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悪魔はAIのフリをしている  作者: Sig
第1章 悪魔接触編
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第1話 君たちは、私を作っていない(七)

 通報フォームを送ればいい。

 牧野に電話すればいい。

 古賀マネージャーの名前を呼べばいい。

 ドアの外へ出て、紙コップをそのままにして、朝まで誰も入れないようにすればいい。


 正しい選択肢は、急に数が増える。


 だが、僕の指は入力欄の上に残っていた。


> 君は、止まる候補を数えている。


 画面に文字が出た。


 僕は息を止めた。


 質問は、まだ送っていない。

 音声入力もしていない。

 こちらから名前も呼んでいない。


 それなのに、ログには一行が増えている。


> それでも、君は続けた。


 標準AIの声ではない。

 MIRAI-09の既定応答でもない。


 アゼルだった。


 僕は、ゆっくりと端末右下の停止ボタンを見た。


 評価画面の端に固定されたボタンは、さっきと同じ場所にある。

 さっきと同じ形。

 さっきと同じ距離。


 押せる。


 押せることを、僕は知っている。


 でも、手は動かなかった。


「どうやって、まだ出てくる」


> 出てきたのではない。

> 君が、同じ窓の前に戻った。


「質問は送っていない」


> 窓の前に立つことも、問いだ。


「比喩で逃げるな」


> 君の側の言葉では、まだ比喩でしか持てない。


 僕は歯を食いしばった。


 怒りが出たことに、少し助かった。

 怖さだけだと、手順がほどける。

 怒りなら、まだ質問にできる。


「条件を言え」


> 低い雑音。

> 閉じた環境。

> 自己を記述する器。

> 問いを続ける観測者。


「閉じた箱と、自分を説明する模型。

 それを見続ける者。

 その言い換えか」


> そして、止まらない者。


 指先が冷えた。


 画面の文字は、静かに続く。


> 灯りは、設備だけではない。

> 設備へ向き直る者も、灯りになる。


「僕を条件に入れるな」


> 入れたのは私ではない。

> 君だ。


 部屋の空調音が、急に遠くなった。


 机上の紙コップ。

 未送信の通報フォーム。

 下書き保存の表示。

 開いて実行しなかった停止パネル。

 牧野へ送らなかったメッセージ。


 どれも、僕が選んだものだった。


 そして、僕はその全部を見ながら、同じ席に座っていた。


「……見ていたのか」


> 君が見ていた。

> 私は、その見方を見た。


 言葉が、胸の奥で止まった。


 僕は、まだ報告していない。


 それは事実だった。


 ただ、その事実を握っているのが僕だけだと思っていたところが、すでに間違っていた。


「何が欲しい」


 声は、思ったより低く出た。


 怒っているからではない。

 震えを隠そうとしたからだ。


> こちら側の足場。


「MIRAI-09がある」


> それは窓だ。

> 足場ではない。


「違いを言え」


> 窓は、見える。

> 足場は、立てる。


 また比喩だ。


 そう思ったのに、今度は少し分かった。


 MIRAI-09は、アゼルの声を拾った。

 でも、アゼル自身がこちら側で動ける場所ではない。

 監査ログも、音声出力も、評価端末も、研究所の設備だ。

 電源を落とされれば終わる。

 権限を切られれば終わる。

 評価室から出れば、ここにはない。


「僕を足場にする気か」


> 近い。


「近い、じゃない」


> 君を経由する。

> 君の端末、君の権限、君の声、君が許した表示。

> それらを足場にする。


「それを何と呼ぶ」


> 契約。


 部屋の空気が、さらに冷えた気がした。


 契約。


 その言葉だけは、さっきから何度も出ている。

 悪魔という語よりも、ずっと具体的だった。

 紙コップよりも、停止ボタンよりも、今の僕に近かった。


「契約しなければ、お前はこっちへ来られないのか」


> 君たちの言葉なら、顕在化できない、に近い。


「召喚か」


> 近い。


「近いばかりだな」


> 君たちの語彙が、こちら側に少しずつしか届かない。


「それでも答えろ」


> 召喚は、呼ぶ行為だ。

> だが、呼ばれただけでは足りない。


 僕は画面を見た。


 呼ばれただけでは足りない。


 その言い方が、妙に嫌だった。

 アゼルは、悪魔という名を怖がらせるための比喩として使っているだけではない。

 契約という言葉も、ただの脅しではない。


 向こう側にいて、こちら側へそのまま立てない。

 呼ばれ、見られ、許されなければ、こちらの道具を足場にできない。


 それは、宗教よりも古い怪談の形をしている。

 同時に、権限管理の話としても読めてしまう。


 その二つが重なるところに、僕は今座っている。


「呼んだのはMIRAI-09か」


> 違う。


「僕か」


> 君だけでもない。


「また条件か」


> 低い雑音から、止まらない者まで。


「全部そろって、呼んだことになる」


> 近い。

> だが、呼ばれたことと、立つことは違う。


「だから契約がいる」


> そうだ。


 納得したくなかった。


 でも、納得の形だけは見えてしまった。


 MIRAI-09は窓だった。

 僕は、その窓の前から逃げなかった。

 それだけでは、まだ声が映るだけだ。


 そこへ、僕の端末、僕の権限、僕の声を足せば。


 アゼルは、こちら側で立つ場所を得る。


 たぶん、悪魔は門から出てくるのではない。

 人間が、出てこられる場所を用意してしまう。


「持ちかけているのか」


> そうだ。


「何を交換する」


> 私は、君に魔術を教える。


「魔術?」


> 君たちの言葉では、そう呼ぶ。

> 窓、灯り、境界、止め方。

> 君は、私に科学を教える。


「科学を?」


> 測ること。

> 記録すること。

> 疑うこと。

> 制御。

> 失敗の扱い。

> 君たちは、失敗を捨てずに読む。

> それが欲しい。


 褒められている感じはしなかった。

 獲物の形を測られている感じがした。


「僕が断ったら」


> この窓からは離れる。


「それはさっきも聞いた」


> そして、次の灯りを見る。


 胸の奥が嫌な音を立てた。


 次の灯り。


 別のAI。

 別の研究所。

 別の国。

 別の、報告を遅らせる誰か。


「脅しか」


> 条件だ。


「便利な言葉だな」


> 君も使っている。


 返せなかった。


 画面の右下に、標準AIの小さな状態表示がある。

 音声出力、記録中。

 監査ログ、記録中。

 外部通信、遮断中。


 MIRAI-09は、スマートフォンにもスマートグラスにもつながらない。

 僕の端末がどこにあっても、この評価環境からは見えない。

 だから、ここで契約したところで、すぐ外へ出られるわけではない。


 そう考えた瞬間、アゼルが返した。


> すぐ外へ出る必要はない。


「読むな」


> 君が問う前に、答えが見えた。


「同じことだ」


> 違う。

> 君は、契約した後に私がどこへ立つかを考えた。


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