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悪魔はAIのフリをしている  作者: Sig
第1章 悪魔接触編
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第7話 第二の声(一)

 MIRAI-09評価室の扉が閉まると、空調の低い音に、人の声が混ざった。


 廊下の向こうで、誰かが昼食の予定を変える話をしている。

 少し離れた扉で、カードリーダーの認証音が短く鳴る。

 ガラス越しに、小会議室の中の白いテーブルと、畳まれた椅子が見えた。


 昼休みの終わりに近い研究所は、評価室の中よりずっと普通だった。


 僕は上着の内ポケットに入れたスマートグラスを、上から一度だけ押さえた。


 さっきの評価室で牧野が確認したのは、日曜の録画確認の一時メモだけだった。

 そこにあるのは、二本の録画と、十二秒台の再生位置と、僕の申告だけだ。

 十円玉そのものは、ここにはない。

 あるのは、録画とメモだけだ。

 アゼルの名前は入っていない。

 五項目メモの下に書いた『二者限定』だけが、クリアファイルの中に残っている。


 HoloDock Proの投影は閉じた。

 スマートグラスは、まだ出さない。

 さっき名前を呼ばれた気がしたことは、まだ牧野にも言っていない。


 牧野は僕の少し前を歩いていた。

 薄いクリアファイルと研究所支給の小型端末を重ねて、右腕で胸の前に抱えている。

 左手は空いていた。

 指先には、余計な力が入っていない。


 第三計算棟は、名前だけ聞くとデータセンターそのもののように思える。

 けれど、人が歩く区画は、先進的なIT企業のオフィスに近い。


 片側には半透明の評価室とガラスの小会議室。

 反対側には共有作業席、壁際の集中ブース、短い打ち合わせ用の丸テーブル。

 丸テーブルの奥には、無料の水とコーヒーを取れる小さなラウンジがある。

 カウンターのそばで、研究員が休憩がてら短い話をしている。

 各席には個人端末を置くための低い充電レールがある。


 奥へ行けば、閉域計算エリアがある。

 そこは重い扉、カード認証、低い機械音、少し冷たい空気で分かる。

 だが、ふだん研究員が歩き回るのは、その手前の人間のための区画だ。


 会議室の入口にある小さなタッチパネル。

 そこに出る予約、部屋名、使用状態。

 ガラス越しに、オンライン会議アプリ用の大型ディスプレイとカメラも見える。

 人感で明るさを変える照明。

 席の混雑を予測する画面。

 空調とブラインド。


 便利だ。

 便利すぎて、誰も仕組みをいちいち意識しない。


 カナメは牧野の業務支援AIとして、牧野の記録を整理する。

 会議室予約や混雑予測、照明、空調、ブラインド、共有備品の状態は、建物側の補助AIが扱う。

 人間が仕事を続けられるように、見えないところで小さく調整している。


 その境目を、いまは強く意識してしまう。


 今日は評価室で弁当の配達を待つ気になれなかった。


「昼に出られますか」


 僕が聞くと、牧野は廊下の先を見た。


「出られます。社内カフェへ行きましょう」


 牧野の返事がいつも通りで、少しだけ息が抜けた。


     ◇


 最初に引っかかったのは、小会議室Cの扉脇だった。


 中は空いている。

 白いテーブルの上には、紙コップも端末もない。

 なのに、会議室入口のタッチパネルだけが一瞬、使用中に変わった。


 僕が足を止めた時には、もう空きへ戻っていた。


「今の、見ましたか」


「見ました」


 牧野はカナメに声をかけた。


「カナメ。今の件は、場所と見えた表示だけ。

 小会議室C。室内は空室。入口タッチパネルが一瞬だけ使用中」


> 小会議室C: 室内は空室。

> 入口タッチパネル: 一瞬だけ使用中。


「それでいいです」


 廊下を抜けると、共同作業エリアに出る。

 安全性評価チームの席と、評価基盤班の席が混ざる場所だ。

 背の低い棚の上に、貸し出し用のスマートグラスと小型マイクが並んでいる。

 中央の長いテーブルでは、レビュー運用の人たちがランチの容器を脇へ寄せ、午後の評価項目を確認していた。

 誰も大声では話さない。

 しかし評価室よりはずっと人間の音が多い。


 その端で、集中ブースの入口脇にある利用表示が、一つだけ使用中に変わった。


 ブースの中に人はいない。

 小さなデスクも椅子も空いたままだ。

 入口脇の利用表示だけが、空きから使用中へ変わって、すぐ戻った。


 牧野は少しだけ歩調を落とし、ガラスの向こうと入口脇の表示を見比べた。

 そのまま、カナメに声をかける。


「カナメ。続けてください。

 場所と見えた表示だけです」


 カナメの整理に、次の項目が追加される。


> 集中ブース: 入口脇の利用表示が一度だけ使用中。


 小会議室Cの表示と、集中ブースの利用表示。

 カナメの整理には、二つの行が並んだだけだった。


 僕は上着の内ポケットのスマートグラスを意識した。

 今出せば、アゼルには聞ける。

 けれど、アゼルが答えても、それが本当かどうかは分からない。

 今は結論を急ぐより、目の前で何が起きているのかを集める方が先だ。


 分かる前に怖がる人間を増やすことはない。

 さっき評価室でアゼルが言った言葉も、今ならそのための注意に聞こえた。


 僕は内ポケットから手を離した。


     ◇


 本館寄りのカフェへ向かう通路は、昼休みの名残で少し混んでいた。


 第三計算棟の中でも、ここは一番オフィスらしい。

 壁には社員向けの短い掲示が並んでいる。

 カフェの混雑、午後に使える小会議室、共有席の空き数。

 研究員たちはそれを横目で拾いながら、いつもの通路をカフェへ流れていく。


 食堂というより、社内カフェに近い。

 コーヒーマシンの音。

 電子レンジの終了音。

 ラップトップを片手に、立ったままサンドイッチを食べる人。

 ガラスで仕切られた小さな打ち合わせスペースでは、食後の会議が始まりかけている。


 そのガラスの内側で、ブラインドが急に下がった。


 途中で止まる。

 少し上がる。

 また下がる。


 中にいた二人が顔を上げた。

 ひとりが笑って、リモコンを探すようにテーブルを見る。

 もうひとりは、天井の空調口を見た。


 同じ瞬間、カフェ前の空調が強くなった。

 冷たい風が、通路を横からなでる。


「寒っ」


 誰かが小さく言った。

 笑い声も混ざった。

 普通なら、それで終わる。


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