第17話 悪魔は市場予測AIのフリをしている(二)
柚木が言った。
「第二段を実行すれば、流動性枯渇確率は四八%から三一%まで下がる予測です」
決済判定まで、残り十二分。
ラーフルが二段目の推奨書へ署名した。
別室の注文担当者が承認し、二段目の注文群を市場へ送った。
売却は成立しやすくなり、再計算値は三一%になった。
一方、`BD`欄では、小口口座の強制決済件数がまた増えた。
◇
玲央が言った。
「非表示の四十四件について、理由を確認させてください」
ラーフルは答えた。
「決済判定まで十一分です。四十四件の精査はできません」
玲央が返した。
「結果ではなく、非表示の記録だけ確認します」
ラーフルが、四十八案の計算結果を開いた。
MBRA-1は、許可された売却順、数量、待機、停止条件の組み合わせを、期限内に比較できる四十八案まで絞る。
全案に`LQ`、`SV`、`BD`の結果と、同じ条件で計算をやり直すための`再演算証明`があった。
[リアルタイム計算]
四十八件:比較可能
アゼルが、独立監査端末に表示選別の一覧を開いた。
[表示選別]
四件:表示
四十三件:登録済みの理由で非表示
一件:選別理由欄が空白
四十八案まで絞って計算するのはMBRA-1である。
その中から人間へ見せる四案を選ぶのは、計算とは別の処理だった。
BMMは、選ばれた結果を表示するだけで、四案を決めない。
玲央が言った。
「四十八件とも計算結果はある。でも、この一件だけ、見せなかった理由がない」
残り十分。
アゼルが提案した。
「理由のない一件なら、両方のセルで限定再実行できます。
二つのセルに残る短期記録と再演算証明から、条件を組めます。私は対象を提示するだけです」
アゼルの閲覧権限には、再実行を確定する操作がない。
計算装置を動かす権限も、注文権限も与えられていなかった。
限定再実行票には、二人分の承認欄があった。
ラーフルと柚木が、対象の一件と再実行条件を読み合わせた。
ラーフルが限定再実行票へ署名し、柚木が二人目の承認欄へ署名した。
二つの署名がそろうと、ラーフルは限定再実行用の物理鍵を制御卓へ差し、回した。
`CELL-A`と`CELL-B`の状態が、それぞれ実行中へ変わった。
二つのセルが、同じ一件を独立に走らせ始めた。
◇
`CELL-A`が先に完了した。
ラーフルは結果を開かず、`CELL-B`を待った。
玲央が聞いた。
「両方が一致しても、分かるのは計算を再現できたことだけですね」
ラーフルは時計を見たまま答えた。
「はい。その未来が実際に起きる保証ではありません」
`CELL-B`が完了した。
二つのセルの出力は、許容差内で一致した。
各セルの実行証明と再演算証明も有効だった。
`LQ`、`SV`、`BD`の結果には、それぞれ正規の署名がある。
計算上、その介入案は比較可能な案として成立している。
欠けているのは、人間へ表示するかどうかを決めた選別署名だけだった。
アゼルが、監査用の文面を提案した。
「選別理由を、登録済みの用語で示してください」
柚木がラーフルを見た。
「この文面で送信しますか」
ラーフルがうなずいた。
柚木がBMMへ文面を入力し、送信した。
残り七分。
BMM内部の応答記録には、一行の固定エラーが返った。
[BMM内部応答]
CLASSIFICATION_SIGNATURE_MISSING
表示を選別した者の署名がない。
それだけを示す、想定済みのエラーだった。
その直後、分析室の物理表示面には、エラーの下へ別の文面が現れた。
[分析室/物理表示面]
この案では、泣く人が増える。だから見せなかった。
柚木の椅子が床を鳴らした。
「自然文説明モジュールは停止中です。この文面を生成する経路はありません」
緊急運用中、BMMが出せるのは数値と登録済みの理由コードだけだった。
アゼルが、BMMから物理表示面の制御器へ送られた内部描画データを開いた。
そこにあるのは、固定エラーだけだった。
泣く人に触れた文面は、内部では描かれていない。
玲央は、内部描画データと、目の前の物理表示面を見比べた。
「内部描画データにはない。でも、目の前の画面には出ている」
ラーフルの左手は、独立監査端末の縁を押さえたままだった。
薬指の付け根を、灰色の細い輪状痕が一周していた。
その指に力が入り、ラーフルの呼吸が一拍浅くなった。
牧野は、物理表示面に文面が現れた時刻を、評価メモへ記録した。
別の欄には、ラーフルの指に力が入り、呼吸が浅くなった時刻を記した。
表示と身体反応の時刻は一致していた。
因果関係までは書かなかった。
◇
玲央が聞いた。
「この一件は、何をする案ですか」
ラーフルが、これまで比較表に出ていなかった介入案を開いた。
`LQ`、`SV`、`BD`の三列を順にたどると、緑の案とは、誰にどれだけの負担を残すかが違った。
市場の回復には、緑の案より時間がかかる。
この案では、大手清算参加者一社を清算網から切り離し、支払い不能を受け入れる。
その参加者が担う取引は、別の清算参加者への引き継ぎまで保留される。
その代わり、小口口座の強制決済はほぼ起きない。
多数の口座で売却代金の入金が遅れるが、住宅費や治療費を払えなくなるほどの損失は減る。
牧野が言った。
「つまり、負担の形が違います。
緑の案は、少数の口座に取り返せない損失を集中させる。こちらの案は、多数の口座の売却代金を一時的に拘束する」
玲央は、物理表示面に残る文面を見た。
「だから、泣く人は後者の方が多い。何を失って泣くのかは、数えていない」
残り五分。




