第6話 第一階梯の見える化(六)
僕は一時メモへ目を戻した。
録画と時刻と申告に分けて残す。
成功と言い切らず、未確定のまま次に見直せるようにする。
そのやり方は、契約写しの第二条にあった言葉に近かった。
「この十二秒台の熱は、君が流した力なのか」
僕は聞いた。
「そうよ。
君たちの言葉に寄せるなら、魔力かしら。
私が少しだけ流した力を、君の身体が熱として読んだのよ」
左手薬指に、思わず力が入った。
牧野は、作業端末の一時メモを見た。
熱の申告は、十二秒台の横に残っている。
僕は左手を開いた。
成功したと言えるものは、まだ何もない。
それでも、次に戻る場所は絞れていた。
薬指の熱。
十円玉の縁。
手がこわばった瞬間。
次に試すときは、この三つから確かめればいい。
怖さは消えない。
けれど僕は、左手を開いたまま録画を見ていた。
作業端末の一時メモには、魔術の正体ではなく、二本の録画と、十二秒台の再生位置と、僕の申告だけが並んでいる。
「このメモがあれば、次は十二秒台へ戻れますね」
僕も画面を見直した。
一時メモに、アゼルの名前はなかった。
それでも、第一階梯をもう一度見る手がかりとしては足りていた。
「魔術の整理は、このまま進めたいです」
僕は言った。
「他にも契約者がいるかは分かりません。
でも、いるなら、その人たちは自分の条件を覚えていくかもしれない。
僕だけが、感覚と運に頼っていたら遅れる」
声が少し強くなった。
牧野は一時メモから目を上げた。
「整理は進めましょう。
ただ、この一時メモには、アゼルさんの名前は入れません」
一時メモは、日曜の録画を見返すためのものだった。
そこにアゼルの名を入れると、録画確認ではなく、僕がアゼルを呼べる事実の記録になる。
「アゼルさんの存在と、三嶋さんが呼べることは、私たちの間だけにしましょう」
僕は手元の五項目メモを引き寄せ、余白に小さく書き足した。
『二者限定』
牧野はその文字を見たが、一時メモには入れなかった。
その四文字は、正式共有へ載せずに、僕と牧野だけで持つための印になった。
台座の上で、アゼルが言った。
「その扱いでいいわ。
分かる前に怖がる人間を増やすことはないわ」
アゼルのアバターが、肩をすくめるように揺れた。
その仕草がおかしくて、僕は小さく笑った。
笑ってから、ようやく息が少し抜けた。
牧野の口元も、ほんの少しだけ緩んだ。
アゼルは、腰の細い補助デバイスを一度だけ揺らした。
◇
牧野が一時メモから目を上げた。
「ここで区切れますか」
僕は一時メモを見てから、丸い台座へ視線を移した。
「今日はここまでにします」
牧野に答えてから、僕は台座の上のアゼルへ向き直った。
「アゼル。
今日はここまでにする」
「分かったわ。
呼ばれれば、また応じるわ」
僕が自分のスマートフォンで投影終了を選ぶと、アゼルの声がそこで切れた。
投影と音声が途切れ、黒髪も細い赤い光の筋も消えた。
透明な投影面も光を失い、丸い台座だけが残った。
牧野はHoloDock Proの入出力ログを閉じた。
僕はMIRAI-09端末で開いていた木曜深夜のログを閉じた。
牧野の作業端末にだけ、一時メモが残っている。
そこにあるのは、二本の録画と、十二秒台の再生位置と、僕の申告だけだ。
アゼルの名前は、そこにはない。
僕は五項目メモを、クリアファイルの横へ寄せた。
部屋は、MIRAI-09評価室の静けさに戻った。
空調の音がまた目立った。
そのとき、名前を呼ばれた気がした。
玲央。
音ではない。
耳で聞いたものでもない。
けれど、呼ばれた瞬間のように、喉の奥が返事の形を作った。
僕は反射的に台座を見た。
丸い台座の上には何もない。
MIRAI-09端末にも、作業端末の一時メモにも、新しい表示は出ていない。
手元のスマートフォンも鳴らず、震えなかった。
「三嶋さん」
牧野の声で、僕は顔を上げた。
「大丈夫ですか」
僕は唾を飲み込んで、うなずいた。
「大丈夫です。
少し、ぼうっとしました」
牧野は一度だけ僕を見たが、それ以上は聞かなかった。
一時メモにも触れない。
僕も、何も言わなかった。
ただの気のせいでいい。
今ここで扱うものではない。
名前がつけば、次からその名前で探してしまう。
僕は、それ以上考えないことにした。
作業端末の画面は、日曜の録画確認の一時メモで止まっていた。
五項目メモの下には、『二者限定』の字が残っていた。
第一階梯を、偶然では終わらせないこと。
アゼルのことを、まだ外へ出さないこと。
その二つは、もう僕一人で抱えるものではなくなっていた。
丸い台座の縁には、細い待機灯だけが残っている。
それでも、玲央、と呼ばれた感覚だけは、誰にも渡せないまま僕の中に残った。




