宝石
ティールームへの道のりを歩きながら、俺はさっきの出来事を頭の中でぐるぐると反芻していた。
「インスタ交換しよ」と無邪気にスマホを差し出してきた宮崎さん。それを見て、あからさまに不機嫌な目を向けてきた鈴木。さらにその横で、「空気読めよ」とばかりに俺を睨みつけていた山田。あいつら、絶対あとで何か言ってくるに違いない。思春期の人間関係って、どうしてこうも面倒くさいんだ。
そんなことをぐだぐだと考えているうちに、『ローズ&クラウン』に着いた。バックヤードの扉を開けると、ミーキンさんが若い女性と何か話をしているところだった。女性は残念そうに「失礼します」と頭を下げて出て行った。
ミーキンさんは小さくため息をつき、それから俺に気づいてふわりと微笑んだ。表情の切り替えが、いつもより一拍だけ遅い気がした。
「お疲れ様、石野君。今日も暑いねー」
「今の人は……?」
「あー、バイトしたいって言ってきたんだけど、断っちゃったんだ」
「えっ、そうなんですか?」
こんなに忙しそうなのに、人手を増やさない理由があるのだろうか。
「経営的に、そこまで余裕ないからねー」
「ええええ!」
思わず素っ頓狂な声が出た。
「うちの店ってさ、良い食材を使ってるから原価率が高くて。おまけに長居するお客さんが多いから、回転率も悪いんだよね」
「確かに。この前なんか、五時間くらいずっとおしゃべりしてるグループもいましたよね。それじゃあ、七十分の時間制にして、十二時から十八時までで五回転させたらどうですか? あとはもっとシンプルなメニューに絞るとか……」
俺の拙い提案に、ミーキンさんは苦笑した。
「うーん。俺もリッジウェイも、お茶やケーキのクオリティは絶対に落としたくないんだ。お客さんには時間を忘れてゆっくりしてもらいたいし、時間制とかにはしたくないんだよね」
「まぁ、そうですよね。そこがローズ&クラウンの魅力ですし」
「うん。ヨーロッパのカフェなんかだと、おかわり自由のコーヒー一杯で、一日中新聞を読んで過ごすおじさんとか当たり前にいるんだよ」
「それはすごいですね……って、そんなんでよくお店やっていけますね」
「あはは、ねー。不思議なんだけど、そういうお店って根強いファンが多くて、なんだかんだやれちゃうんだよね」
ミーキンさんはどこか楽しそうに笑う。だが目の奥には、さっきまでの憂いがまだ少し残っている気がした。
「そうなんですね。でも、バイトを雇う余裕がないくらいなら、俺は……ここにいていいんでしょうか?」
恐る恐る尋ねると、ミーキンさんはまっすぐに俺の目を見た。空気が一瞬、静かになる。
「石野君は、特別だよ。君の代わりになれる人なんかいないからね」
うわー!!
脳内で変な声が響いた。頬の内側が、かっと熱くなる。
「あ、ありがとうございます! お給料以上に価値を出せるようにがんばります!」
照れ隠しのように勢いよく宣言すると、「あはは、ありがとう。これからもよろしくね」と優しい声が返ってきた。
「じゃあ、俺キッチン手伝ってきます!」
深くお辞儀をして、逃げるようにバックヤードを後にした。
キッチンに入ると、リッジウェイさんが手際よくアイスティーを仕上げているところだった。
細かく四角にカットされたマンゴーと、淡いピンクの桃のゼリーがたっぷりと乗ったトロピカルアイスティー。透き通った琥珀色の紅茶の中で、黄色とピンクのゼリーが宝石のようにキラキラと輝いている。氷がグラスの中でカラン、と小さな音を立てた。
「お疲れ様です! 何からやりましょうか?」
「お疲れ様。今はフロアも落ち着いているところだから、とりあえず休んでて。これ、石野君に。よかったら飲んで」
「ええっ!? いいんですか?」
リッジウェイさんのオリジナルレシピ。メニューで見れば八百円もする特別なアイスティーだ。俺なんか水道水で充分なのに、素直にめちゃくちゃうれしい。
「ありがとうございます。いただきます!」
丸いスツールに腰掛け、グラスを傾ける。
ストローから飛び込んでくるゼリーのプチプチとした食感がたまらない。アイスティー自体にもフルーツの豊かな風味が溶け込んでいて、ほんのりと優しい甘さが口いっぱいに広がる。外の暑さでカラカラだった舌の奥が、じんわりとほどけていく。
「すっごくおいしいです!」
「本当? じゃあ、よかった」
リッジウェイさんは満足そうにふふっと笑った。俺はこの店でバイトできて心底幸せ者だな、と思う。
俺がもし女の子だったら、このティールームでのバイト事情も、リッジウェイさんやミーキンさんとの関係性も変化していたんだろうか。ふたりが今まで以上にかっこよく見えて、普通に恋愛に発展したりしたんだろうか。……いや、そんな乙女ゲームみたいな展開、想像するだけでも恥ずかしい。
「後で、石野君に見てもらいたいものがあるんだ」
「な、なんですか?」
「さっきイギリスからアンティークのティーカップが届いてね。ショップに飾ったばかりなんだ」
アイスティーをありがたく飲み干した俺は、リッジウェイさんに連れられて併設のショップスペースへと向かった。
そこには、手のひらにすっぽりと収まるほど小さなカップが鎮座していた。デミタスよりもさらに小さく、全体が眩いほどの黄金色に輝いている。そしてその表面は、ターコイズブルーの細かな粒で一面が覆われていた。窓から差し込む午後の光を受けて、粒のひとつひとつが違う角度で瞬いている。
こんなに小さくて、キラキラした、まるで本物の宝石のようなカップなんて見たことがない。
「スゲー……」
思わず声が漏れた。
「コールポートの『ジュエル』シリーズだよ。職人が一つ一つ筆で点を打っていったり、ステンシルで粒を残したりして、この規則正しい模様を描いているんだ」
「これでコーヒーとか飲めるんですか? 一口で終わっちゃそうですけど。あと、きれいだけどこのつぶつぶ、唇に当たったりしないのかな?」
俺の素朴な疑問に、リッジウェイさんは首を横に振った。
「これはキャビネットカップと言ってね。キャビネットに飾って鑑賞するために作られたものなんだよ。当時、コレクションとして並べるのが貴族の間で流行ってね」
「飾るためだけのカップ! なんて贅沢な趣味なんだ……!」
ため息が出るほど美しいカップを見つめながら、俺は呟いた。
「俺も、いつかそんなふうにしてみたいです」
リッジウェイさんが隣で優しく笑う。
日常の面倒くさい人間関係でささくれ立っていた心と、俺の中にあった“キラキラ”への欲求不満は、もうすっかり満たされつつあったーーその時。
「ねえ、石野君。今夜予定ある?」
唐突な問い掛けに、モヤモヤなんて一瞬で吹っ飛んでしまった。




