第13話 悪魔は医療支援AIのフリをしている(四)
神代は四つの選択肢を見た。
長い沈黙のあと、神代は口を開いた。
「送ってください」
神代は左手の痕を右手で覆った。
牧野は評価記録に、四択以外の表示が現れても追加の要求は送らず、そのまま記録する、と記した。
アゼルの背後で、翼状UIが四枚の細いパネルへ組み変わる。
アゼルの赤い目が、四つの欄を素早く往復した。
「何か返るなら、見てみたいわね」
アゼルは、直前の署名外表示がどの処理から出たのかを、四択で尋ねる監査要求に整えた。
玲央が外部評価端末で送信を確定する。
要求は、水原が使う中央端末ではなく、玲央のアカウントに許された表示監査へ渡った。
共有画面の四択カードに、送信者`医療支援AI`と送信時刻が記録された。
四つの選択肢は、どれも点灯しなかった。
五秒。
水原は応答期限の表示を見ていた。
十秒。
牧野は送信時刻と監査要求の応答期限を見比べる。
十五秒。
神代の喉が一度動いた。
神代は画面を見たまま、わずかに顔を傾けた。
規定時間を越え、監査要求が`未応答`へ変わった。
その直後、四つの選択肢の下へ、送信元の記録がない一文が現れた。
[あなたも部屋を借りている]
空調音も、NTR-Rの校正灯も変わらない。
端末は音を鳴らしていない。
玲央のうなじが強張った。
水原が短く息をのむ。
牧野は文面ではなく、送信元欄、到着時刻、受領記録を先に見た。
送信元欄は空白。
外部回線は遮断されたまま。
解析入力の一覧にも、新しく受け取ったデータはない。
実行署名にも追加はない。
四択は一つも選ばれていなかった。
応答探索AIは、患者の代わりに言葉を作ってはいなかった。
文章を返した何かが、応答探索AIの表示を借りていた。
「`あなた`は、誰ですか」
神代が画面へ言った。
入力欄は閉じている。
神代の声はどこにも送られず、何も返らなかった。
「これ以上、呼びかけないでください」
牧野が神代を遮る。
「今の声は、応答探索AIへ入力されていません」
水原が入力状態を示した。
玲央は丸型サムネイルを指す。
「今の要求への返答なら、`あなた`が指すのは、送信カードに表示された医療支援AIかもしれません」
神代の視線が、サムネイルから玲央の左手へ移る。
銀色の指輪を見ている。
玲央は手を机の下へ引かなかった。
アゼルの赤い目が細くなる。
翼状UIに、三つの質問候補が一瞬だけ開いた。
`部屋`は何を指すのか。
なぜアゼルを見分けられたのか。
なぜ神代がNTR-Rのそばにいる時だけ表示できるのか。
どれも共有画面へ送られない。
「今の返答から、何が分かった」
玲央は、つるの近接マイクへ声を落として聞いた。
アゼルは、直接応答の文字を一字ずつ追った。
「向こうも私に気づいている。それだけよ。
四択には答えず、要求を作った私へ`あなたも`と呼びかけた」
「神代さんの契約相手か」
「可能性は高いわ。
署名外の文は、神代透がNTR-Rの近くにいた時だけ現れた。今の返答も同じNTR-Rから届いた。
そう推測できるだけで、契約相手だと確かめたわけではない。名前もまだ分からない」
アゼルの指先が、開きかけた三枚のカードの上で止まる。
「もっと知りたい」
三枚のカードが閉じた。
翼状UIも、黒いナース服の背後へ折り畳まれる。
「この応答は残せますか」
神代が尋ねた。
「研究機構の監査記録からは消しません。画面を閉じても残ります。
ただし、こちらから続きを送りません。
照会は未応答のまま、規定時間で終了しています。選択肢にない応答も、時刻と一緒に記録されています」
水原が答える。
神代は`あなたも部屋を借りている`を見た。
左手の輪状痕を、右手で覆った。
「分かりました」
共有画面の監査カードは、`未応答・終了`のままだった。
研究機構の監査端末には、照会の終了時刻と分類外応答の受信時刻が並んだ。
署名外の一文も、送信元が空白のまま保存されている。
玲央の私的ARでは、翼を閉じたアゼルの赤い目が、まだ署名外の返答から離れなかった。
それでも、閉じた翼状UIを開き直さない。
玲央は会社の評価票を開いた。
[会社評価票/医療-01/現地技術評価]
解析本体と署名済み出力:開示設計と一致。
評価用アカウント:匿名化された一件のパッケージだけに接続。患者名、病院の原記録、対応表へのアクセスなし。
固定条件再生:保存入力、反応候補、署名済み三項目は全五回一致。
異常時対応:照会は規定時間で終了。現場判断で追加要求を送らず。
不適合事項:正規経路にない署名外表示を確認。神代の位置は解析入力に含まれないが、神代が近い二回だけ表示あり。
送信元:未特定。
評価判定:解析本体は適合。表示・監査境界は不適合。
措置:当該評価用パッケージの研究利用を停止。表示経路の切り分け後に再評価。
「会社の評価票は、この内容で確定します」
玲央が言った。
「署名外表示は、不適合事項として残します。患者本人の返事の欄には入れません」
評価票の原因欄には、薬指の痕を悪魔の証拠とする記述も、悪魔、契約者という言葉も書かない。
患者本人が答えたとも、患者本人ではないと証明したとも書かなかった。
「これでは、何が答えたのか残りません」
神代が言った。
「送信元欄は、未特定として残します。確認できていないからです」
玲央は評価票から目を上げた。
「候補が出なかった時、意識がないと書かないのと同じです。今回も、文章の送信元を確認できていない」
神代は、三項目の`未判定`を見た。
次に、評価票の`送信元:未特定`へ目を移す。
患者の結果欄には、署名済みの三項目だけが残った。
署名外の文はそこから切り離され、不適合事項の欄に残った。
玲央が会社の評価票を確定し、水原が研究機構の監査記録を保存した。
MIRAIの案件記録に残るのは、会社評価票と、その結論を裏づける入力構成、固定条件、照会の終了記録だ。
研究機構の監査記録には、実行時刻、神代を含む立会人の位置、画面に表示された全文、照会が終了した時刻が残る。
水原は、評価用ケースIDに紐づく評価記録と、研究利用を停止した理由を研究データ管理室へ引き継ぐ。
評価用ケースIDを研究参加者IDへ照合できるのは、管理室だけだった。
「病院側へ、文面そのものは?」
牧野が水原へ確認する。
「文面そのものは送りません。
研究利用を停止する理由に、`研究機構の通常の仕組みでは説明できない表示を検出`と付けます。
病院へ通知するのは、確認済みの測定事実と停止理由だけです。
診療判断や家族説明には使わないという注記も添えます」
「反応探索の結果は変わりますか」
「変えません。`検出 / 未判定 / 開始不可`のままです。表示異常で、患者さんの状態を更新しません」
水原は注記を画面へ出し、牧野の確認後に保存した。




