九月一日
二学期が始まった。
日焼けの痛みは、まだ体のあちこちに居座っている。歩くたびにシャツの襟がうなじに触れて、その度にヒリッとした感覚が肌の表面をかすめた。
俺の夏休みは、予備校とティールームのバイト、それにご褒美の花火と海で全部使い切った。それでも――今まで過ごしたどの夏休みより、中身が詰まっていた気がする。
交差点の信号が赤に変わる。突然、日焼けした右肩に激痛が走った。
「おーす、湊!」
お構いなしの馬鹿力で肩を叩いてきたのは、クラスメイトの鈴木だった。
「痛っ……! お前、容赦ねえな」
「なんだよ、湊。首の後ろめちゃくちゃ赤いじゃん。あ、おでこと鼻の頭も」
「昨日、海で日焼けしたんだよ」
「お前、海行ったの? 誰と?」
また女関係かと疑っているのか、鈴木は下心丸出しの目でジロジロと俺の顔を覗き込んでくる。
「バイト先の人たちと三人で」
「ええー? そんなことあんのか、仲いいなぁ。でも男三人だろ? 海行って楽しいのか?」
「いいだろ、別に。もううるせえな」
こいつにだけは、「めちゃくちゃ楽しかった」なんて口が裂けても言いたくない。絶対に調子に乗っていじり倒してくるに決まっている。
「お前こそ、宮崎さんとはその後何かあったのかよ?」
意地悪なカウンターを食らわせてやると、鈴木は「あー……」と分かりやすく惚けた顔になった。
「塾の英語のクラスが一緒だったからさ。休み時間に話しかけてお菓子あげたりしたんだよ。絶対、好感度上がったと思うわ」
「お菓子なんかで釣られるかよ」
そう口では呆れつつも、俺自身、リッジウェイさんにはすでに胃袋を掴まれているような気がしないでもない。妙にばつの悪い気分になって、小さく息を吐いた。
リッジウェイさんと、ミーキンさん。
俺の中での現在地は、ふたりとも大好きで憧れの存在だ。でも、リッジウェイさんの方にだけ、そこにほんの少し「別の何か」が乗っかっている。名前をつけたら最後、後戻りできなくなりそうな――甘くて、少し息苦しい何かが。
「あーあ、また今日から学校かよ、めんどくせえなぁ。秋ってやたら行事多いじゃん? 放課後残らなきゃいけないのが本当に嫌なんだよな」
鈴木が前を歩きながら愚痴をこぼす。俺もこいつも帰宅部だから、普段なら終礼のベルと同時に学校を抜け出すのだが、確かに二学期はそうもいかないかもしれない。
バイトの時間が削られること。今の俺にとって、それこそが一番の苦痛だった。
「運動部のやつとかはさ、部活を理由に文化祭の準備を手伝わなくても許されるじゃん? 俺たちみたいな帰宅部なんて、絶対に面倒くさい役回りを押しつけられるぞ」
「あー……確かに。クラスの出し物とか、マジでどうでもいいよな」
体育祭も、文化祭も、輝けるのはほんの一握りの人間だけだ。運動神経抜群で活躍するやつや、ステージで演劇やダンスを披露する華やかなグループ。俺たちは、それ以外の「その他大勢」だ。他人の輝きのために地味な裏方作業をさせられるくらいなら、自分の時間をもっと有意義に使いたい。
(まあいい。今日は昼前には学校が終わる)
信号が青に変わった。歩き出しながら、頭の中はもう半分、放課後のことでいっぱいだった。学校が終わったら、そのままの足で『ローズ&クラウン』に向かおう。
九月から新メニューに切り替わると、リッジウェイさんが言っていた。秋の新しい紅茶とスコーン――それを一番に確かめられるのは、お客さんではなく自分だという、ちょっとした優越感。それが、今の俺の唯一の楽しみだった。




