燕尾服
バイトに向かう途中、ローズ&クラウンが入るフロアのエレベーターを降りると、ちょうど常連客の西田さんが帰られるところに出くわした。
「西田さん!この前は素敵なぬいぐるみを作ってくださって、本当にありがとうございました!」
俺はそう言って深々と頭を下げた。西田さんは嬉しそうに目を細めた。
「ふふ、かわいく出来てたでしょう?さっきショップで見てきたのよ。ディスプレイ、すごく素敵に飾ってもらえて本当に嬉しかったわ」
「本当ですか!?ありがとうございます!実はあのぬいぐるみたちがどうしても欲しくて、リッジウェイさんにお願いしてお譲りいただくことになったんです。俺の部屋に大切に飾らせてもらいますね」
「あら、そうだったの?じゃあ、またお店用に別のバージョンを作ろうかしら?」
「えっ!いいんですか!?楽しみにしています!」
「男の子なのに珍しいわねぇ」
西田さんは楽しそうに笑いながら、エレベーターに乗って降りて行った。
◇
バックヤードでエプロン姿に着替えたあと、俺はキッチンへと向かった。作業をしていたリッジウェイさんが「お疲れ様」と温かい笑顔を向けてくれる。
「ディスプレイ、すごく人気なんだよ。さっき、ミニチュアのティーセットもいくつか売れたんだ」
「ええっ!? 本当ですか!? すごく嬉しいです!」
「西田さんもディスプレイをご覧になって、とても喜んでくださっていたよ」
「あ、先ほどエレベーターホールでお会いできました!ずっと直接お礼が言いたかったので良かったです。また新しいぬいぐるみを作ってくださるそうで!」
「本当に!? ありがたいね。石野君が用意してくれた衣装をご覧になって、創作意欲が湧いたとおっしゃっていたよ」
「王子様風の服と燕尾服ですね。……そういえば俺、今度の文化祭のカフェで燕尾服を着ることになりまして」
「へえー!かっこいいね」
「いえ……自分に似合うかどうか、ちょっと不安で」
「燕尾服なら、うちの倉庫にも置いてあるよ」
「えっ、そうなんですか!?」
閉店後、俺たちは作業場の奥にある大きなクローゼットを開けた。扉を押し開けると、そこには様々な色や素材のジャケットやシャツが整然と掛けられていた。
「何してんのー?」
後ろからミーキンさんがひょっこり顔を覗かせる。
「燕尾服を出してみようと思ってね」
「何に使うの?」
「石野くんが文化祭で着ることになったって言うから、見せてあげようと思ってさ」
「へー、そうなんだ」
「お二人も、これを着る機会があるんですか?」
俺が尋ねると、ふたりは懐かしそうに顔を見合わせた。
「最初にお店を開こうって話が出た時に、色々衣装の候補を考えたんだよね。昼はモーニングで、夜は燕尾服っていうのも試してみたんだけど、結局昼から夕方の営業になって、今のエプロンスタイルに落ち着いたんだ」
……ふたりがこれを着て給仕していたら、もの凄くかっこいいだろうな。五つ星ホテルか、あるいは英国貴族の館か。そんなローズ&クラウンの姿も見てみたかった。
「俺、見てみたかったです」
思わず、心の声がそのまま口から漏れ出てしまった。
「え? じゃあ着て見せてあげようか?」
「久しぶりに着てみる?」と、ミーキンさんがリッジウェイさんに提案する。
「えええっ!? 見たすぎます! ぜひともお願いします!!」
「あ、うん。じゃあ着替えるから少し待っててね」
リッジウェイさんは少し困ったように、けれど嬉しそうに笑った。
さすがに着替え中のふたりを凝視しているわけにもいかないので、俺は隣の部屋に移動してじっと待った。時間にすれば数分のはずなのに、やけに長く感じる。
「お待たせー、できたよ」
ドアが開いて、ミーキンさんが顔を出した。続いて、リッジウェイさんが足を踏み入れてくる。
――まるで、映画のワンシーンをスローモーションで見ているみたいだった。
黒と白のモノトーンでビシッと決めた燕尾服姿のふたりが、こちらへ向かって歩いてくる。長身で抜群のスタイルを誇るふたりが纏う、寸分の狂いもなく仕立てられた漆黒のテイルコート。生地の一本一本が照明を吸い込んで、動くたびに深く艶やかな黒として跳ね返ってくる。
歩くたびに、背中からすっと伸びたツバメの尾のような裾が軽やかに揺れ、重厚さの中にどこか愛らしさすら感じさせた。圧倒的な美貌が引き立つのはもちろんのこと、洗練された優雅さと大人の男らしさ、そして気品が、これ以上ないというくらい完璧なバランスで同居している。
一歩、また一歩。その歩幅ひとつひとつが、俺の視線を、そして心をゆっくりと、けれど確実に奪い去っていった。
――眼福。あまりの神々しさに、息をするのを忘れそうになる。
母がなぜ宝塚歌劇団にどハマりしているのか、その気持ちが今なら分かる気がした。
「石野君、どう? こんな感じだけど」
声をかけられ、俺はハッと我に返った。
「お、お二人とも……めちゃくちゃかっこいいです!!!お二人はどんな服でもかっこよく着こなしますけど、燕尾服は特に、特別すぎます!」
「本当?ありがとう」
リッジウェイさんはフッと目を細めて微笑んだ。
「燕尾服ってね、今でいうインフルエンサーが流行らせたんだよ。18世紀の終わり頃、それまでの男性は派手でカラフルな服を着ていたんだけど、『ボー・ブランメル』というお洒落な男が、こういうシンプルな格好をしたのが始まりなんだ。それが当時すごく衝撃的でね。フランスやドイツにも一気に広まって、現代のスーツの原型になったんだよ」
「はあー……そうだったんですか。俺が学校で何気なく着ている制服のブレザーも、元をたどればその人に辿り着くってことなんですね」
歴史の深さに感心しつつも、目の前の圧倒的な美を前に俺のオタク心が叫び声を上げる。
「って、なんでこんな素敵な服を倉庫にしまい込んじゃうんですか!? もったいなさすぎます! お店でもたまに着てくださいよ!」
ふたりは顔を見合わせて楽しそうに笑う。
「いや! これは絶対にイベントの時だけでもやるべきです! バレンタインデーとか! 絶対ファンサになりますから!!」
「あはは、面白いこと言うねぇ。じゃあ、たまにはみんなで着ようか?」
「……みんなで?」
盛り上がりすぎてすっかり失念していたけれど、その「みんな」には当然、俺も含まれている。
……待て。この世界遺産級のイケメンふたりの間に、俺が同じ衣装を着て堂々と並び立つなんて――そんなの絶対、無理だろ!!!




