おまじないの効果
キッチンスペースに戻ってからもしばらく、顔の火照りは冷めそうになかった。男メイド姿の田中が感心したような、妙になまぬるい視線で俺をまじまじと見つめてくる。
「なんだよ?」
「いやー……なんかお前、マジで可愛かったぞ。あんまり照れて恥ずかしそうにするもんだから、見てる俺までなんか胸キュンしちゃったわ」
「……っ!う、うるせえ!今の絶対忘れろ!」
最悪だ。……もうこれ以降、死んでもおまじないなんてやるもんかと心に固く誓った。
だが、パーテーションの隙間からそっとフロアを覗き込むと、リッジウェイさんとミーキンさんが実に楽しそうにお菓子を味わい、紅茶を口に運んでいた。その穏やかで幸せそうな光景を見るだけで、恥ずかしさで死にそうだった俺の心もすーっと救われていく気がした。
そこへ、中庭から宮崎さんと鈴木が戻ってきた。ふたりは、リッジウェイさんとミーキンさんの姿に気付いて、丁寧に挨拶を交わしてから、キッチンスペースへとやってきた。
「湊!ホットドッグ買ってきたぞ」
「えっ、俺に?」
「お前、どうせまともに飯食ってねーと思ってさ」
「あー……まあな」
「石野くん、きっとお店から離れないだろうなって話してたの」
宮崎さんが優しく微笑む。その表情がすっかり明るくなっているのを見て、胸の奥でホッと安堵の息が漏れた。二人の気遣いに心から感謝しながら、ほかほかのホットドッグをガブリと頬張る。
「俺のおごりだ!これで午前の件はチャラな!」
「ハハッ、了解」
俺と宮崎さんは顔を見合わせて、ふっと笑った。
「店長さんたち、来てくれてたんだね!お菓子も紅茶もすごく美味しいって褒めてたよ」
「本当?よかった……!」
「ショートブレッドの絵もすごく上手だよね。誰が描いたの?」
「あ、それは石野が――ぐふっ!?」
田中が口を滑らせかけたので、俺はすかさず肘でそいつの脇腹を思い切り小づいて静止させた。
しばらくして、お茶を終えたリッジウェイさんとミーキンさんが席を立った。俺は急いでトレーを置き、ふたりの元へと向かった。
「今日は来てくださって、本当にありがとうございました!」
「すごく楽しかったよー。お茶もお菓子も本当に美味しかった!」
「素敵なカフェができたね、石野君。よく頑張ったね」
「ありがとうございます……!」
「おふたりは、この後は校内を回られるんですか?」
「うん、せっかくだから見て回ろうと思ってね」
「山田君の化学部で、スクイーズ作りもやってみようかな?」
「山田も絶対に喜びます!俺も案内できればいいんですけど、店があるので……」
「大丈夫だよ、パンフレットももらったしね」
「そうですか……」
「じゃあ、午後も頑張ってね」
「またねー」
「いってらっしゃいませ、ご主人様!」
その日の午後、残りの時間は目まぐるしくも平和に過ぎていった。用意していた紅茶とお菓子はすべて完売し、予定より三十分早く無事に閉店を迎えた。片付けを終えた俺は、心地よい達成感と疲労感にどっと浸っていた。
*
翌朝、俺たちは文化祭最終日に使う残りのスコーンを受け取るため、早朝のローズ&クラウンを訪れた。
鍵を開けて店に入ろうとすると、ドアのガラス越しにリッジウェイさんの姿が見えた。
「おはようございます!今日は早いんですね」
「おはよう、石野君たちも朝早くからお疲れ様」
「昨日はありがとうございました!あの後、化学部でスクイーズ作れましたか?」
「あはは、子供たちのすごい行列ができてたから、諦めちゃったんだ」
「そうでしたか……」
「でもね、野外ステージを見たり音楽を聴いたりして、すごく楽しかったよ」
「それなら良かったです!」
俺たちは厨房へ向かい、冷凍庫から持参した保冷バッグへスコーンを移していった。二日前にはぎっしりと詰まっていたスコーンの袋が消え、冷凍庫の棚はすっかり空っぽになっていた。
「いよいよ、今日で文化祭もおしまいだね」
「はい。始まってみたら、なんだかあっという間でした」
「あ、そうだ。石野君、ちょっとこっち来て」
「はい……?」
言われるがまま目の前まで近寄ると、リッジウェイさんは少し悪戯っぽい笑みを浮かべ、右手の親指と人差し指で――キュッと小さな「指ハート」を作った。
「おまじないします……石野君の今日が、特別な一日でありますように。幸せになーれ……萌え萌え、キュン!」
――ズバーン!!!
まるでロンギヌスの槍で真っ直ぐ心臓を撃ち抜かれたかのような、強烈すぎる衝撃が全身を駆け抜けた。
俺のハートにどれほどの威力を与えたかも知らず、「昨日のお返し」と言ってリッジウェイさんは無邪気にニコニコしている。
ドッドッ、と胸の奥でやかましく打ち鳴らされる心音をごまかしたくて、俺はただただ赤面して「あわわ……」と手を横に振るばかりだった。
(……これだけで、もう今日は幸せで特別な一日決定だろ……っ!!)
「お、おまじない……効きすぎです……っ」
俺は真っ赤になった顔を両手で覆い、やっとのことでそれだけの声を絞り出したのだった。




