キラキラ
小さい頃から、キラキラしたものが好きだった。
川底で光を弾く小石。砂浜に打ち上げられた貝殻。カブトムシやクワガタよりも、瑠璃色のアゲハチョウや蛍の光に夢中になった。幼い頃の夏休みの記憶は、そういう美しいものたちと心ゆくまで戯れていた時間でできている。
『ローズ&クラウン』は、そんな幼少期のときめきをそのまま思い出させてくれる、唯一の場所だ。できることなら、ずっとあの空間に浸っていたい。
だが、現実は甘くない。
一切の「キラキラ」を削ぎ落とした、蛍光灯だけが白々しい予備校の教室。壁も机も、ため息みたいに色を失っている。何のときめきも感じられないこの空間で、俺は講師の到着を待つ憂鬱な午後を過ごしていた。
第3週目は母の策略によって、昼から午後4時という最悪な時間帯のコマを入れられてしまった。これでは、今日ティールームで働けるのは2時間もない。
頬杖をつき、スマホの画面を滑らせる。eBayの新着通知をチェックしてみるが、今日も琴線に触れるような陶磁器の出品はない。ゲームのガチャ代わりにこれを覗くのが、最近の俺の日課になっていた。
「石野くん、同じクラスだったんだ」
聞き覚えのある声に顔を上げると、私服なので一瞬誰だかわからなかったが、宮崎さんが立っていた。鈴木が片思いをして、そして呆気なく散った相手だ。
「あー、宮崎さんもここなんだ。ほんと、うちの学校の生徒多いよね。……鈴木と山田もまだ来てないけど、このコマだよ」
「あ、そうなんだ? ねぇ……石野くんって、ローズ&クラウンでバイトしてるよね?」
「え、なんで知ってんの?」
「鈴木くんから前にマグカップをもらったんだけど、どこで買ったのか聞いたら教えてくれて」
「あぁ、そっか。パディントンのやつか」
「すごく可愛かったから、他にもないかなと思ってお店に行ってみたんだよね」
「えっ、マジで? 俺がいない時か」
「うん、友達とお茶してショップも覗いたんだけど、ケーキもおいしかったし、本当に素敵なお店だなって。パディントンのお揃いのお皿、買っちゃった」
「あ、あのシリーズ可愛いよね。俺のお気に入りはエッグカップなんだけど……パディントンが卵をスプーンでガーンって割ってて、殻が飛び散ってる絵柄のやつで——」
心が弾み、つい身を乗り出して宣伝しようとした、その矢先。
誰かの視線が刺さった。針で突かれたような、鋭い視線。いつの間にか鈴木と山田がそこに立っていた。鈴木は何も言わない。ただ、口角だけが下がっている。
「あー……おす。鈴木、山田」
宮崎さんが振り返り、パッと表情を明るくする。
「あ、鈴木くん、山田くん! 久しぶりー」
「お疲れー。……何の話?」
低く抑えた声で、鈴木が割り込んできた。
「石野くんのバイト先のティールームの話をしてたんだよ」
俺が口を開くより早く宮崎さんが答えると、鈴木は「あー、そう」と気のない返事をした。
「俺らも2回行ったわ」と、山田が言い添える。
「私もあんな素敵なところでバイトしてみたいなぁ。ねぇ石野くん、お店の人に募集してないか聞いてみてくれない?」
「無理」
考えるより先に、強い拒絶の言葉が口をついて出た。自分の声の硬さに、自分で驚く。
一瞬で空気が凍りつく。しまった、と焦りながら、俺は咄嗟に後付けの理由をでっち上げた。
「……あそこ、紅茶や陶磁器の知識に関するテストがあるから。結構厳しいんだよ」
「あぁ、そうなんだー。じゃあ私には無理かなぁ」
完全な嘘だったが、幸いにも素直に納得してもらえたようだ。安堵と罪悪感が、同時に胸の奥で音を立てる。
タイミングよく予備校のチャイムが鳴り響き、それぞれの席へと散っていく。
講師が教壇に立ち、万葉集の解説を始めた。黒板に滑るチョークの音を聞きながら、俺はさっきの自分の対応を猛省していた。
なぜ、反射的に「無理」なんて言ったのか。
答えは簡単だ。俺は宮崎さんの存在を、心のどこかで「邪魔だ」と思ってしまった。あの大切で、キラキラした俺たちの聖域に、彼女に踏み込んでほしくなかった。
お客さんとして来てくれるなら、心から歓迎する。けれど、俺たちの「内側」にまで入り込んで、あの空気をかき乱してほしくない——そんな身勝手で都合のいい独占欲が、咄嗟に嘘をつかせたのだと、今さら気づく。
「……さわらびの萌え出る春になりにけるかも」
スピーカーから流れる講師の声が、千年以上前の人々が詠んだ「思春期の葛藤の歌」を解説している。昔の人も、他人から見れば取るに足らないようなことで悩み、傷つき、泣いたり笑ったりしていたのだろうか。
……今の俺のこの鬱屈した感情も、いわゆる「思春期」ってやつなのだろうか。
ようやく授業が終わった。
俺は逃げるようにテキストとペンケースをカバンに突っ込み、席を立った。すると、スマホを握りしめた宮崎さんが通り際に声をかけてきた。
「石野くん、よかったらインスタ交換しようよ」
「あー、ごめん。俺インスタやってないんだ。急ぐから、またね」
素っ気なく断ると、宮崎さんはあからさまに落胆した表情を見せた。
ふと、彼女が手にしていたスマホの透明ケースが目に入る。以前そこに挟まっていたはずの「他校のイケメンの写真」が、綺麗に消えていた。
……え? まさか、それってそういうことじゃないよな?
頭に浮かんだ不穏な疑問を振り払うように、俺は背中に突き刺さる鈴木と山田の気配を無視して教室を後にした。




