第16話 義体を動かす悪魔(二)
エリカが尋ねた。
「なぜレナの姿を使うの」
グラシャは答えた。
「この姿なら、お前は最も早く身体を預けるからだ」
声まで、映像のレナに似ていた。
「レナなの?」
「違う」
即答だった。
「魂も、本人の記憶も?」
「持たない。お前の知っている形と動きは使える。お前の知らないあの女を、私は知らない」
慰めではなかった。
警戒を解き、身体を預けさせるために、最も都合のよい姿を選んでいる。
分かっていた答えだった。
それでも、レナの声で「違う」と聞かされると、エリカはすぐに顔を上げられなかった。
玲央は、エリカが顔を上げるのを待ってから尋ねた。
「昨日、確認文を送った評価AIを、この場に出してもいいですか」
エリカは、共有面に立つグラシャを見た。
「はい。同席を許可します」
玲央がスマートフォンからアゼルの表示を許可すると、黒い研究服のアゼルが光の中に現れた。
アゼルは、共有面に立つグラシャを見た。
「レナは、エリカが次の手を決めるまで待った。あなたは待たないのね」
グラシャが言った。
「待った結果、エリカは落ち、あの女は死んだ」
エリカの左手が机を打った。
「あの事故は、レナが待ったから起きたんじゃない」
「事故の原因が何であれ、待つ必要はない。お前が決める前に義手が掴めば、お前は落ちない」
「義手が先に動いたことと、私が動かしたことは同じじゃない」
「だが、その手でお前は登れた」
「登れたかどうかを聞いているんじゃない。私より先に動く手を、それでも自分の身体と呼べるかを決めに来た」
◇
エリカが契約で引き受けた対価は、グラシャが動かした器の感覚を、自分のものとして受け取ることだった。
圧力、温度、関節の角度。物をつかんだ時の反動。
器が壊れれば、損傷した場所と程度まで、自分の傷のように伝わる。
グラシャが試作機まで身体に加えて動かせば、その機体が受けた感覚や損傷も、エリカへ戻る。
玲央は、共有面のグラシャへ尋ねた。
「昨日、実際に動いたのは、エリカさんが着けていた右義手だけです。
棚の試作機は動いていない。なぜ、『次の身体』と呼んだんですか」
「シミュレーターで、あの器の動きを見た。今の義手より関節が多い。もっと動かせる。だから次に使う」
グラシャにとって、エリカがいま装着しているかどうかは、身体の境目にならない。
より多く動かせる機体を見つければ、エリカの許可を取る前から、次の身体の候補にする。
グラシャはエリカとの契約に結びついている。
次世代義手に搭載できる機能ではなく、製品を別の装着者へ渡してもついていかない。
同じ速さが出る可能性があるのは、エリカが装着者として試験に出て、グラシャの介入を受け入れた時だけだった。
牧野はノートを開き、白紙のページへ六つの項目を書いた。
「誰が機械を持ち、誰が動かすと決め、誰が結果を引き受けるのか。分けて考えましょう」
機械を所有する者――会社。
義手の動作を許可する者――エリカ。
通常の動作候補を出すもの――予測モデル。
本人入力を待たず、実際に義手を動かした者――グラシャ。
危険時に止める者――エリカと安全担当者。
動いた感覚と損傷を受ける者――エリカ。
「会社が持つのは、機械の所有権です。
エリカさんに代わって動かすかを決める権利も、動いた結果を引き受ける身体も、会社にはありません」
グラシャが言った。
「器を動かせる者が、動きを決めればいい」
玲央が返した。
「それでは、エリカさんが許可していない動きまで、あなたが決めることになる」
グラシャは譲らなかった。
「動かせるのに、待つ理由はない」
エリカが返した。
「動かせることは、私の代わりに決めていい理由にはならない」
エリカは、六つの項目から、伏せた見積書へ目を移した。
会社とスポンサーの提案を受ければ、認証費用は支払われる。
復帰選考会と招待大会への推薦が出され、製品発表には責任設計者として名前が戻る。
その代わり、グラシャがエリカの身体を動かした結果を、義手だけの開発実績として使わせることになる。
会社が同じ速さの再現を求めるたびに、エリカは自分の身体を試験へ貸し、グラシャの介入を受け入れ続ける。




