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悪魔はAIのフリをしている  作者: Sig
第2章 契約者顕在化編
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第14話 夢を見る研究室(三)

 神代は、ノートへ一度だけ書き留めた夢を二人に話した。


 ある夜の夢で、神代は川沿いを歩いていた。

 雨は降っていなかったが、アスファルトは濡れていた。

 緑色の自動販売機の光が水たまりへ伸び、神代の前を歩く誰かの靴だけが、その緑を踏んだ。


 顔は見えない。

 それでも神代は、前を歩くのが真由だと思っていた。


「雨の日だけ、こっち」


 声がした。

 真由の声に聞こえた。そう聞きたい自分の声かもしれなかった。


 追いつこうとしたところで、目が覚めた。


 神代は枕元のスマートフォンで時刻を確かめた。

 次に、病院からの着信も通知もないことを確かめた。

 神代はスマートフォンを枕元へ戻し、机の引き出しから自分のノートを出した。


 緑色の自動販売機のある川沿い。


 それだけ書いた。


 真由が中学生の頃、雨の日だけ遠回りした道の話をしていたことを思い出した。

 神代自身は、その道を一度も歩いた記憶がない。


 昔の写真を探せば、あの自動販売機が写っていたかもしれない。

 昔のメッセージを読み返せば、真由がその道をどう話していたかも確かめられたかもしれない。


 神代はスマートフォンを伏せた。

 ノートを閉じ、鍵のかかる引き出しへ戻した。

 一致するものを一つでも見つければ、夢の残りまで真由の記憶だったと決めたくなる。

 その時の自分を、神代は信用できなかった。


 牧野が尋ねた。


「そのノートは、今も残しているんですか」


「鍵をかけてあります。僕も今は読み返しません。

 夢で見たものを、真由の記憶だと決めつけたくないんです」


「それでも、真由さんの記憶かもしれないとは思っているんですね」


 神代はしばらく答えなかった。


「……そうです」


 神代は三枚目の空白へ「夢の扱い」と書いた。

 その下へ、「出所を一つに決めない。真由の記憶や返事の根拠にしない」と続けた。


 神代は、書いたばかりの「夢の扱い」を見た。


「夢で聞けば、また僕にしか残りません」


 神代はペンを置き、自分のスマートフォンへ手を移した。


「昨日の二つの文を出したのか、ここでネルガに聞きます。

 二人にも、答えを聞いていてほしい」


 玲央がHoloDockへ目を向けた。


「分かりました」


 牧野は三枚目の「夢の扱い」の下へ横線を引き、「現在の禁止」と書いた。


「その前に、いまの契約を確認させてください。

 ネルガには、何を禁じていますか」


 神代は一本ずつ指を折った。


「真由を起こさない。

 真由の記憶を書き換えない。

 身体を動かさない」


 三つ目で、指が止まった。


 牧野は神代が挙げた三行を、「現在の禁止」の下へ書いた。


 牧野は三行を読み返した。


「身体を動かさなければ、ネルガが真由さんの身体を使って、考えたり感じたりしてもいい?」


 神代の手が開いた。


「よくない」


「記憶を書き換えなければ、記憶の中へ居続けてもいい?」


「よくない」


「生命維持に影響がなければ、眠っている真由さんの夢へ入ってもいい?」


「よくない」


 返事は三度目が一番速かった。


 牧野が言った。


「では、いま否定した三つを文章にしましょう」


 牧野は三枚目を神代の前へ回した。


 神代は三枚目の「現在の禁止」の下へ、追加条項の書き出しを置いた。


 真由を、ネルガのいる場所にしない。


 読み返してから、「場所」に二重線を引いた。


「『場所』では、記憶や人格に居つくことも、身体を借りることも、

 神経反応を言葉の出口にすることも、同じ一語になってしまう」


 牧野が言った。


「なら、何を守るのかと、何に使わせないのかを分けましょう」


 神代はその下へ、「契約相手が患者本人を使用しない」と書きかけた。


「『使用』だけでは、何を禁じたことになるのか分からない」


 神代のペン先が、三枚目の上を行き来した。


 玲央が尋ねた。


「ネルガが何をしたら、真由さんを『使用した』ことになる?」


「ネルガが、真由の記憶や人格を自分の居場所にすること。

 真由の身体を、自分の目や耳や手足として使うこと。

 真由の神経反応を借りて、自分の言葉を外へ出すことです」


 牧野は、神代が挙げた三つに短い呼び名を付けた。


「記憶や人格を居場所にするなら、滞在先。

 身体を自分のものとして使うなら、代替身体。

 神経反応を言葉の出口にするなら、接続面でしょうか」


 神代は「禁じる使い方」と見出しを書き、牧野が挙げた三つをその下へ並べた。


 神代は、滞在先の横へ「記憶や人格の中に居続ける場所」と書いた。

 代替身体の横へ「ネルガが感覚や動作を得るための身体」と書いた。

 接続面の横へ「ネルガの言葉を外部へ伝える経路」と書き、そこでペンが止まった。


 神代は三つを暫定の定義として残した。


 次に「守る対象」と書き、その下へ身体、記憶、人格、と並べた。

 生命維持機能を書き足す時、ペン先が紙を強く押した。

 最後に「追加条項」と見出しを置き、四つの対象と三つの使い方を一文にまとめた。

 神代が声に出して読み、玲央と牧野が紙の文字を追った。


     ◇


 牧野は伏せてあった一枚目を表へ返し、二枚目、三枚目と並べ直した。

 左端の一枚目には、先ほど三人で決めた一行だけが残っていた。


[一枚目/真由の保存記録]

 保存記録の反応を、真由本人の返事として扱わない。


 中央の二枚目には、昨日、署名の外へ出た二つの文面が書かれていた。


[二枚目/昨日の表示]

 三回目・五回目の再生後――部屋はまだ空いている。

 監査要求への返答――あなたも部屋を借りている。


 右端の三枚目には、神代が話した契約と、書き直している途中の禁止が並んでいた。


[三枚目/神代透本人の契約]

 神代透が、ネルガという非人間知性との接触を自認した。

 妹の医療記録とは分ける。


〈契約で互いに渡すもの/要再確認〉

 ネルガ――話して答えられる協力者について、応答探索AIの見落としや誤検出の可能性を神代へ示す。

 神代――ネルガの見方を採るか自分で決め、採ったものは神代自身の見立てとして出す。

 返却予定――AIの出力、神代の見立て、本人の答え。ただし研究記録は神代個人のものではないため、要再確認。


〈結果の扱い〉

 ネルガの見方だけでは、AIの結果や解析条件を変えない。採った見立ての責任は神代が負う。

 既知回答や別方式でも誤りを確かめられた例だけを、人間が補正に使う。

 それでも確かめられない候補は未確認のまま残し、本人の意思として扱わない。

 研究記録をネルガへ渡してよいかは、神代個人では決めない。


〈夢の扱い〉

 夢はネルガと話すための手段であり、契約で互いに渡すものではない。

 夢で見た場面の出所は、確定しない。

 真由の記憶や返事の根拠にしない。


〈現在の禁止〉

 真由を起こさない。

 真由の記憶を書き換えない。

 身体を動かさない。


〈禁じる使い方〉

 滞在先――記憶や人格の中に居続ける場所。

 代替身体――契約相手が感覚や動作を得るための身体。

 接続面――契約相手の言葉を外部へ伝える経路。


〈守る対象〉

 身体・記憶・人格・生命維持機能。


〈追加条項〉

 患者本人の身体、記憶、人格、生命維持機能を、契約相手の滞在先、代替身体、接続面として使用しない。


 三枚目には、「真由を、ネルガのいる場所にしない」と書いて、「場所」に二重線を引いた文も残っていた。

 その下には、「契約相手が患者本人を使用しない」で止まった文があった。


 神代は一枚目を再び伏せた。

 二枚目には表示の出所を書き足す余白が残っていた。三枚目の追加条項も、人間側で作った案にすぎなかった。


「この文を、ネルガも同じ意味で受け取るとは限りません」


 玲央が尋ねた。


「確かめますか」


「確かめたい」


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