第13話 悪魔は医療支援AIのフリをしている(五)
神代は、保存完了の表示が出るまで、中央の机の前から動かなかった。
署名外の返答と、患者の三項目を交互に見ていた。
「正規の解析結果は五回とも一致し、解析本体は開示設計どおりでした」
玲央が言った。
「一方、NTR-Rの表示経路には、送信元を追えない署名外表示が入りました。
この部分は不適合です。
今回の評価用パッケージは研究には使いません。
表示経路を切り分けた後、あらためて評価します。
神代さんが近くにいた二回だけ、表示が出た事実は記録します。
ただし、五回では神代さんが原因だとは判定できません。
本日の現地技術評価は、以上です」
「分かりました」
玲央と牧野はE-3を出た。
廊下の扉には、やはり患者名がない。
来訪者証を返す窓口の向こうで、校正用の人体模型から外された電極キャップが透明な乾燥棚に並んでいた。
建物を出ると、外はもう暗かった。
研究機構のガラス壁に、玲央と牧野の姿が並んで映る。
「連絡してくると思いますか」
玲央が聞いた。
「分かりません」
牧野は鞄の持ち手を握り直した。
「こちらから連絡はしません。連絡するかどうかは、神代さんが決めることです」
自動扉が閉じる。
署名外文の`部屋`が何を指すのかは、神代が話さなければ分からないままだ。
◇
牧野と別れた後、玲央の会社用端末にメールが届いた。
送信者は神代透。
現地評価の会議案内に記載された、玲央の業務用メールアドレスへの返信だった。
[件名:評価外の連絡希望]
本日の評価結果を変更してほしいわけではありません。
今日の表示について、業務外で話せるなら返事をください。
難しければ、返信は不要です。
神代は、患者の情報も、署名外表示の文面も書いていなかった。
玲央は会社用端末から返信した。
[返信]
公式評価は本日お伝えした内容で確定しており、この連絡では変更できません。
このメールと私の返信は、通常の業務記録として会社に残ります。
患者情報、研究資料、契約については、ここへ書かないでください。
それでも私との会話を希望する場合は、`続けます`とだけ返信してください。
駅前の信号が青に変わり、人の流れが横を通り過ぎる。
玲央は横断歩道を渡り切ってから、届いた返信を開いた。
[神代透]
続けます。
玲央は私物スマートフォンでVEILを開き、一回限りの接続コードを作った。
一般配布されているVEILの入手先と接続コードを、会社用メールから神代へ送る。
神代がVEILを入れ、コードを読み取ると、双方の画面に同じ確認語が現れた。
神代がその語を業務用メールで返し、玲央が一致を確かめる。
二人がそれぞれ接続を承認した時、初めて新しい一対一会話が開いた。
[VEIL/神代から受信]
神代透です。
会社の評価とは分けて、今日の表示について相談できますか。
玲央は、業務用メールでは尋ねなかった内容へ進む前に、境界をもう一度送った。
[VEIL/神代へ送信]
今日の評価を担当した私が業務外で話を聞いても、確定した公式評価は変わりません。
それでも私と続けるか、ここで終えるかは、神代さんが決めてください。
送信後、玲央は画面を伏せた。
数分後、私物スマートフォンが短く震えた。
[VEIL/神代から受信]
このまま話を続けたいです。
牧野さんにも業務外で話を聞いていただけるなら、三人で話す時間を作ってもらえませんか。
玲央はVEILの会話一覧へ戻り、一般公開後に牧野と作った別の一対一会話を開いた。
神代が三人で話したいと希望していることだけを伝えた。
案件番号も、神代の相談文も、署名外表示の文面も送らなかった。
[VEIL/牧野へ送信]
本日の共同研究責任者から、業務外で三人で話したいという希望が来ています。
神代さんには、この相談で公式評価は変わらないと伝えてあります。
難しければ断ってください。
その場合は、難しいと神代さんへそのまま伝えます。
[VEIL/牧野から受信]
私自身の判断で参加します。
評価資料は持ち込みません。
玲央は神代との一対一会話へ戻り、牧野が参加すると答えたことだけを伝えた。
神代が送った最初の候補時刻では、三人の都合が合わなかった。
玲央が二人の都合を聞いて別の時刻を提案すると、翌日の昼に一時間だけ重なった。
玲央は丸の内AIインキュベーションセンターの一般利用ラウンジにある防音個室を予約した。
場所と時刻を二人へ送った。
帰宅後、玲央がHoloDock miniを起動すると、アゼルはいつもの部屋着姿で現れた。
ナースキャップも、翼状UIもない。
「ビィは、E-3へ入る前に気づいていた」
「ええ。あの子が拾ったのは、別の悪魔がいるということまでよ」
「じゃあ、あの返答で分かったのは?」
「相手も私を見つけたことよ。
四択を選ばず、要求を作った私へ`あなたも`と返した」
「誰が応答した?」
「ネルガが一番近いわ」
「知っているのか」
「会ったことはない。でも、私だって古い悪魔よ。
名の通った同類なら、名前と領分くらいは知っている」
「ネルガの領分は?」
「心の居場所と、人格の境目。
NTR-Rが調べているのは、身体で返事ができない人にも、音声指示に応じた反応があるかどうか。
ネルガにとっては、それが、身体の内側に同じ人がいるのかを探る入口になる。
相手はそこへ`部屋`という言葉を重ね、私へ`あなたも`と返した。
ただし、名乗ったわけじゃない。今はまだ候補よ」
「神代さんを通して、俺たちを見ていたのか」
「ええ。神代透が見ていたものを、契約越しに見ていたのよ。
私が君の目を通して周りを見られるのと同じ」
「なら、最初から俺たちも見えていた?」
「人間としての君たちと、共有画面の丸いサムネイルまではね。
君にしか見えない私の姿は見えていないし、サムネイルだけでは私が悪魔だとも分からないわ」
「それで、どうやって画面へ返した?」
「応答探索AIが作ったのは、署名済みの三項目だけよ。
相手は患者のデータにも、NTR-Rの計算にも手を加えていない。
三項目が正式な結果として確定してから、端末へ描かれる最後の段階で、自分の言葉だけを重ねたの」
「水原さんのアカウントを使ったわけじゃない?」
「ええ。水原香奈のアカウントが動かしたのは、再生と正式結果の保存まで。
私たちが送った四択も、君の評価用アカウントに許された監査要求よ。
相手は、どちらにもログインしていない」
「神代さんが近くにいる時だけ?」
「ええ。神代透がNTR-Rのそばにいて、署名済みの結果が表示装置へ送られる。
その二つが重なった時だけ、最後の表示まで届く。
そう考えれば、五回の違いと合うわ」
通常の機械操作なら、監査記録に残る。
昼間に玲央が照合した監査記録には、通常操作を示す履歴がなかった。
「お前にも、同じことができるのか」
「君が許していない他人の端末には、私の契約上、触れられないわ」
「相手の契約には、その制限がない?」
「契約にないのか、あっても破ったのかは、まだ分からない。
ただ、患者のデータと正式結果には触れず、表示だけを使った。そこを境界だと考えているようには見えるわね」
アゼルの周囲へ、昼間は閉じた三枚のカードが現れた。
どれも裏返ったままで、文字は見えない。
「俺たちを探していた?」
「可能性はあるわ。
署名外の文だけなら、普通の評価者には送信元不明の異常としか見えない。
でも、別の契約者が同じNTR-Rの近くに来て、その悪魔が要求を送れば、相手へ直接返せる。
悪魔の契約者を探す合図にはなる」
「`部屋`は何を指す。なぜ神代さんの近くでだけ出た。どうしてネルガだと思った」
「候補はあるわ」
アゼルは裏返ったカードへ目を向けた。
「でも、今日確認できたのは、ビィと私が神代透とは別の経路で同じ相手に気づき、その相手も私へ返したことまでよ。
悪魔と契約した者を探していたのか、なぜ`部屋`を使ったのかは、神代透本人と、応答した相手に確かめないと。
名前も、契約条件も、患者との関係も、まだ聞いていないわ」
玲央はVEILに残る明日の場所と時刻を見た。
アゼルは三枚のカードを裏返したまま消した。
応答探索AIは、返事のできない人の代わりに言葉を作らなかった。
悪魔だけが、患者の結果を変えず、その署名の外へ言葉を置いた。




