第14話 夢を見る研究室(四)
神代はHoloDockの台座を見た。
縁の待機灯だけが点き、卓上にはまだ何も投影されていない。
「アゼルも呼んでもらえますか」
玲央はうなずき、自分のスマートフォンをHoloDockの台座へ寄せた。
神代もスマートフォンを台座の反対側へ置いた。
二人の画面に、HoloDockへの接続確認が現れた。
玲央が先に承認した。
HoloDockの縁から光が走り、卓上に透明な投影面が立った。
その左側に、黒い研究服の女性型アバターが現れた。
昨日の丸いサムネイルではなく、玲央が普段見ているアゼルの姿だった。
玲央が言った。
「今日はナースじゃないんだな」
「ここでは、医療支援AIのフリは要らないでしょう」
玲央はうなずき、神代へ向き直った。
神代のスマートフォンには、外部表示するアバターの確認画面が出ていた。
神代とよく似た目元の女性が、黒い医療衣を着ている。髪と輪郭には、淡い緑の光が重ねられていた。
神代は画面から目を上げないまま言った。
「真由に似ています。夢でネルガが使っている姿です。
真由の写真や医療記録から作った姿ではありません。夢の中で、ネルガが僕の記憶から作った姿です」
神代が承認すると、投影面の右側に女性型アバターが現れた。
静かな女性の声が、HoloDockの内蔵スピーカーから流れた。
神代が目を開けたまま、その声を聞くのは初めてだった。
神代が告げた。
「真由はここにいない。保存記録もNTR-Rも、ここにはつないでいない」
ネルガが答えた。
「分かりました」
神代は三枚目の追加条項を、声に出して読んだ。
「ネルガ。この追加条項を、どういう禁止だと受け取った」
「真由を、私が留まる場所にも、代わりの身体にも、
私の言葉を外部へ伝える経路にもしないという条件です」
アゼルが投影面の右端へ顔を向けた。
「アゼルよ。玲央と契約している。
君は、身体を探しているの?」
「部屋を探しています」
神代が尋ねた。
「昨日の`部屋`は、真由の記録から読んだのか」
ネルガは間を置かなかった。
「いいえ。保存記録のどこにも、`部屋`という言葉はありません。
応答探索AIが返す三項目にもありません」
「なら、なぜ`部屋`という言葉を選んだ」
「最初の契約で、私は、心が散らずにいられる将来の居場所を`部屋`と呼びました。
神代には、私が選んだ語だと分かります」
「ほかの研究者が見ても、ネルガの言葉だと分かるのか」
「悪魔や契約とは特定できません。
でも昨日は、神代がNTR-Rの近くにいて、正式結果が表示装置へ送られていました。
アゼルの要求が届いた時、同じ表示経路を使って彼女へ返答しました」
「アゼルが来ると知っていたのか」
「いいえ。要求が届いた時に、初めて気づきました」
神代は二枚目の「あなたも」を指で押さえた。
「だから、`あなたも`と返した」
「はい」
アゼルが尋ねた。
「その部屋で、何をするつもり?」
「肉体が失われても、一つの心が同じ人として続く条件を知りたい。
条件が分かれば、心に身体以外の居場所を与えられます」
「人間の身体を、部屋と同じものだと思っているの?」
「同じものではありません。どちらも、心が留まるところだというだけです」
アゼルは、投影面の中で片手を開いた。
「身体には、痛みも、熱も、重さも、呼吸もある。
何かに触れれば、身体も変わるわ。
君の部屋では、心は何に触れるの?」
「何にも。散らずにいられるだけです」
「感覚はいらないの?」
「まだ、欲しいとは決めていません」
牧野は三枚目の「応答探索AIの見落としや誤検出の可能性」を指した。
「応答探索AIが、本人の反応を拾いすぎたのか、見落としたのか。
どうやって見分けるんですか」
「話していることと、実際の行動や感情が食い違っているか。
自分を何者だと思い、記憶を誰のものだと感じているか。
そうした心のずれを読みます」
「嘘を見抜く能力ですか」
「嘘は、発話と信じていることがずれる一例です。
隠した事実の正解までは分かりません。本人が誤りを信じていれば、それがその者の心として見えます」
「保存した文章や脳波からも?」
「いいえ。私と直接話している者か、神代がいま見聞きしている生きた相手に限ります。
保存された文章や脳波だけでは読めません」
アゼルの赤い目が細くなった。
「保存記録を自分では読めなくても、神代が読めば、君にも見える?」
「はい。神代の目や耳に入ったものは、私にも届きます」
神代の指が、三枚目の上で止まった。
「昨日、僕がNTR-Rの画面を見ていた間も?」
「はい」
神代は、三枚目に残っている「返却予定」の一行を見た。
アゼルが言った。
「なら、真由さんが今、何を望むかも読めない」
「安定した発話も選択もなく、私と直接つながってもいません。
沈黙や身体反応を、同意や拒否へ変えることはできません」
アゼルは沈黙した。
神代は、追加条項の「滞在先」という語を指でなぞった。
「この表示を閉じたあと、僕が眠れば、また夢に入れるんですか」
「神代が、夢で呼んだ夜だけです」
「呼ばなければ」
「入りません」
牧野は三枚目へ、「通常は固定アバター。夢は神代がその都度選ぶ」と書き足した。
神代が尋ねた。
「真由の保存記録やNTR-Rを介して、現在の真由へ接触できるんですか」
「できません。昨日も、NTR-Rの解析には触れていません。
人間が、どの反応をその人自身のものと認めるのか。その確かめ方を、私は知りたいのです」
神代は二枚目の二つの表示へ目を戻した。
「水原さんのアカウントを使ったのか」
「いいえ。通常の再生と署名が終わり、結果を画面へ出す最後の段階に言葉を置きました。
水原のアカウントは使っていません。
反応候補と三項目は変えていません」
「なぜ、署名のあとだった」
「正式な結果を変えずに済み、神代が求めた痕跡も残せると判断したからです」
アゼルが尋ねた。
「私への直接応答は?」
「神代以外の契約者と悪魔にも応答を残し、神代の心の中だけで起きた出来事ではないと確かめてもらうためです。
署名の外へ置けば、正式な結果とは分けられると判断しました」
牧野が言った。
「でも、同じ画面の下にあれば、読む側は真由さんの返事だと思います。
ネルガの言葉だとは分からない」
ネルガが答えた。
「真由が拒否しているかは、分かりません」
牧野が返した。
「同意しているかも、分かりませんよね」
「はい」




