小さきものたち
俺はずっしりと重い大きなキャリーケースを引きずりながら、そのまま『ローズ&クラウン』のバックヤードへと入った。
大きな荷物が作業の邪魔にならないよう部屋の隅へ慎重に寄せると、深々と息を吐き出し、いつものように着替えを始める。
電車を降りる時、俺たちは「お疲れ様」と言って、お互いにどこかぎこちなく手を振って別れた。
あの時の宮崎さんが何を考えていたのかは、分からない。けれど、俺が言った「好きな人がいる」という言葉が適当な嘘や言い訳などではないことだけは、痛いほど伝わってしまったようだった。
――でも、それならそれでいい。
自分の気持ちをごまかさなかったことにも、あの人の名前を軽々しく口に出さなかったことにも、後悔はなかった。
キャリーケースを置き、エプロンの紐を背中でぎゅっと結び直す。鏡に映る自分の顔を軽く叩いて、重かった思考を無理やり押し流した。
さあ、今日もバイト、頑張るぞ!
開店30分前。
レジの脇にちょこんと佇む3体のぬいぐるみが目に入った。近づいてよく見てみると――思わず手が止まる。俺とリッジウェイさん、そしてミーキンさんを模したぬいぐるみだった。
「ええ?! これ、どうしたんですか?」
「それ、すごくよく出来てるよね。手芸が趣味のお客様が作ってくださったんだよ」
リッジウェイさんが嬉しそうに目を細める。
「すごいですね……! 俺の分まで作ってもらえるなんて、正直めちゃくちゃ嬉しいです」
手に取ってみると、着ている洋服とエプロンまでそっくりで、髪型や目の形、どこかコミカルな表情のクセまで細部が丁寧に作り込まれている。
「石野君のぬいぐるみ、かわいいよね。くりっとした目の感じとか、笑った時の口角が上がったところとかがそっくりで」
「えっ……」
かわいい??目が?口元が?
待て。落ち着け。これはぬいぐるみの話だ。
え…?でも、そういう風に見てくれてるって事?
「少し茶色がかった綺麗な髪も、よく再現できてるなあと思ったよ」
「……っ!」
これ以上続けられたら、身がもたない!!
「り、リッジウェイさんのも柔らかい笑顔の感じとかよく似てますよね!実物の方が百倍カッコいいですけど!」
「ふふ、それは嬉しいね」
話を遮ろうとして、つい余計なことまで口走ってしまった。だが、軽く受け流してくれて救われた。
改めて、並んだ3体を見る。
自分のぬいぐるみを作ってもらえるって、大切にされている気持ちになるんだと知った。俺の場合は「ローズアンドクラウン」という箱推しの中の1体に過ぎないのかもしれない。けれど、仲間外れにされるよりはずっと嬉しい。
「そのお客様ね、石野くんが推しだって言ってたよ」
「ええ〜〜!?」
思わず変な声が出た。世界遺産級のイケメンがふたりも並んでいるのに、ずいぶん物好きな人もいるものだ。
「い、一体誰ですか……?」
「あはは、そんなに驚かなくてもいいじゃない。西田さんだよ」
俺のことを実の孫みたいに可愛がってくれるおばあちゃんだ。急にすべての辻褄が合って、すとんと腑に落ちた。
「……そうですか。ありがたいですね。今度ご来店されたら、しっかりお礼を言います」
「そうだね。そうしてくれたら西田さんも喜ぶよ。欲しかったら、連れて帰ってもいいよ?」
手元に残された3体の「ぬい」を見つめる。心なしか、向こうもこちらをじっと見返してくる気がした。ちびキャラになったリッジウェイさんとミーキンさん、素直にかわいい。
『お前、本当は俺を連れて帰りたいんだろ?』
ぬいのリッジウェイさんが、そんな意地悪なセリフを投げかけてくる気さえする。そりゃあ……もらえるなら、めちゃくちゃ欲しい。
俺はその時、夏休みにこの店がコラボカフェ化していた頃のことを思い出した。あの時は「なんで芸能人のぬいぐるみなんて作る必要があるんだ?」と本気で首をかしげていたけれど。
――これは、悪くない。どころか、かなりいい。
自室のカップコレクションの棚に一緒に飾っておけば、そこは小さな「ローズ&クラウン」になる。
……待てよ。洋服もこれ1着だけじゃ寂しいから、何着かお着替えを用意したいな。手のひらサイズの小物や家具もあった方が、雰囲気が出るんじゃないか?
大の男が「ぬい活」にハマっているなんてバレたら絶対引かれるだろうけれど――これは、かなり楽しそうだ。
「リッジウェイさん。俺、この子たちを連れて帰りたいです」
ついに言っちゃった。
「いいよ。持ち帰り用の紙袋を用意するね」
「ありがとうございます!」
「あ、そうだ。じゃあ、その子たちにこれもあげようか」
リッジウェイさんがショップの棚の奥から小さな箱を取り出してきた。蓋を開けると、そこにあったのは百年以上前のコールポートのミニチュア食器セットだった。
リムやハンドルの金彩は美しく輝き、絵付けの大部分は手作業で施されている。ポットの蓋を裏返してみれば、極小サイズの王冠マーク――いつものバックスタンプまで完璧に入っていた。
「すごい! まるでアリエッティの家にあるやつじゃないですか!」
「アリエッティ? ああ、『床下の小人たち』に出てくる小人の少女のことだね。よく知ってるね」
「借り暮らしのアリエッティって、ジブリ映画の話ですよね?」
「原作はイギリスの児童文学なんだよ。物語にも人形用の食器セットが出てくるけれど、高級品は、有名な陶磁器メーカーが本物と同じ素材と技法で作ったんだ。これも本物と同じボーンチャイナだから、実際に小さなお茶を淹れることもできるんだよ」
そう言って、リッジウェイさんは優しく微笑んだ。
「ぬいぐるみと一緒に飾ってあげて」
「ええっ、本当に良いんですかーー!?」
飾ったところを想像するだけで、胸が躍って心がふわふわと浮き立つ。
いつも一緒にいられるわけじゃない大好きな人たちを、いつでも身近に感じさせてくれる「ぬい」。憧れの理想の暮らしを、小さな世界に凝縮して叶えてくれる「ミニチュア」。
素晴らしき、愛おしき、小さきものの世界。
俺はあっという間に、その底なしの魅力に呑み込まれてしまっていた。
だが、紙袋にぬいを入れようとした瞬間、手が止まった。
……待てよ?
このときめきを、俺ひとりで完結させてしまっていいのだろうか。
さっきまで、ぬいを連れてこの店に来るお客様を、どこか冷ややかな目で見ていた自分がいた。でも今なら分かる。あの人たちも、こんな気持ちだったんだ。
「リッジウェイさん! これ、試しにショップのディスプレイにしてみませんか? ぬい活してる人たちには絶対に刺さります!」
「あ……!良いかもしれないね。でも、石野くんは本当にそれで良いの?」
一瞬、言葉に詰まる。正直、めちゃくちゃ迷う。
「もし反応良かったら、俺、別のぬいを調達して交換しますから」
「あはは。よっぽど気に入ったんだね」
リッジウェイさんは楽しそうに目を細めると、ポンと肩を叩いた。
「じゃあ、ディスプレイの担当、お願いできるかな?」
「はい! 任せてください!」
俺はさっそく、愛おしいミニチュアの世界を頭の中で組み立て始めた。




