ティーカップをお迎え
とうとう、買ってしまった。
1830年代製、リッジウェイ窯のティーカップ。人生初のお給料で買った宝物を、我が家にお迎えしたんだ。
家に帰るなり、俺は慎重に包みを解き、恭しくカップをテーブルの上に置いた。
リビングの無粋な蛍光灯の下でも、その白磁と金彩は息をのむほど美しく輝いている。カップの内側の花たちも、今摘んできたかのような瑞々しさだ。本当は、当時の蝋燭の灯りやシャンデリアのきらめきが一番似合うはずなんだけどな。
……使ってみたい。いや、でもアンティークだし、当分は見てるだけの方がいいか?
熱や水で、もし万が一のことがあったらどうする?
店でお客さんに出しているカップは古くても100年位前のもので、その時代のなら焼き締めがしっかりしているから、実用に耐えるんだそうだ。
あ、でも……「200年前のものでも、洗うのは全然問題ないよ。使うなら気を付けて短時間でね」ってリッジウェイさんが言ってたっけ。
じゃあ、まずはぬるめの白湯?
いやいや、それじゃ味気ない。
色の薄いハーブティーなら、茶渋もつかなそうだし安全か……?
俺が一人で壮大な葛藤を繰り広げている真横から、母がカップを覗き込んできた。
「あら、また何か買ってきたの?ちょっと見せてちょうだい」
「あ、待てっ……!」
と言うより早く、母はカップをひょいと持ち上げてしまった。しかも、そのままひっくり返して裏底を覗き込んでいる。
「ヒェーッ! ま、マジで気を付けろよ!?」
生きた心地がしなくて悲鳴が出た。すると母は、つまらなそうな顔でカップを見つめる。
「なによ、これ。もしかしてノーブランドの安物を買ってきたの?」
「はあ!? 何言ってんの? リッジウェイだよ! ヴィクトリア女王から王室御用達も拝命してる、超名門の窯だよ!?」
「だって、裏に何も書いてないじゃない。王冠のマークとか、ブランドの名前とか、普通はそういうのがあるでしょ?」
……これだから素人は!
「この時代のは、裏にバックスタンプなんてなくて当たり前なの!」
「なんでないのよ。自信がないのかしら」
「ちげーよ!!」
俺は母の手から救出するようにカップを両手で受け取り、そっとソーサーの上に戻した。
「あえて、どこの製品かわからないようにしてたわけ! 当時のイギリスの高級陶磁器はね、ロンドンにある大手の小売業者が、製造元の名前を入れさせないように圧力をかけてたんだよ。注文主が窯元に直接発注できないようにするための、大人の事情!でも、これは形状を見ればれっきとした、あのリッジウェイの作品なの!」
「ふーん? ほんとかしらねぇ。偽物掴まされたんじゃないの?」
「ち・が・う!! 同じパターンのやつが、専門書にもちゃんと載ってたんだから!」
「あら、そう?」
母は首をかしげながら、キッチンに戻っていった。
……伝わらない。この作品の素晴らしさが、うちの母には1ミリも伝わらない。
俺は鼻から大きく深呼吸した。気を取り直して、再びティーカップを見つめる。やっぱり、見ているだけで胸の奥からウキウキとした感情が湧き上がってくる。
使うのは、まだ早いな。
何かすごく良いことがあった日か、あるいは、すごく落ち込んで元気になりたい時。そんな特別な日のために取っておこう。
とりあえず、大切な宝物を自分の部屋へと運ぶことにした。
俺の部屋には、以前修復してもらったコープランドの絵皿と、コールドンのデミタスカップがすでにある。それらは、ガラス戸付きの本棚の特等席――以前はゲームキャラのフィギュアがひしめき合っていた場所に鎮座している。
そこに、今回のリッジウェイを並べてみた。だが。
「……映えない」
思わず声が漏れた。
リビングの食器棚は、昭和の重厚なダークブラウンの木製家具だったから、絵皿を立てた時もそれなりに絵になっていた。
でも、俺の部屋の本棚は、量販店で買った明るいナチュラル色のパイン材合板だ。はっきり言って、19世紀の英国芸術とはチグハグすぎて浮いている。
せっかくの気品あるカップが、ただの「実家感」に飲み込まれていく……。
「はぁー……」
ベッドにダイブして、仰向けに寝転がる。
スマホを取り出し、検索窓に打ち込んだ。
『アンティーク 陶磁器 飾る 棚』。
すると、お誂え向けの検索結果が真っ先に飛び込んできた。
――チャイナキャビネット。
磁器を美しく飾り、魅せるためだけに作られた専用のガラス棚、だと……?
さらに調べていくと、世の中には「アンティーク家具の専門店」という、これまたディープな世界が存在するらしい。
「あった……これだ!」
画面に並ぶクラシックなキャビネットの数々。ラインナップは、装飾豊かなヴィクトリアンから、直線的でモダンなアールデコまで様々だ。
(コールドンのデミタスに合わせるなら、20世紀初頭のエドワーディアン・スタイルにするか……? くぅー、かっけえ!)
すっかり盛り上がったところで、現実の数字が目に飛び込んできた。
価格:〇〇万円。
「うっ……」
さすがに目玉が飛び出そうになった。だけど、小ぶりなサイズのものなら……計算してみる。うん、お給料四ヶ月分を丸々貯めれば、買えない額じゃない。
俺はアンティークの、ゆらゆらと波打つ古いガラスの向こうに、誇らしげに並ぶ宝物たちの姿を思い描いた。
コープランドの皿、コールドンのデミタス、そして今日お迎えしたカップ。ひとつひとつが、あのショップで過ごした時間や、俺の大切な思い出を愛おしく纏っている。
ベッドの上で寝返りを打ち、スマホのフォトフォルダを開く。
スクロールしていくと、今日までに撮り溜めた器の写真が次々と現れる。そして、その一番最後にあるのは――花火をバックに撮った三人での自撮り写真だ。
「……楽しかったな」
無意識にぽつりと声が漏れて、自分の頬にじわじわ熱が昇っていく。
画面の中のリッジウェイさんがいつもの柔らかい微笑みを浮かべている。
俺は慌ててスマホを画面側にパタンと伏せた。そのまま、熱くなった顔を枕にぎゅっと押し付ける。
……バイト、もっと頑張るぞ!




