文化祭最終日
恋するティールーム 秋編 最終話
あれからというもの、リッジウェイさんのあのおまじないが、ショート動画をループ再生するかのように俺の頭の中をぐるぐると駆け巡っていた。一緒に保冷バッグを運んでくれているクラスメイトの会話もまるで頭に入ってこず、上の空のまま、いつの間にか学校に着いていた。
キッチンスペースで燕尾服に袖を通すと、パチッと自分の中のスイッチが入った。
文化祭最終日。
今日でこのカフェも最後なんだ。
ありがたいことに、開店から順調にお客さんが足を運んでくれている。メイド役の女子たちはすっかり接客に慣れ、男たちもキッチンでの作業をスムーズにこなせるようになっていた。
俺が大きなポットで紅茶を淹れていると、隣に立った鈴木が声を潜めて切り出してきた。
「あのさ……昨日の夜、母ちゃんから聞いたんだけど、宮崎と他校の生徒との間にトラブルがあったんだって?」
「あー……そうなんだよ。かなり不躾な奴らでさ」
「で、お前がそいつらから宮崎を守ったって、母ちゃんめちゃくちゃ褒めてたぞ」
「そんな大げさなことじゃねーよ」
「いやー……俺だったら頭に血が上って、その場で殴り倒してたかもしんないからさ。お前でよかったわ」
「おいおい、そんなことしたら即営業停止だろ。ほんと俺でよかったな」
俺たちは顔を見合わせて、苦笑いを交わした。
その時、廊下から「お父さん、ここよ!湊のカフェはここ!」という、聞き覚えのある声が元気に響いた。
「……うわ、来た」
俺がつぶやくと、鈴木は「お前の母ちゃん久しぶりだな!俺、挨拶してくるわ」と言って、フリルのスカートをなびかせながらフロアへ出て行った。
「あら〜っ!鈴木くん……!?大きくなったわね〜〜!」
お母さんの呑気で伸びやかな声が聞こえてくる。メイド服姿の鈴木にかける言葉としては、「大きくなった」という紛れもない事実を言うくらいしか解がなかったのだろう。
続いてお父さんの「ハハハ……こんにちは」という、どう反応していいか分からない乾いた笑い声が聞こえてきた。
俺の両親は鈴木に案内され、店内の中央にあるテーブル席に通された。珍しそうにキョロキョロと周囲を見回している。注文を取り終えた鈴木が、ニヤニヤしながらキッチンへ戻ってきた。
「お前、マジでお母さん似だよなぁ」
「そうか……?」
母親に似ていると言われて素直に喜ぶ男子高校生がどこにいるだろうか。俺は適当にいなしながら、お皿にお菓子を丁寧に盛り付けていく。
「お前、ショートブレッドに絵を描きに行くか?」
「いや〜……さすがにダチの親に『おいしくなーれ』はきついだろ」
俺が困惑してフロアを覗き込むと、ちょうど他のお客さんの接客を終えたばかりの宮崎さんと目が合った。
「ご両親のところ、私がお持ちしようか?」
「ありがとう、助かる……!お願い」
宮崎さんがトレーを抱えてテーブルへ向かうと、お母さんは一目で「あら、かわいいわね〜!」と歓声をあげた。
「うちにも、こんなかわいい娘がいたらいいわね、お父さん!」
お父さんは「うん、うん」とただ無難に頷いている。
(おいおい、こんなデリケートな話題を振らないでくれ……っ)
キッチンからハラハラしながら見守っていたが、宮崎さんは弾けるような笑顔を崩さず、「ありがとうございます」と返してくれた。そして、ショートブレッドにチョコペンでかわいらしいクマの絵を描き、メイドとして完璧なおまじないまでかけてくれたのだった。
もう感謝しかない。
キッチンスペースに戻ってきた宮崎さんに、俺は全力で手を合わせた。
「宮崎さん、まじでごめん……!」
「ううん、優しそうなご両親だね。ここ代わるから、顔出しに行ってきなよ」
「あ、うん……ありがとう」
俺は両親のテーブルへと向かった。
「あら、湊!燕尾服、すごくよく似合ってるじゃない。素敵なお店になったわねぇ」
「……ありがとう」
「繁盛してよかったな」
お父さんが、ようやく少し照れくさそうに口を開いた。
「そうだね、おかげさまで。……お茶とお菓子、どう?」
「うん、美味しいよ」
「そっか、良かった。じゃ、俺はキッチンに戻るから」
普段はお父さんは甘いものをほとんど食べないのだが、お皿のショートブレッドとパウンドケーキは綺麗になくなっていた。
*
昼から午後にかけて客足は最後まで絶えることがなく好調で、俺も時折フロアに出て接客を担当した。
そんな中、小学生の男の子とお母さんの二人組から声をかけられた。
「あの、少し質問させていただいてもいいですか?」
お母さんが丁寧におずおずと尋ねてくる。毎年よくある光景だ。きっと中学受験の参考にしたいのだろう。「どんな受験勉強をしたのか」とか、「入学してからの勉強は大変か」とか、そういう質問だろうと思った。
だが、その男の子が真っ直ぐに見上げて聞いてきたのは、違う質問だった。
「この学校、楽しいですか?」
俺は一瞬だけ目を見張り、それからしっかりと微笑んで答えた。
「うん。すごく楽しいよ」
――以前の俺だったら、「普通だよ」と答えていたかもしれない。
クラスの中のごく小さな友達の輪の中で、目立たないように、ひっそりと、なんとなく毎日を過ごしていただけだったから。
だけど、この文化祭を通して、クラスの仲間たちとぶつかり合い、協力し合い、お店を作り上げていく中で、俺の中の「学校」という世界の解像度は一気に上がったのだ。
みんなと手を取り合ってカフェを作り上げた今の俺だからこそ、胸を張って「楽しい」と言える。
「俺、この学校が好きだからさ。あの時、受験勉強頑張って本当に良かったなって思ってるよ」
俺がそう言うと、男の子とお母さんは少し驚いたような顔をし、それからパッと表情を明るくした。それからしばらくの間、俺は親子からの質問に親身になって答えた。
*
「――いってらっしゃいませ、ご主人様!」
最後のお客さんをみんなで笑顔でお送りし、予定より少し早く、俺たちのカフェは無事に閉店を迎えた。
「みんな、本当にお疲れ様でした!!」
黒板に書かれた『英国風メイドカフェ』の大きな文字の横に、チョークで大きく『大成功!』と書き足す。
お互いに「お疲れ様!」と労い合い、教室のあちこちでスマホを取り出して撮影会が始まった。鈴木はSNSへの画像流出を恐れて、手で顔の一部を必死に隠している。そこへ、化学部の白衣を着たままの山田がひょっこり顔を出した。俺と鈴木、宮崎さん、そして山田の実行メンバー四人で、黒板の前で記念写真を撮った。
片付けを終えると、なんとなくみんなでそのまま後夜祭へと向かう流れになった。
中庭の特設ステージでは、深く落ちていく夕暮れの中、軽音部が熱いパフォーマンスを繰り広げていた。俺たちは少し離れた芝生の端に腰を下ろし、それをぼんやりと眺めていた。
ステージから投射される赤や青のライティングが、隣に並ぶみんなの横顔を鮮やかに照らし出す。言葉を交わさず、ただこうして心地よい風に吹かれながら音楽を聴いている時間が、たまらなく愛おしかった。
俺は夕空を見上げながら、誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いた。
「……おまじない、めちゃくちゃ効きましたよ、リッジウェイさん」




