、肩にすっと手が添えられて、ぐっと力強く引き寄せられる。
(あわわわわわ……!!)
声にならない悲鳴が、頭の中を駆け巡る。首筋に、リッジウェイさんの温かい吐息が、かすかにかかった。
(や、やられる……! 噛まれる……!)
本気で覚悟を決めた、その瞬間。リッジウェイさんは、ふっと身体を離して、困ったように照れ笑いを浮かべた。
「……首筋に噛みつくフリ、こんな感じかな? もっと近い方がいいのかな?」
「い、いえ! もう十分です! 十分すぎます!」
一体どのAIに聞いたんだ。あの真面目な紳士に、何を吹き込んだんだ。問い詰めたい。
というか、最後の無自覚な照れ笑いのギャップで、俺の心臓は、完全に撃沈された。まさか、これすら計算なんだろうか。
「石野君も、練習してみる?」
「ギャッ……!?」
不意を突かれて、変な声が出た。
「む、無理です! 俺にこんなファンサは、十年早いです!」
「そう? 似合うと思うけどな」
「無理です!」
第一、リッジウェイさん相手に、そんなファンサの練習なんてできるわけがない。
俺は心の中で、固く誓った。ハロウィン本番は、このとんでもない魅力のイケメンドラキュラたちを、全力で支える優秀なアシスタントに徹しよう、と。




