初めてのお給料
ここ最近になって、俺はティールーム併設のショップでの接客も任されるようになった。
ある程度の専門知識が要求される仕事なので、出世したなと自分でも思う。
お茶だけして帰る人も多いけれど、ついでに棚を覗いていく人ももちろんいる。
今も、数人のお姉さんたちが花柄のカップを囲んで、「綺麗」「かわいい」と盛り上がっている。
俺は話しかけるタイミングをじっと見計らいながら、少し距離を取って見守る。あの辺りの品物なら、歴史も特徴もほぼ説明できる。……あっちの奥のやつは、まだ若干知識が怪しいな。後で調べておこう。
そんなことを考えていると、一人の女性がひとつのカップをそっと手に取った。
「かわいいから、買っちゃおーかな」
その言葉に、俺の胸が弾む。しかし次の瞬間、グループの中で一人だけテンションの低かった女性が、ぼそっと呟いた。
「えー、本当に買うの? だってそれ、昔の誰かが使ったモノでしょ? なんか……気持ち悪くない?」
一瞬、耳の奥がキーンと鳴った。
心臓がドクン、と嫌な音を立てる。
(気持ち悪い……?)
ちゃんと洗ってあるのに、なんで?
さっきまでティールームでうちの紅茶を飲んでたのに、それは平気で、これはダメなの?
反論したい言葉が喉元まで迫り上がってくるのを、奥歯を噛んで押し戻す。
その冷ややかな一言で、何となく売り場の空気が白けてしまった。
「……まあ、そうだよね。また今度にしようかな」
お客さんたちはカップを戻し、そのまま店を出て行ってしまった。
悔しい。
ものすごく、悔しい。
なんであの時、言い返せなかったんだろう。
うちの品物はどれも使用感なんてほとんどないし、リッジウェイさんとミーキンさんが二人がかりで丁寧に検品して、どんなに小さなヒビも見落とさないようにしている。選び抜かれた、本当に素敵な品物ばかりなのに。
「どうしたの? 石野くん。何かあった?」
いつの間にか、リッジウェイさんが様子を見にきてくれていた。俺の顔を見るなり、心配そうに眉をひそめる。
「あ……すみません。ちょっと、お客さんからショックなことを聞いちゃって」
「え? どんなこと? 良ければ、教えてくれるかな」
俯きながら事情を説明する間、リッジウェイさんは静かに耳を傾けてくれた。怒るでもなく、悲しむでもなく、どこか淡々とした様子だった。
そして俺が話し終えると、少しだけ寂しそうな、だけど包み込むような目をして口を開いた。
「古い物や、誰かの手を経てきた品物に抵抗がある人もいるよね。それはその人の感じ方だから、仕方のないことだよ」
だけど、俺はリッジウェイさんに、そんな風に物分かりよく納得してほしくなかった。
「すみません……俺の力不足のせいで、作品の魅力をちゃんと伝えられなかったからです」
喉の奥が熱くなって、語尾がかすれた。
リッジウェイさんは、優しく首を横に振った。
「君のせいじゃないよ」
「でも……!」
もう俺は、半分泣きそうだった。
「石野君は、作品そのものを純粋に愛してくれているんだね」
「はい。俺、誰が使ったかとか、そんなこと考えたこともありませんでした。ただ、ここでこうして見て、綺麗だな、好きだなって……。俺、次からは、ちゃんとお客さんにこの良さを説明します。絶対に魅力を伝えてみせます!」
俺の鼻声混じりの宣言に、リッジウェイさんはふわりと優しく微笑んだ。
「ありがとう。……君のその真っ直ぐな『好き』が、いつかきっと、誰かの心を動かすかもしれないね」
その時、ティールームの方から「すみませーん!」とお客さんの呼ぶ声が響いた。
「あっ、俺、行きます!」
何とか涙を引っ込めて、テーブルに到着するまでの数歩の間に、精一杯の笑顔を作った。
*
閉店後、リッジウェイさんが、一通の封筒を手渡してくれた。
「はい、七月分のお給料。いつも頑張ってくれてありがとう」
――そうか、今日は世間でいう給料日というやつだったのか。
「あ、ありがとうございます!」
記念すべき人生初めてのお給料を手にして、今までの月日がフラッシュバックする。俺は封筒の厚みよりも、はるかにたくさんのものをもらっている。それだけに、リッジウェイさんの優しい笑顔と、「いつも頑張ってくれてありがとう」っていう言葉が、何よりも胸に染みて嬉しかった。
実は、俺はもうこのお金で買うものを決めていた。
併設されたショップに並ぶ、数ある素晴らしい陶磁器の中に、どうしても俺の目が離せなくなってしまった一品があるのだ。
「俺、今すぐショップで買いたいものがあるんですけど」
「え、今?……どれかな?」
俺はずっと決めていたお目当てのティーカップを棚から両手で取り出した。
1830年頃に作られた、気品のあるオールドイングリッシュハンドルの、縁が波打つフルーテッドカップ。
「リッジウェイさん、これ、買います」
リッジウェイさんは目を丸くして、ものすごく驚いた。
「えっ!? お給料、かなり使っちゃうよ?! あ、でも……石野くんが買ってくれるなら、うんと安くするね」
「いえ! いいんです! 俺、これは絶対に定価で買いたいんです!」
俺の勢いに押されて、リッジウェイさんはたじろいだ。
「え……本当にいいの?……でも、どうして、この作品にしてくれたの?」
リッジウェイさんが、少し照れくさそうに、だけど嬉しさを隠せない様子で聞いた。その白い頬に、ほんのりと赤みが差していく。
「この紺色、すごく奥行きがあって吸い込まれそうに綺麗ですし、バラを中心にまとまった花束も、柔らかい雰囲気で本当に素敵です。それに、この白……まるで雪みたいに温かみのある白で、この形も、全体のバランスが上品で完璧です。一目見た時から、ずっと格好いいなって思ってて……」
――どこか彼と似ていて、同じ名前の—―リッジウェイ窯の作品だから。
最後の理由は、胸にしまっておく。
言い終わると、リッジウェイさんはさっきよりもさらに顔を赤くして、弾むような笑顔を咲かせていた。
熱くなっていく自分の顔を自覚しながら、俺もきっと、その半分くらいは真っ赤になっていただろうな、と思った。




