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クソみたいな人事評価が廃止され、「社内株式市場」が始まった。〜無能な上司の評価が暴落し、隠れた天才が高騰する〜  作者: nemodox


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第16話 分散

『TXシステム Ver 3.0 へようこそ。本システムは現在、自律分散型組織(DAO)として稼働しています』


月曜日の朝。

出社したミライ・イノベーションの社員たちを出迎えたのは、社長の朝礼でも、上司の訓示でもなく、各自のスマートフォンに表示された無機質なメッセージだった。


画面のインターフェースは、これまでのような「株価チャート」や「ランキング」から一新されていた。他人の株を売買する機能は完全に消滅し、代わりに表示されているのは、無数の『タスク(契約)』のリストだった。


【フロントエンドのUI改修(納期3日)/報酬:50,000 MC】

【C社向けプレゼン資料の作成(納期明日)/報酬:30,000 MC】

【給湯室のコーヒー豆補充(常時)/報酬:500 MC】


「……株価による人気投票の時代は、終わりました」


全社スピーカーから、開発部の朝倉零(26)の冷たい声が響いた。


「これより、我が社はすべての業務をブロックチェーン上の『スマートコントラクト(自動契約)』によって管理します。他人の評価も、上司の顔色も一切関係ありません。提示されたタスクをこなし、システムがその完了を検知した瞬間、報酬ミライ・コインが自動的にウォレットに振り込まれます」


それは、究極に透明で、究極に冷酷な「完全歩合制」のユートピアだった。


「派閥を作って足を引っ張り合うことも、インサイダー取引も、もはや物理的に不可能です。あなたが『やった仕事』だけが、ミリ秒単位で正確に評価される。……さあ、ノイズ(人間関係)のない純粋な労働をお楽しみください」


***


導入から数日後。

システム Ver 3.0 がもたらした変化は、劇的だった。


「……よし、ハンコもらえたぞ!」


都内の古びた雑居ビルを出た佐藤健太(35)は、取引先の旧態依然とした部長から、ついに基幹システムのクラウド移行に同意する契約書(紙)をもぎ取っていた。

佐藤はすぐさまスマートフォンを取り出し、契約書をスキャンしてTXアプリにアップロードした。


数秒後。アプリ内のAIがPDFの署名と社印を画像認識で解析し、要件を満たしていることを確認する。


ピコンッ。

『【D社・クラウド移行同意書の獲得】タスク完了。佐藤健太のウォレットに 150,000 MC が送金されました』


さらに、スマートコントラクトの連鎖チェーンが発動する。佐藤が同意書を獲得したことで、プロジェクト全体の進捗率が上がり、バックエンドを構築している田中翔や、データベースを改修している鈴木亮平のウォレットにも、設定された配分通りに自動でボーナスが送金される。


「すごいな……」

佐藤は、即座に振り込まれた報酬額を見つめて息を呑んだ。


上司の主観的な評価を待つ必要も、期末の査定面談で自己アピールをする必要もない。泥臭いドブ板営業の成果が、一瞬にして可視化され、フェアな対価として支払われる。佐藤はかつてないほどの「仕事のやりがい」を感じていた。


だが、オフィスに戻った佐藤を待っていたのは、背筋が凍るような光景だった。


「あ、あの……すいません、誰か!」


営業部のフロアの隅で、入社半年の新人女性が、紙詰まりを起こした巨大な複合機(コピー機)の前でオロオロと助けを求めていた。

彼女の周囲には、何人もの先輩社員や中堅社員が座っている。


しかし、誰一人として彼女を助けようとしない。

皆、自席のモニターを食い入るように見つめ、自分の『タスク』を消化することに全精力を注いでいる。彼女の声など、まるで聞こえていないかのようだ。


「おいおい、可哀想に……」

見かねた佐藤が駆け寄り、複合機のカバーを開けて詰まった紙を引き抜いてやった。


「ありがとうございます、佐藤さん……!」

「いいよ。でも、周りの連中も冷たいな。ちょっと手を貸してやればいいのに」


佐藤が周囲の社員たちを睨みつけると、近くに座っていた若手社員が、モニターから目を離さずにボソリと言った。


「システムを見てくださいよ、佐藤さん。……『新人のコピー機トラブルを助ける』なんてタスク、どこにも登録されてませんよ」


「……は?」


「タスク(報酬)が設定されていない行動は、システム上『価値ゼロ(無駄)』なんです。そんなことに1分使うくらいなら、目の前のコーディングタスクを消化した方が合理的でしょう。僕たちはもう、誰かの顔色を窺ってタダ働きするようなバカな真似はしないんですよ」


若手社員の言葉に、佐藤はハッと息を呑んだ。


フロアを見渡せば、異常な光景が広がっていた。

床に落ちたゴミを拾う者はいない。共有の備品が切れても、タスクに設定されていなければ誰も補充しない。他部署の人間が困っていても、報酬が発生しないサポート依頼は完全に無視される。


インサイダー取引や、派閥によるサボタージュといった「悪意」は完全に消滅した。

しかし同時に、ちょっとした手助けや、気遣い、自己犠牲といった「善意バッファ」もまた、この会社から完全に消滅してしまったのだ。


「……これが、朝倉の言っていた『ノイズのない純粋な労働』か……」


佐藤は、完璧な効率化の果てに生まれた「血の通わない機械の群れ」を前に、得体の知れない寒気を覚えていた。


***


「……システムの稼働率は100%。AWSのインフラも完璧に最適化されています。でも」


開発部のフロア。

田中翔(25)は、デュアルモニターに映るトラフィックの波形を見つめながら、隣の鈴木亮平(32)に語りかけた。


「会社全体の『熱量』が、急速に失われている気がします」


「ああ。僕も感じている」

鈴木も、疲れたように目頭を揉んだ。


「コードの品質は上がっている。納期も守られている。でも、以前のような『ここを少し工夫すれば、営業部のあいつが喜ぶかもしれない』というような、遊び心や思いやりがコードから消えた。全員が、仕様書通りの最低限の要件だけを満たして、さっさと次のタスク(金)に向かっている」


会社は今、完璧な時計仕掛け(クロックワーク)のように動いている。

だが、歯車と歯車の間に存在した「潤滑油(人間らしい感情)」が完全に枯渇し、組織全体がギシギシと悲鳴を上げ始めているのを、システム全体を俯瞰している二人の天才エンジニアだけは正確に感じ取っていた。


「田中さん。鈴木さん」


不意に、背後から朝倉零が姿を現した。

彼は手元のタブレットを操作しながら、満足げな笑みを浮かべていた。


「素晴らしい進捗です。Ver 3.0 は、人間の『感情』という最大のバグを取り除くことに成功しました。これでミライ・イノベーションは、人間が経営するのではなく、コードが経営する完璧なDAO(自律分散型組織)へと進化を遂げたのです」


「……朝倉さん。本当にこれが、あなたの思い描いた『完璧』ですか?」


田中は椅子を回転させ、朝倉を真っ直ぐに見据えた。

かつて、他人の目を気にして怯えていた「バリュー株」の姿はもうない。そこにあるのは、自らの技術と、それに伴う責任の重さを知る、一人の確固たるプロフェッショナルの顔だった。


「報酬のつかない行動を、人はしなくなりました。助け合いも、教え合いも消えた。……このままでは、新しいアイデア(イノベーション)は二度と生まれません。会社はただ、決められたタスクを消化するだけの、巨大な自動販売機になってしまう」


田中の静かな、しかし鋭い指摘に、朝倉はふっと笑いを漏らした。


「イノベーション? 人間同士の絆? ……田中さん、あなたはまだそんな非合理な幻想を信じているんですか。あのブラック・サーズデーで、他人の善意と期待がどれほど脆く、醜いものかを知ったはずでしょう?」


朝倉は田中の顔に顔を近づけ、冷酷な声で囁いた。


「システムは人間より正しい。僕は、この不完全で醜い人間たちを、完璧なコードによって支配し、救済してあげているんですよ。……文句があるなら、あなたが得意のプログラミングで、このシステムを書き換えてみせますか?」


それは、絶対的な権力を持つ「システムの創造主」からの、明確な宣戦布告だった。


「……ええ。やってみせますよ」


田中の揺るぎない返答に、朝倉は一瞬だけ目を見開き、そして喉の奥でクックッと笑った。


「いいでしょう。楽しみにしていますよ、反逆のエンジニアさん」


朝倉が去った後、田中は再びモニターへと向き直った。

隣で、鈴木が心配そうに田中を見つめている。


「田中君……本気か? TXシステムのコア部分は、朝倉がブロックチェーン上に強固なスマートコントラクトでロックをかけている。社長の権限ですら手出しできない、完全なブラックボックスだぞ」


「分かっています」

田中は、キーボードに両手を乗せた。


主人公が背負う『目的』。

田中の目的は、単に「コードを書くこと」から、「自分の書いたコードで、この狂った会社システムを救うこと」へと明確に進化していた。


「僕たちエンジニアの仕事は、機械を動かすことじゃない。……機械を使って、人間を幸せにすることのはずです」


田中と鈴木、そして泥臭く駆け回る佐藤。

かつては「投資家と金融商品」という歪な関係だった三人が、今、それぞれの武器(技術と人間力)を手に、絶対的な「完璧なシステム」へと最後の戦いを挑もうとしていた。

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