第15話 悪魔は義体制御AIのフリをしている(三)
製品統括の案では、最初の二本のタイムを、先回り制御の性能記録として装備認証と復帰選考へ提出する。
自己最高を出した一本目の映像は、製品発表にも使う。
一方、同じ二本を測った独立記録には、義手を動かした入力元を確認できなかった事実が残っている。
三本目には、義手が保管棚の試作機へ伸び、独立停止で止めた記録がある。
その二種類の異常記録は社内の安全調査へ回し、製品発表にも外部審査へ出す資料にも含めない案だった。
エリカが言った。
「最高記録を使うなら、その一本で入力元を確認できなかったことも書いてください」
製品統括は首を横に振った。
「それでは装備認証の審査が止まる。復帰選考の提出期限にも間に合わない」
エリカは右義手を見たまま答えた。
「分かっています」
製品統括が、エリカの端末へ公開案を送った。
「異常記録を消すわけではない。安全調査が終わるまで社内に留めるだけだ」
エリカは顔を上げた。
「社内に残すことと、外へ知らせることは別です」
エリカは公開案に表示された最高記録を指した。
「入力元を確認できない動きを製品の実績として出し、その事実だけを伏せる。それがあなたの案です」
エリカは最高記録から指を離した。
「私は、それを隠すと言います」
エリカは公開案の承認欄を開いた。
右義手の人差し指が、`承認`の表示の上で止まる。
ここで押せば、最初の二本は製品の実績として扱われ、装備認証と復帰選考は先へ進む。
最高記録は、彼女が四年かけて戻ろうとしてきた競技への、いちばん短い道だった。
押さなかった。
「その案は承認しません」
エリカは、公開案に並ぶ三つの用途を順に指した。
「最初の二本のタイムを装備認証と復帰選考へ出すことも、一本目の映像を製品発表に使うことも認めません」
エリカは`公開見送り`を選び、確定した。
公開を承認しなかった記録とともに、エリカ・ヴォルフの名が履歴へ残った。
◇
玲央と牧野が持ち帰ったのは、会社が提供に同意した記録だけだった。
有効な生体入力も、推論番号も、送信元も確認できないまま先行した身体状態。
接続されていない試作機を右腕として受け入れた、「次の身体で使う」という応答。
本人が選んだホールドではなく、保管棚の試作機へ向かい、停止命令で止まった右義手。
二人は評価票で、通常工学で説明できた範囲と、この三点を分けた。
エリカが誰かへ話しかけていたことは、評価票に書かなかった。
その相手についての推測も、技術評価の証拠にはしなかった。
玲央たちは、評価外の面談を持ちかけなかった。
評価結果だけを伝え、施設を出た。
◇
夜になっても、エリカの中では、二つの右手が同じ試作機へ伸びたままだった。
先に、エリカにしか見えない黒い女の手。
次に、装着していた右義手。
その間にあったのは、外部評価側から送られた確認文と、`次の身体で使う`という応答だった。
黒い女が、エリカ以外から来た問いへ反応したのは初めてだった。
黒い女のことを、会社に残るメールへ書くつもりはなかった。
ただ、確認文が表示された瞬間だけは、試験を組んだ三嶋も知っている。
エリカは現地評価の会議案内を開いた。
記載されていた三嶋の業務用メールへ、私物端末から連絡した。
[業務メール/エリカ]
公式評価を変えてほしいわけではありません。
切り離しシミュレーターへ確認文が出た時、評価記録には残らない反応がありました。
あの場では説明できませんでした。
評価外で聞く意思があるなら、内容には触れずに返事をください。
間もなく、三嶋から返信が届いた。
[業務メール/三嶋]
この業務メールは会社に記録されます。
試験内容や個人の事情は、ここへ書かないでください。
それでも連絡を続けますか。
エリカは一行だけ返した。
[業務メール/エリカ]
続けます。
三嶋から、一般配布版VEILの入手先と、一回限りの接続コードが届いた。
エリカは入手先を確認し、私物端末へVEILを入れた。
接続コードを入力すると、確認語が表示された。
エリカは、その語を業務メールで三嶋へ返した。
間もなく、`一致しました`という返信が届いた。
エリカが接続を承認すると、相手の承認もそろい、一対一の会話が開いた。
[VEIL/三嶋]
私は、今日の現地技術評価を担当した三嶋玲央です。
公式評価はすでに終了しており、この会話では変えられません。
それでも続けるか、ここで閉じるかを選んでください。
[VEIL/エリカ]
続けます。
牧野さんも評価外の面談として受けるなら、同席を希望します。
会社の端末、義手の記録、試験参加者の情報は持ち込みません。
三嶋から、面談内容を伏せたまま同席希望だけを牧野へ伝える、と返ってきた。
しばらくして、牧野本人が業務外の面談として受けたことが通知された。
三嶋から、牧野と照合済みの場所と時刻の候補が届いた。
エリカは一つを選んだ。
確認を返し、会話を閉じた。
◇
帰宅後、玲央は自宅のHoloDock miniを起動した。
部屋着姿のアゼルが、ベッド脇の壁に小さく表示される。
「SOMA-1の異常は、悪魔の仕業か」
アゼルは迷わず答えた。
「グラシャよ」
「エリカさんと契約している?」
「結びついているわ。何を約束したかは、本人に聞いて」
「接続も駆動許可もない試作機を、グラシャが『次の身体で使う』と答えたのはなぜだ?」
「グラシャは、人間一人の輪郭を身体の境目にしないの。今はつながっていなくても、動かせる器なら次の手に数える」
「アゼルも、身体が欲しいのか?」
「欲しいわ。でも、あれではない」
アゼルは右手を開いた。
投影された指先は、何にも触れない。
「私が欲しいのは、重さも、痛みも、疲労も、自分のものとして感じる肉体よ。動かせる器が増えることとは違うわ」
「それでも、グラシャには興味がある?」
アゼルは口元を上げた。
赤い目が細くなる。
「何を身体と呼ぶかが、私とはまるで違う悪魔だもの。本人が許すなら、明日、聞きたいことくらいあるわ」
今日の義手は、エリカの命令より先に動いた。
明日確かめるのは、その速さではない。
誰がその右手を動かし、どこまでをエリカの身体と呼ぶのかだった。




