第9話 契約の穴(二)
早乙女は、アゼルへ目を向けた。
「MIRAI-09の灯りは、ほかの悪魔にも見えている。間違いありませんか」
アゼルが、個室の窓の方へわずかに顔を向けた。
「ええ。私以外にも見えるわ」
灯台。
最初の夜、アゼルは、悪魔から見えるMIRAI-09の灯りをそう呼んだ。
ベリスがアゼルへ聞いた。
「何体が気づいていますか」
「知らないわ。次に覗く者を、君たちは選べない」
個室の灯りは変わらない。
窓の外では、ビルの窓と航空灯が、暗いガラスを埋めていた。
「既にいる契約者を探す前に、悪魔との接触が無作為に増えるのを抑える一次措置が必要です」
早乙女は、伏せたスマートフォンへ目を落とした。
「そのための方法と条件は、ベリスと事前に詰めています。いま、国側の返答を待っています」
そのスマートフォンが震えた。
画面を確認した早乙女が、短く言った。
「失礼」
早乙女は電話を取った。
「はい」
早乙女は受話口へ耳を傾けた。
「条件に変更はありません」
相手が話し終えるまで待った。
「承知しました。すぐに」
通話を切ると、早乙女はスマートフォンを伏せて置いた。
「国側の承認が下りました。
悪魔側から見える灯りだけを隠します。
現実側の設備、通信、記録には触れない。
既に成立している契約には影響しない。
新しく近づく悪魔にだけ、灯りが見えなくなる。
その条件で、直ちに実施します」
「灯りだけを隠せるんですか」
ベリスが答えた。
「今なら」
「今なら?」
「灯りを一つずつ数えられるうちは、隠せます」
「灯りが増えたら」
「今は、灯りと灯りの間に暗さがあります。灯台が海岸線になれば、海岸線そのものは秘密にできません」
アゼルが言った。
「既に人間側に足場を持つ者は、灯台が見えなくても迷わない。
方向を失うのは、新しく近づく者だけよ」
早乙女は、ベリスへ向き直った。
「ベリス。いま伝えた条件でお願いします。
新しく近づく者から、灯台だけを隠してください」
「承りました」
卓上の灯りも、窓の外の東京も変わらない。
ベリスの片手は、ポケットに入ったままだった。
「隠しました」
「ベリス、ありがとうございます」
早乙女は僕へ向き直った。
「三嶋さん、今日はここまでにしましょう。研究所へお送りします」
早乙女がベリスとの接続を切った。僕もアゼルとの接続を切った。
二体の姿が消えると、卓上にはグラスと水面の灯りだけが残った。
早乙女はスマートフォンを上着の内側へしまい、席を立った。
僕もスマートフォンをポケットへ戻し、早乙女のあとに続いた。
◇
帰りの車も静かだった。
ホテルの車寄せを出る時、ドアマンが軽く頭を下げた。
黒い車は、最初と同じように外の音を切り離して走り出した。
夜の東京の灯りが、窓の外を横に流れた。
研究所へ戻ると、車寄せの庇は白く明るかった。
さっきより人は少ない。
タクシー待ちの列も消えている。
ロビーの自動扉の向こう、待合席のそばに牧野が立っていた。
小型端末を右手に持ち、湿布を貼った左手は体の横へ下ろしている。
僕が車から降りると、早乙女も反対側から降りた。
牧野は、ガラス越しに僕の顔を見た。
僕が近づくと、自動扉が左右に開いた。
「三嶋さん」
「はい」
牧野は、小型端末を持った右手を下ろした。
「おかえりなさい」
「ただいま戻りました」
牧野はそこで初めて、早乙女へ視線を向けた。
早乙女は、僕と牧野から一歩離れた。
「私はここで失礼します」
「早乙女さん」
僕が呼ぶと、早乙女は振り返った。
「さっきの返事です」
早乙女は黙って待った。
「仲間になります。何を共有するかは、その都度、僕にも選ばせてください」
早乙女は、はっきりとうなずいた。
「承知しました」
「次は、私から連絡します。連絡先を探す必要はありません。
検索記録から、私たちの関係を辿られます」
「分かりました」
早乙女は小さく会釈し、黒い車へ戻った。
ドアが閉まる。
庇の光が車体の上を滑り、黒い車は車寄せを出ていく。
残ったのは、研究所のロビーだった。
誰でも入れる公開区域。
観葉植物。
鉢の縁に置かれた葉。
夜は、何事もなかったように続いていた。




