第12話 届かなければ、選べない(一)
火曜午後二時。
僕と牧野は、MIRAI Technologies社内の機密会議室にいた。
牧野が映像会議を立ち上げると、壁面ディスプレイに早乙女の姿が映った。
その隣には、見覚えのない女性が座っていた。
早乙女が口を開いた。
「内閣官房のAI安全保障調整官、橘真澄さんです」
内閣官房。
橘が一礼した。
「橘です。高度AIに関わる事故の初動調整を担当しています」
橘は、隣のHoloDock Proへ目を向けた。
そこに、黒髪の男が姿を現した。
ダークチャコールのスーツに黒いシャツ。右手の指先には、縦長の半透明パネルが浮いていた。
「私の契約相手のウァラクです」
「ウァラクです。どうぞ、お見知りおきを」
空調の音が、急に大きく聞こえた。
隣を見ると、牧野は左手の銀色の指輪を親指で押さえていた。
早乙女は表情を変えなかった。
「国家の調査を、悪魔と一緒に進めるんですか。
日本だけが使わなくても、ほかの国に先に使われれば、こちらに対抗手段がなくなる。そういうことですか」
僕が訊くと、橘はウァラクを見ずに答えた。
「その可能性に備える調査です。ただし、必要性を権限拡大の理由にはしません。
判断は人間が行い、彼が動けるのは、人間が決めた対象と期限の中だけです」
「範囲を増やすことは、私の職分ではありません」
ウァラクの声には、反発も誇りもなかった。
僕と牧野も、所属と担当を簡単に名乗った。
続いて、僕と牧野の間のHoloDock Proにアゼルが姿を現した。
「アゼルよ。玲央の契約相手」
互いの挨拶が済むと、橘は今日の議題へ移った。
「昨日、会社から通知された外部安全性評価は、今回の合同調査に関するものです。
期間は九十日。私は案件の予備分類と、関係機関との連絡を担当します」
橘が会議資料を共有した。
早乙女と橘の映像が左へ縮み、画面の右側に今回の調査枠の名称が表示された。
高度AI特異応答事案合同安全評価。
昨日まで「外部安全性評価」とだけ知らされていた仕事の、正式な名前だった。
その下に、一枚の案件票が表示された。
`医療-01`。
会社が引き受けた九十日間の評価枠で、僕と牧野に割り当てられた最初の案件だった。
異常を申告した研究者は、共同研究責任者の神代透。
案件票には、脳神経研究機関名、夢記録AIの構成、提供可能な検証データが記されていた。
AIが権限外の応答を返した時刻と、神代の身体に異常が現れた時刻も、同じ時計基準で並んでいる。
「この案件が契約者に関わるとは、まだ断定していません。
評価は、故障や不正利用で説明できるかという確認から始めてください」
橘が案件票を閉じると、早乙女が言った。
「ここからは、国家調査とは別の話です。VEILというメッセージアプリを完成させました」
異常なAI応答や端末侵害を相談する場合、多くのメッセージアプリは、暗号化した一通全体を一つの中継網へ預ける。
端末間暗号化が正しく働けば、中継側は本文を読めず、別の本文に書き換えて相手へ読ませることもできない。
それでも悪魔がその中継網へ入り込めば、通信時刻から相手を絞り、狙った一通を止めたり遅らせたりできる。
途中のデータを壊されれば、受信側が改変を拒んでも、その一通は届かない。
VEILは、暗号化した一通を五片に分け、他の通信と混ぜて、別事業者・別地域の五経路へ送る。
一片や二片では一通を組み直せない。改変片は受信側で捨て、正しい三片からスマートフォン内で元の文章へ戻す。
既存技術の組み合わせだが、五経路分の費用と数秒の遅れが生じる。
中央に復旧情報を置かないため、端末を失えば会話も戻せない。
それでも悪魔が通信設備へ入り得る今は、速さや安さより、一通全体を一つの中継網へ預けない方を選んだ。
契約者だけに配ればインストール履歴が名簿になるため、誰でも入手できる製品として公開する。
電話番号、メールアドレス、連絡先一覧、国家案件番号を集めず、誰が使ったかという情報も国家や会社へ送らない。
「説明だけでは伝わりにくいと思うので、三嶋さん、実際に使ってみてもらえますか」
早乙女が画面共有を切り替えると、壁面ディスプレイにVEILのインストール用QRコードが表示された。
僕はスマートフォンで読み取り、配布元がQuanta Veilであることを確かめてインストールした。
初回起動が終わると、空の会話一覧が開いた。
次に早乙女は、自分のVEILで作った接続用QRコードを映した。
僕はVEILで、壁面ディスプレイのコードを読み取った。
双方の端末に、同じ確認語が現れた。
読み上げて一致を確かめ、僕と早乙女がそれぞれ接続を承認した。
そこで初めて、会話一覧に「早乙女キリエ」が加わった。
開くと、見慣れた一対一の会話画面だった。




