ティールームのお仕事
昼休み、俺は普段なら絶対に足を踏み入れない場所にいた。図書室の奥、美術・工芸カテゴリーの棚の前だ。
学校の図書室なだけあって、ヨーロッパの陶磁器関係の本は数えるほどしかなかったけれど、とりあえず棚にあるものを全部引っ掴んでカウンターに持っていった。
ずっしりとした本の重みを脇に抱えて廊下を歩いていると、案の定、最悪なタイミングで鈴木と山田に捕まった。
「おい湊、お前何持ってんの?」
「……陶磁器の本だよ」
「なにそれ、渋っ! おじいちゃんかよ!」
ゲラゲラと笑うふたり。まぁ、普通の高校生の反応はこれだよな。
「あのさ、俺ティールームでバイト始めたの。いっぱい覚えることあんだから、お前らと違って忙しいの」
「何そのバイト、ハードル高。……へぇ、でも今度行くわ、そこ」
「来なくていいって!」
「えー、どこの店? 教えろよ」
「あー、うるせー! もう本当に来なくていいから!」
「釣れねぇなぁ」
ニヤニヤ笑うふたりを振り切り、教室に戻る。
その後の興味のない授業の間は、教科書の陰に隠してさっき借りた本を読んでいた。
中国からヨーロッパに渡った白い磁器を見本にして、最初にヨーロッパで磁器化に成功したのがドイツのマイセンで、なんとそれを発明したのは幽閉された錬金術師だったらしい。……マジか、まるで漫画かゲームの設定みたいじゃん。
そこからフランスやイギリスが追随していくっていう歴史の流れに、ぐいぐい引き込まれていく。
―――でも、うちの店はイギリスの商品しか置いてないんだよな。なんでなんだろう……
そんな疑問を頭の片隅に残したまま、放課後のチャイムと同時に、俺は速攻でバイト先へと向かった。
店の入り口には、すでに順番待ちのお客さんが数組並んでいた。相変わらずの人気だ。俺は裏手に回り、通用口から滑り込む。
ブレザーをハンガーにかけ、ネクタイを緩めて外し、茶色のエプロンの紐を腰の後ろでキュッと結ぶ。よし、スイッチオンだ。
オーナーのリッジウェイさんは、忙しそうにキッチンでケーキを取り分けていた。
「よろしくお願いします!」
「あ、石野君、助かるよ」
俺の声に、リッジウェイさんがホッとしたように微笑む。
「3番テーブルのお客さんに、これをお出ししてもらえるかな?」
「はい、わかりました!」
ケーキと紅茶が載ったトレーを慎重に持ち上げる。慣れない手つきのせいで一瞬ひっくり返しそうになり、冷や汗が出た。
慎重に3番テーブルへ運ぶ。しかし、席に座る客の顔を見た瞬間、俺の心臓は止まりそうになった。
お母さんだ。ママ友とふたりで、おしゃべりに夢中になっている。
なんでここにいるんだよ……!
「お待たせいたしました」
喉の奥がひきつるのを感じながら、努めて平静な声を出す。
「あら、湊! 本当に働いてる。来ちゃった!」
来ちゃったじゃねーよ! と心の中で全力でツッコむ。
「ちょっと、店長さんにご挨拶しようかしら」
「今忙しいからマジでやめて」
頬の筋肉に力を入れたまま、声だけを落として釘を刺す。
「あら、お久しぶり、湊くん。大きくなったわねぇ」
紫のカーディガンを着たママ友が、目を細めて声をかけてくれた。
「お久しぶりです」
頬が強張るのを感じながら、慎重にカップをテーブルに置いていく。
ママ友の前にはアイリスの柄のカップ。お母さんの前には、鮮やかな黄緑色のカップだ。
「そちらは、シェリーの『アイリス』です。こちらは、コールポートの『バットウイング』になります」
さっきリッジウェイさんにこっそり教えてもらった知識を、さも前から知っていたかのようにそれらしく解説してみる。
「まぁ素敵ね。でもバットウイングってネイビーのイメージだったけど、黄緑もあるのねぇ。他にどんな色があるのかしら?」
ママ友からまさかの鋭いカウンターが飛んできて、一瞬、頭の中が真っ白になった。
やばい、答えられない――いや、思い出せ、店の食器棚を思い出すんだ……! 頭の中で棚の景色を高速スクリーニングする。
「……そうですね。赤やピンク、グレー、紫、それから黄色などもございます」
「へぇ、そんなにあるの。集めたくなっちゃうわね」
ママ友とお母さんが感心したように頷く。……あぶねぇ、セーフだ。心臓に悪すぎる。
キッチンに戻ると、一部始終を見ていたリッジウェイさんが「グッジョブ」と親指を立ててくれた。それだけで、いたたまれなかった気持ちが一気に晴れていく。
お母さんたちが帰り、次のお客さんを案内しようとドアを開けた。その瞬間、俺はドアを閉めそうになった。
「おーす、湊! あとつけてきちゃった」
「うわ、湊、本当にエプロンしてんじゃん!」
鈴木と山田だった。
「くんなって言っただろ!」
店内に響かないよう、できる限り声を抑えて睨みつける。マジで今日は厄日か?
「店長さーん! この店員、めちゃくちゃ態度悪いんですけどー」
ニヤニヤしながら奥に向かって声をかけるフリをする鈴木の口を、慌てて塞ぐ。
「おまっ、ふざけんな! ……あーもう、しゃーねーな、入れよ!」
観念して、ダチの2人を店内に通した。
ティールームという空間が珍しいのか、ふたりはキョロキョロと挙動不審に周囲を見回しながら席につく。周りは上品な女性客ばかり。制服姿の男子高校生2人組は完全に浮きまくっていて、明らかにキョドっている。ふん、ざまーみろ。
「メニューです。今日の日替わりケーキは『レモンドリズルケーキ』になります」
「レモンドり……? 」
「それから、クリームティーもおすすめです」
完全に理解不能といった顔の鈴木が、諦めたように言った。
「じゃ、じゃあそれで」
「俺もそれで」
「かしこまりました」
運ばれてきたスコーンを前に、2人はぽかんと固まっていた。初めて見る謎の焼き菓子と、横に添えられたクロテッドクリーム、イチゴジャムを交互に見つめている。
「これが、クリームティー??」
「スコーンと紅茶のセットのことをイギリスではそう呼ぶんです」
「これ、どうすんの?」
「横半分にナイフで割って、クリームとジャムを一緒に付けて、お召し上がりください」
二人はおとなしく俺の言う通りにして、そっと口に運んだ。
「……うま」
「マジ、これうまくね!?」
当たり前だ。リッジウェイさんのスコーンは絶品なんだから。ありがたく味わえよ。
キッチンに戻ると、リッジウェイさんが優しく微笑みかけてくれた。
「石野君、お母様の次は、お友達も来てくださったんだね。ありがとう」
その一言をかけられた瞬間、胸の奥にすとんと何かが落ちた。……恥ずかしがって邪険にしちゃったけど、あとでみんなにお礼言おう。
そこからは怒涛の忙しさで、2時間くらい働いたのに、体感時間はたったの5分だった。あっという間に閉店時間を迎え、片付けを終える。
「石野君、お茶にしようか」
リッジウェイさんがエプロンを外す。俺はこの時間が、一日の中で一番好きだ。
リッジウェイさんが丁寧に淹れてくれた紅茶と、売れ残ったケーキが大皿に載せられてテーブルに運ばれてくる。
「好きなのを食べてね」
全部魅力的だけど、迷わずレモンドリズルケーキを選んだ。
口に入れた瞬間、レモンの爽やかな香りがふわりと広がり、甘酸っぱくてどこか優しい味が舌の上に残る。
「すっごく美味しいです……!」
「そう言ってもらえて嬉しいよ」
リッジウェイさんがニコッと笑う。
「スコーン、良かったら持って帰ってね。袋に入れて冷凍したら1ヶ月くらいは持つから」
「はい! ありがとうございます! いただきます!」
幸せって、きっとこういうことだ。
俺はリッジウェイさんに、すっかり餌付けされてしまっている。




