第10話 揃いの指輪(五)
牧野も、自分の試着号数の見本を右手薬指へ通した。
牧野は見本を着けたまま、自分のスマートフォンを取り出した。
画面の入力欄へ短い文章を打ち、送信せずに消した。
指輪が隣の指へ当たるたび、手の角度を少し変えた。
スマートフォンをカウンターへ置き、リングの縁へ親指を添えた。
もう一度指を開き、握る。
腕を下ろして数秒待ち、リングを外して跡も確かめた。
痕を隠せても、痛くて外す日が増えれば意味がない。
店員は、朝にきつく感じたり、跡が深く残ったりするなら調整が必要だと説明した。
作業中に外す時のために、持ち運び用の薄いケースも付くという。
店員は、予約時に伝えた二人分の左手の号数を在庫端末で確認した。
「同じデザインで、どちらのサイズもご用意できます」
店員は二枚のサイズ札を揃え、仕上げの見本を取りに席を離れた。
◇
店員が用意した候補は三つに絞られた。
一つは、全面に細かなつや消しが入っている。
一つは、中央だけがつや消しで、両端が細く光る。
もう一つは、表面が緩く丸められ、照明をぼんやり返していた。
店員は、全面つや消しなら、日常の小さな傷が目立ちにくいと説明した。
両端だけが磨かれたものは、手を動かすたび細い光が走った。
表面が丸いものは柔らかく見えたが、側面の丸みが強く、正面から見える幅がわずかに細かった。
全面つや消しのものは、照明の下でも輪郭だけが静かに残った。
五ミリの幅が途中で細くならず、手のひら側まで同じ外形を保っている。
店員は三本を僕たちの間へ扇形に並べた。
どれを選んでも契約痕は隠れる。
基準試験なら、許容範囲に入った時点で選択は終わる。
けれど、三本には合格と不合格がなかった。
毎日、自分の手に残るものを、どれにするか。
正解ではなく、好みを求められていた。
僕は三本を見比べたまま、すぐには手を伸ばせなかった。
「三嶋さんは、どれがいいですか」
牧野に聞かれ、僕は全面つや消しの見本を右手へ通した。
内側の丸みは、さっきの確認用と変わらず、指を曲げても窮屈さはなかった。
照明を強く返さないので、幅があっても指輪だけが目立つことはなかった。
「僕は、これにします」
「私も同じものにします」
牧野が答えた。
牧野も同じ仕上げの見本を試した。
指を曲げ、見本を外してトレイへ戻した。
僕も見本を外した。
二本を並べると、幅と仕上げは同じだった。
サイズを示す札だけが違っていた。
店員は在庫を取りに行き、未使用のリングを二本持って戻った。
試着用より冷たく、表面に指紋一つない。
店員が刻印見本を開いた。
アルファベット、数字、短い言葉。
二本の内側へ、同じ日付を入れる例が並んでいる。
「刻印を入れる場合は、後日のお渡しになります」
「今日はこのまま持ち帰りたいので、刻印なしでお願いします」
牧野が答えた。
職場で契約痕を隠すのは、明日からだった。
刻印は、後からでも入れられるという。
僕は開いたままの刻印見本を閉じ、店員へ返した。
店員は受け取った刻印見本を脇へ置き、二本のリングをクロスで拭いた。
細いトレイには、石も文字もない二本が並んだ。
並びを入れ替えれば、ひと目ではどちらが僕のものか分からない。
「お支払いは、まとめてでよろしいでしょうか」
「支払いは別々でお願いします」
牧野が答えた。
「かしこまりました」
店員が決済端末を僕へ向けた。
僕が先に決済端末で一人分の会計を済ませ、続いて牧野が自分の分を支払った。
決済が終わるたび、端末から短い完了音が鳴った。
店員は保証情報をそれぞれのスマートフォンへ送り、洗浄とサイズ調整について説明した。
保証情報の送付と案内が済むと、店員は二本のリングを別々の小箱へ収めた。
作業中に外す場合に使う、持ち運び用の薄いケースも添えられた。
牧野は自分の小箱を受け取り、僕も自分の分を受け取った。
店員は二つの箱を持つ僕たちへ、もう一度「おめでとうございます」と言った。
「ありがとうございます」
牧野が答えた。
僕も同じ言葉を返した。
今度は、考えるより先に声が出た。
左手の包帯はそのままだった。
小箱を持ち直すと、その角が右の掌に当たった。
僕たちは並んで店を出た。
◇
帰りの車両へ乗り、ドアが閉まってから、僕は左手の包帯を解いた。
灰色の契約痕が現れる。
牧野も左手からテープと湿布を外した。
薬指の根元には、灰色の輪だけが残った。
僕は小箱を開いた。
つや消しのリングを右手で取り、左手薬指の先へ通す。
冷たい金属が関節で一度止まった。
少し力を加えると、抵抗を越え、契約痕の上へ収まった。
手を開き、握る。
手のひらを上へ返し、もう一度下へ向ける。
どの角度でも、灰色の輪はリングの外へ出なかった。
指を曲げるたび、隣の指へ新しい硬さが触れた。
リングを親指で押すと、皮膚の上をゆっくり回った。
緩すぎて滑るほどではない。
「問題ありません」
僕が言うと、牧野も自分の小箱を開いた。
牧野は左手薬指を一度曲げてから、自分のリングを通した。
同じ形のリングが、牧野の左手薬指へ収まる。
二本とも、つや消しの表面に車内の灯りが鈍く映った。
サイズが違うため、並べればわずかに円周が違う。
それでも、手に着けてしまえば同じ形に見えた。
車両が交差点を曲がるたび、窓の外の光が二本の表面を順に渡った。
灰色の痕が見えていた時は、左手を机へ置く位置まで気にしていた。
今は、手を膝の上に出したままでも、見えるのは銀色だけだった。
僕たちは空になった小箱を閉じ、薄いケースと一緒に、それぞれの鞄へしまった。
五ミリの銀色は、灰色の輪を隠したままだった。
左手薬指に、牧野と同じ銀色の輪がある。
その下に隠れている契約だけが違う。
第一章 了




