日暮里
土曜日。俺たち実行メンバー四人は、山手線日暮里駅の改札を抜け、繊維街へと降り立った。
「布って案外重いんだよ」
宮崎さんの強い勧めで、俺たちはそれぞれ海外旅行用のキャリーケースを引きずって集合していた。この時点では、まだ誰もその忠告の重みを理解していなかった。
「にっぽりって、普通読めねーよな。俺、ここ来んの初めて」と鈴木が言うと、「俺も降りたことないし、繊維街なんてものが存在することも知らなかったよ」と山田が返す。俺も同感だった。
手芸店が並ぶ通り沿いの大きな生地店に入ると、天井近くまでロール状の布地が隙間なく積まれ、客たちがそれを次々引っぱり出しては見定めている。値札にはどれも「メーター100円」の文字。
メイド服用の白と黒の布を大量に買い込み、キャリーケースに詰め込む。持ち上げた瞬間、腕にずしりと来た重みで、ようやく宮崎さんの言葉の意味を悟った。
「次はレースの専門店」
宮崎さんはこの街の勝手を完全に知り尽くしていた。店に着くなり迷わず見切り品のワゴンへ直行し、半端な長さのレースを手際よく選り分けていく。俺たち男子は、その手つきに感心しながら、大人しく荷物持ちとして後ろをついていくだけだった。
すべての買い出しが終わる頃には、時刻は十一時近くになっていた。通り沿いのハンバーガーショップの前で、鈴木がふと足を止める。
「なあ、交通費と昼飯代くらい、クラスの経費にしてもいいよな?」
「あー、いいんじゃね。レシートはちゃんと取っとけよ」
「よっしゃ!じゃ俺、一番高いセットにするわ。お前らもそうしろよ」
「あ、俺バイトあるからこのまま駅向かうわ」
「私も今日はここで」
「……は?マジで二人とも帰んの?」
あからさまに不満げな鈴木の隣で、山田がぽつりと呟いた。
「……俺はチーズバーガーにする」
「あっそ、もったいねー」
拍子抜けした顔の鈴木と、マイペースな山田を残し、俺と宮崎さんは山手線のホームへ向かった。同じ電車に乗り込む。俺が途中駅で降りるまでの13分間、車内には二人きりの時間が流れていた。
吊り革に掴まりながら、宮崎さんがふっと目を細める。
「……なんか、懐かしいな」
「え?」
「演劇部の頃、衣装係のみんなでよくここ来てたなあって」
「あ、そっか。宮崎さん今、手芸部だっけ。何で部活変えたの?」
「……予備校、行かなきゃいけなくなったから」
「あー……」
宮崎さんは窓の外へ視線を流してから、ふたたび俺を見た。
「私さ、バイトしてる石野くんのこと、ちょっと羨ましくなってたんだ」
「え?」
「あんな素敵なお店で働けて、毎日楽しそうでいいなあって。今回、文化祭で巻き込んじゃって迷惑だったかもしれないけど……」
「……」
「……私、今すごく楽しいよ」
正直なところ、最初は迷惑で、憂鬱で、プレッシャーばかりだった。なるべくなら関わりたくないとさえ思っていた。でも、まっすぐに俺を見る宮崎さんの表情を前にすると、そんな後ろ向きだった自分が急に恥ずかしくなった。
「……絶対、成功させような」
「うん!」
今日いちばんの、輝くような笑顔だった。
「……ねえ、石野くん」
「ん?」
「前に、好きな人がいるって言ってたじゃん」
「あ、うん」
「あれって、本当?」
「え……?」
「……鈴木くんに気遣ったりしてない?」
思わず変な声が出そうになって、慌てて口を結んで飲み込んだ。
「鈴木くんが私のこと好きなのは知ってるけど……私は石野くんの方が好みなんだよね。だから、まだ諦めてないから」
全身が凍りついたように固まる。あの夏の終わりの断り文句で、この話はもう終わったものだと、勝手に思い込んでいた。
「……でも、俺、本当に好きな人いるし」
「誰? 本当にいるなら教えてよ」
俺が好きな人。
そう問い詰められて、真っ先に頭に浮かぶのはあの人しかいなかった。
けれど、こんな場所で、追いつめられた言い訳みたいに軽々しく出していい名前じゃない。それに、この胸にある「好き」という感情の中身だって、俺自身、まだはっきりと言葉にできていないのだ。
宮崎さんの「好き」は、きっと可愛いぬいぐるみに向けるような気軽な好意なんだろう。だとしたら、自分の抱えているこの重くて複雑な感情とは、そもそも比べようがない。
「……言えない」
咄嗟に絞り出した声は、自分でも驚くほど小さく掠れていた。
宮崎さんは少し驚いたように目を見開き、そっと一歩、後ろに引いた。
ガタンゴトン、と電車が揺れる重い音が、なぜか遠くの出来事のように聞こえた。
「……ごめんね」
宮崎さんがぽつりと呟いたのと、電車が速度を落とし始めたのは、ほとんど同時だった。




