ショートブレッド
文化祭のカフェで出そうと考えている、「メイドカフェでお馴染みの、オムライスにケチャップで絵を描くサービス」。
さすがに本格的なオムライスを用意するのは無理だ。となると、調理を必要とせず、手軽に絵を描けるメニューはないだろうか。
「大きなクッキーにチョコペンで絵を描く、というのはどうでしょうか?」
俺は閉店後の静かなキッチンで、作業をしていたリッジウェイさんに意見を伺ってみた。
「それなら、ショートブレッドがいいんじゃないかな?」
「ショートブレッド……」
あの、スーパーの輸入お菓子コーナーでよく見かける、赤と黒のチェック柄のパッケージに入ったやつだ。
「あれって、素人でも作れるんですか?」
「うん、難しくないよ。材料も小麦粉、バター、砂糖、塩だけだしね」
「えっ、それだけですか!?」
「ただ、バターと砂糖を先にしっかり混ぜておくのがコツかな。そこで空気を含ませておくと、あのサクサクほろほろの食感になるんだ」
「そうだったんですね」
「だからこそ、ほぼバターの美味しさにかかっていると言ってもいいかな。うちのお店で使っているグラスフェッドバターはすごく高品質だから、きっと美味しくできると思うよ。一緒に作ってみる?」
「ええっ! いいんですか!?」
お言葉に甘えさせていただけるならこんなに嬉しいことはないけれど、少し申し訳ない気もする。
「いいんだよ。たくさん作って、お店のメニューにも出そうか」
ウィリアムくんと一緒にスコーンを作ったことはあるけれど、料理に関してリッジウェイさんから直接手ほどきを受けるのはこれが初めてだ。
緊張する。めちゃくちゃ嬉しい。どうしよう、うまく作れるといいんだけど。
材料は驚くほどシンプルだった。
リッジウェイさんがまず柔らかくしたバターと砂糖をボウルに入れ、木べらを手に白っぽくふんわりとするまで丁寧にすり混ぜていく。そこへ小麦粉と塩をふるい入れ、切るようにさっくりと合わせていった。
俺の手より一回り大きな、白く綺麗な美しい手指。ボウルの中で規則正しく響くシャリシャリという音が、まるで洗練された音楽のように心地いい。
そういえば小学生の頃にピアノを習っていて、手が小さくて弾けない曲があったっけ。彼くらい手指が長ければ、ドから1オクターブ上のミまで軽々と届きそうだ。フランツ・リストの「愛の夢」なんかがすごく似合いそうだな……なんて考えが脱線する。
「こんな感じだけど、できそう?」
「あ、はい!」
リッジウェイさんがすっと一歩脇に引き、ボウルの前をあけてくれた。俺はその位置に移動し、教わった通りに見よう見まねで粉とバターを混ぜ始める。
「これで大丈夫ですか……?」
「うん、いい感じ。上手だね」
真横から手元をじっと見つめられていると、妙に意識して手元のリズムが狂ってしまう。俺の作業音は、どうやら音楽には程遠いようだ。
やがて生地が綺麗にまとまった。これをフィンガーサイズの長方形にカットして、爪楊枝でポツポツと穴を開ければ、例のスーパーで見るお菓子とそっくりになる。
「もう少し薄く延ばして、直径8センチの抜き型を使えば、きれいな丸型になるよ。絵を描くなら、丸い方が描きやすいんじゃないかな?」
アドバイス通り丸型に整え、天板に並べてオーブンに入れた。
程なくして、オーブンの奥からバターの香ばしい匂いが漂ってきた。焼き上がりを待っている間、リッジウェイさんが温かい紅茶を淹れてくれた。秋限定のブレンドで、ふわっと金木犀の甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「ありがとうございます。紅茶、すごくおいしいです。……ところで、ショートブレッドってどうして『ショート』ってついているんですか?」
「ショート(short)には、食感が『サクサクしている、ほろほろ崩れる』っていう意味もあるんだよ。元々はスコットランドのお菓子なんだ」
「へぇー!じゃあ、ショートケーキのショートもそこから来てるんですか?」
「ショートケーキも本来のイギリスやアメリカのものは全く違うお菓子なんだけどね。日本に伝わった時に、生クリームとスポンジのケーキとして独自に定着したんだよ」
「はあ〜そうだったんですか」
チーン、とオーブンが焼き上がりを知らせた。
扉を開けると、黄金色と言っていいほどの美しい焼き色の丸いショートブレッドが並んでいた。粗熱を取るため、金網の上へひとつひとつ丁寧に並べていく。
「うわぁ、焼きたてもすごく美味しそう……」
俺が思わず呟くと、
「はい。これは作った人の特権」
そう言って、リッジウェイさんが焼きたてをひとつ手渡してくれた。口に運ぶと、ほろほろと解けて温かいバターの豊かな風味がじわ〜っと口いっぱいに広がっていく。信じられないくらい幸せな味だ。リッジウェイさんもぱくっとひとつ口にし、俺たちは顔を見合わせて思わず笑い合った。
「チョコペンもあるよ。試しに描いてみる?」
リッジウェイさんがチューブ状のチョコペンを2本取り出してきた。
「お湯で温めてから使うんだよ」
そう言って、小さなボウルにお湯を注ぎ、チョコペンを浸す。
柔らかくなったチョコペンを握り締め、俺たちはそれぞれ粗熱の取れた丸いショートブレッドを目の前に並べた。
「何を描いたらいいですかね?」
「そうだねぇ……丸いからと言って、お皿の絵付けのようにはいかないしね」
「こうやって何を描くか悩んでいる時間も、『芸術の秋』って感じで楽しいですね」
「ふふ、そうだね」
俺は秋らしく大きなドングリのイラストを描いてみることにした。チョコペンで帽子のブツブツ模様を点描で表現し、ツヤツヤした実の部分をチョコで塗り潰していくと、なかなか美味しそうなドングリが完成した。
「できた!」
そう思ってふと隣を見ると、リッジウェイさんは丸い形を顔に見立てて、チョコペンを動かしていた。
ギザギザの前髪に、ニコニコと楽しそうに笑う目と口。
「……??」
「石野君だよ」
ええーーー!? うわーーー!! かわいすぎるだろ!!!
跳ね上がりそうになる叫びと心の声を必死で喉の奥に押し込め、俺は上ずりそうな声を絞り出した。
「……それ、持ち帰ってもいいですか?」




