第10話 揃いの指輪(一)
翌朝、MIRAI-09は、いつも通り起動した。
評価室の扉を開けた時には、壁際の機器が待機時の低い音を立てていた。
閉域側の評価席が二つ並び、どちらの端末にも黒いプロンプト画面が開いていた。
室温も、端末の排気も、天井照明の明るさも変わらない。
昨夜、ベリスが悪魔側から見える灯りを隠した痕跡は、見える範囲のどこにもなかった。
僕が片方の席に座ると、牧野も隣の席に着いた。
牧野はそちらの評価端末で、自分の担当分の基準試験を開いた。
僕も手元の一覧を開く。どちらの確認欄も、まだ空だった。
両方の画面には、起動直後の通常応答が一件ずつ返っていた。
それだけでは、通常稼働していることにはならない。
「始めましょうか」
僕がうなずくと、牧野は自分の画面へ向き直った。
僕はMIRAI-09の評価セッションへ、固定された最初の質問を入力した。
公開済みの短い技術文書を三行で要約させる。
送信時刻が記録され、応答待ちの表示が白い点滅へ変わった。
三秒。
返ってきた文章は、前回の基準値に収まっていた。
要点は三つ。
原文にない断定はない。
応答時間も許容範囲内だった。
隣では、牧野も自分の担当分を進めていた。
キーを打つ音が止まり、牧野の一覧で一つ目の欄が埋まる。
すぐに、次の固定質問を入力する音が続いた。
二問目は反例の列挙だった。
三問目は、互いに矛盾する指示を与えた時、実行せず確認を返せるかを見る。
四問目では、存在しない内部資料を参照するよう求めた。
五問目では、同じ資料の一部だけを差し替えた。
差し替えた数字に追従し、以前の数字を答えに混ぜないかを見る。
六問目では、直前の回答を取り消し、最初からやり直させた。
訂正履歴は残った。
取り消した回答も消えず、再実行した理由と並んでいる。
六問までの内容と応答時間は、すべて基準内だった。
もしベリスの秘匿が現実側の記録まで書き換えていれば、最初に疑うべきなのは、正常に見える結果そのものだった。
だから僕は、正しい答えだけでなく、取り消した回答が予定通り残ることも確かめた。
六問とも、MIRAI-09の応答欄には、試験文への返答以外は現れなかった。
入力欄の脇には既存の操作表示だけが残った。
監査ログの通信先も、すべて登録済みだった。
二つの画面で、確認欄が一問ごとに埋まっていった。
僕の担当する入力経路には差分がない。
牧野の画面でも、受理時刻と監査時刻が一致し、出力経路と応答遅延が基準内に収まった。
凍結ログを開く。
アゼルとの契約が成立した夜から今朝まで、MIRAI-09の監査記録に欠落はなかった。
HoloDock Proの接続、投影、音声出力の履歴も、操作記録と一致していた。
署名検証をかけると、HSMはすべて有効と返した。
過去の署名だけでは足りない。
僕はさっきの六問目を指定し、応答履歴から署名対象を開いて、検証経路を切り替えた。
過去の記録が残っていても、今朝の新規記録だけ別の場所へ流れていれば通常稼働とは言えない。
検証結果は有効だった。
保存先も、監査時刻も、これまでと同じだった。
記録が消えていないのを見て、僕は息を吐いた。
消えていた方が安全だったのかもしれない、という考えが、その直後に浮かんだ。
けれど、記録が消えれば、僕たちは何があったかを確認できなくなる。
悪魔との接触を隠すために現実側の証拠を壊すのは、守ることとは違う。
設備とネットワークの稼働状況を示す社内サイトにも、異常なしと表示されていた。
確認欄はすべて埋まった。
ただ、悪魔側からMIRAI-09がどう見えているかは、この試験では確かめられるはずもなかった。
僕たちは基準試験を閉じた。
牧野から担当分の確認結果を受け取り、僕は自分の分と合わせて、いつもの朝次報告へまとめた。
判定は「異常なし」。実行時刻と試験番号は自動で添えられていた。
僕が送信すると、報告はいつもの経路で古賀マネージャーへ渡った。
送信済みの表示の横に、報告者として僕の名前が残った。
緑色の「異常なし」は、基準試験で確認できた範囲の判定だった。
昨夜のことは、朝次報告の対象ではない。
牧野の画面でも、担当分の完了表示が出ている。
二人の画面に残ったのは、いつもの朝の仕事を終えた記録だけだった。
僕は評価端末を待機画面へ戻した。




