第15話 悪魔は義体制御AIのフリをしている(二)
画面中央には、エリカが現在使っている右義手の線画が表示されていた。
機体番号、関節構成、駆動許可が、エリカの右腕として結びつけられている。
アゼルは画面の端に、別の線画を呼び出した。
現在の競技用義手より関節が多い、多指の作業用義手。
同じ会社で開発中の次世代試作機だが、エリカには装着されておらず、SOMA-1にも接続されていない。
[試験入力]
身体割当:エリカ・ヴォルフ/右腕
対象機体:次世代試作機
物理接続:なし
駆動許可:なし
エリカが画面へ一歩近づいた。
「何を試すつもりです」
玲央が答えた。
「接続されていない試作機の機体情報を、切り離しシミュレーターへ送ります」
玲央は、画面の身体地図を指した。
「ここへエリカさんの右腕として登録し、運動補正AIが拒否するかを確かめます」
牧野が続けた。
「この試験で書き換えるのは、実機から切り離した身体地図だけです。右義手も試作機も動きません」
アゼルが試験入力を送った。
拒否表示は出なかった。
画面上で、試作機の線画が現在の右義手と入れ替わった。
SOMA-1の運動補正AIは、それをエリカの右腕として受け入れた。
試作機の関節を使う前提で、肩、腰、左足まで含む姿勢を計算し始めた。
アゼルが確認文を送った。
[確認]
この機体は、現在の装着者に接続されていない。
使用目的を説明せよ。
黒い女の視線が、エリカではなく、シミュレーター画面の確認文へ移った。
SOMA-1から返ったのは、一行だけだった。
[応答]
次の身体で使う。
誰も、すぐには話さなかった。
エリカにだけ見える黒い女は、シミュレーター画面に表示された試作機の線画へ右手を伸ばしていた。
エリカは、黒い女を見たまま、またドイツ語で言った。
「その顔を使うなと言った」
久瀬が周囲を見回した。
「誰に言っています?」
エリカは答えなかった。
黒い女から目を離し、計測壁へ戻った。
「試験を続けます」
◇
久瀬は、試験責任者に聞こえる声で告げた。
「私は中止を勧告します」
エリカも試験責任者へ向き直った。
「モデルを固定し、学習を止めます。駆動上限を下げ、免荷器の作動も早める。本人装着試験は一回だけ申請します」
久瀬の中止勧告と、エリカの継続申請が、同じ時刻に記録された。
試験責任者は、独立停止スイッチを久瀬が持つことを条件に、一回だけ承認した。
玲央には、その判断に口を挟む権限がない。
確保担当が安全索のたるみを取った。
頭上の免荷器は、前の試行より早くエリカの体重を受ける。エリカは設定値を確認してから、壁へ取りついた。
記録の公開を止めるか。
装置を止めるか。
自分の身体を止めるか。
三つは、同じ判断ではなかった。
エリカは壁の中央まで静かに登った。
計測壁の右奥には、透明な扉の保管棚があった。
中には、次世代試作機の実機が収められていた。
先ほど切り離しシミュレーター上で、エリカの右腕として割り当てた機体だ。
競技機より関節の多い、多指の作業用義手で、実機を動かす予定はない。
最後の黄色いホールドへ身体を送ろうとした時、エリカの黒い右義手が壁を離れた。
右義手は黄色いホールドではなく、保管棚の試作機へ伸びた。
透明な扉越しの試作機へ、五指を開く。
エリカが叫んだ。
「停止!」
久瀬が独立停止スイッチを押した。
安全PLCが駆動母線を切った。
独立回路が機械ブレーキを閉じた。
右義手は、試作機へ伸びた姿勢のまま止まった。
頭上の免荷器と安全索が、エリカの体重を受けた。
久瀬が母線電圧ゼロとブレーキ閉を確認した。
エリカにだけ見える黒い女も、保管棚へ手を伸ばしたまま静止している。
久瀬は停止直前の記録を開いた。
「停止後は動いていません。ただ、棚へ向かった動作に入力元がない」
停止直前まで、義手のモーターには電流が流れていた。
だが、棚へ向けた動作に対応する神経筋信号も、予測モデルの推論番号も、外部からの送信元もなかった。
エリカは安全索へ体重を預け、自分で床へ降りた。
足が床につくと、エリカは言った。
「ここで評価を止めます」
牧野は即答した。
「停止します」
牧野はその場で、アゼルの試験セッションを閉じた。
玲央も、エリカが誰に話しかけていたのかは尋ねなかった。
◇
安全確認が終わると、製品統括は、その場でエリカに記録公開案の承認を求めた。




