幕間 カップの行方
夜のマンションは静かだった。リビングの窓の外では街の灯りがぽつぽつと滲み、テーブルの上では二つのティーカップから細い湯気が立ちのぼっている。
「どう?紅茶のアレンジの方は」
ミーキンが尋ねると、リッジウェイはカップを両手で包み込むようにしながら小さく頷いた。
「うん、まぁ何とか。果肉入りのアレンジティーにしようと思ってさ。マンゴーとか、桃を入れてみようかと」
「美味しそうだね」
向かい合ったまま、二人はしばらく無言でお茶を口に運んだ。やがてリッジウェイが、ふと思い出したように口を開く。
「そういえば……石野くん、今日もアイデア言ってこなかったな」
「彼のことだから、きっと一生懸命考えてくれてるんだろうね。少し課題が重かったかな」
「彼、大変な時でも顔に出さないからね。どんなに忙しくても、いつも笑顔で接客してくれてるし」
「ほんと、いい子だよね」
「うん」
同意しながらも、リッジウェイはどこか申し訳なさそうに視線を落とし、カップのふちの金彩を指先でなぞった。その仕草に、ミーキンはわずかに目を細める。
「……ついこないだのことなんだけどさ。悪いことしちゃったなって、反省してることがあって」
「ん? 何、どうしたの」
「実はさ……俺と石野くんが、初めて話すきっかけになったティーカップがあったんだよ。それを使ってたお客さんが『買いたい』って言ってくれて」
「うん」
「俺、お客さんの前で石野くんからそれを聞いて、一瞬間が空いちゃって。彼はどうしたいのかなと思って顔を見たんだけど、表情からは全然読み取れなくてさ。『売りたくないです』って言わないから、いいのかなと思ってそのままお客さんに譲ったんだ」
リッジウェイは眉をわずかに寄せ、言葉を選ぶようにゆっくりと続けた。
「その後も彼は普通に、いつも通り笑顔で働いてたからさ……あぁ、そこまで執着はなかったのかなって思ってたんだけど。後でお茶の時間になった途端、急に泣き出しちゃって。……もっと早く気づいてあげられてたらよかったなって」
黙って耳を傾けていたミーキンは、そっと自分のカップをテーブルに置くと、穏やかな眼差しをリッジウェイに向けた。
「彼は多分、自分の立場をよく分かってるからこそ、自分の感情よりもお客さんや君の判断を優先しちゃったんだと思うよ。それに、お店にとってそれが正しいことだと思ったから黙っていたんだと思う。それは……その時、彼自身が選んだ行動だから」
一呼吸置いて、ミーキンはやわらかく微笑んだ。
「また新しく、思い出を作っていけばいいんじゃないかな」
「……うん。そうだよな」
胸のつかえが少しほどけたように、リッジウェイは静かに息をついた。
「でも、俺ももうちょっと、あの子の気持ちに気づいてあげられるようになりたいな。……ミーキンはいつも、お客さんの悩み相談とかちゃんと乗れてるよな。こういう微妙な感情の揺れ動きとか、俺だったら絶対見落とすよ。やっぱり俺って、ちょっと鈍いところあるのかな」
「あはは」
ミーキンは思わず声を漏らして笑う。
「そこが、君の可愛いところでもあると思うけど」
「……かわいいって、なぁ」
リッジウェイは観念したようにふっと息を吐き、小さく笑った。
「敵わないな、ミーキンには」
夜のリビングに、心地よい静けさが広がっていった。




