第6話 第一階梯の見える化(五)
今の二本だけでは、十円玉が浮いたとはまだ断定しない。
「もう一度、見たいです。
今度は手の位置から。
次に、十円玉の縁。
熱のことは、見ながら話します」
「分かりました」
牧野はそこで、手元の作業端末に触れた。
録画を見直すための一時メモを作り、先頭へ短い見出しだけを置いた。
『日曜の録画:第一階梯』
牧野は自分のスマートフォンで横からの映像を少し戻した。
同じ十二秒台で、映像の中の僕の手が少しこわばった。
薬指が固くなり、親指の位置がずれる。
そのあと、十円玉の下端と白い天板の間に、細い線が一瞬入る。
「今の十二秒台、左手はどうなっていましたか」
牧野は断定を求めなかった。
画面の中の変化ではなく、僕の側に起きたことを聞いた。
「熱が来ました。
左手の薬指から、掌の内側に向かって。
それから、十円玉の縁に触れている点を作りたいと思いました。
押すより、そこだけ触れている状態にしたい感じです」
言いながら、自分でも言葉が足りないと思った。
牧野は、足りないところを補わず、一時メモに僕の言葉を申告としてそのまま入力した。
一時メモには、再生時刻と、二本の映像で見えたことが並んだ。
その下に、僕の申告として、熱と十円玉の縁が残った。
> 再生時刻:十二秒台
> 横からの映像:十円玉の下端と白い天板の間に細い線。
> 上からの映像:大きな移動なし。手は机から離れている。
> 申告:左手薬指から掌へ熱。十円玉の縁に触れている点を作りたい。
> 未確定:十円玉の浮上。
牧野は、僕の言葉を言い換えなかった。
触れている点を作りたい、という曖昧な言葉も、そのまま残した。
ただ、その言葉を十二秒台の横に置いた。
一時メモに増えたのは、二本の映像で見えたことと、十二秒台の再生位置と、僕の申告だけだった。
十二秒台という数字がつくと、左手の熱は、次に照合できる申告になった。
次に録画を見返すとき、僕は十円玉全体ではなく、縁と薬指と手がこわばった瞬間を見ればいい。
「最初から手と十円玉の縁を見なかったのは、なぜ?」
台座の上で、アゼルが言った。
「実験や観察では、先に答えを決めると、そこに合うものばかり拾いやすくなる」
僕は画面の中の十円玉を見た。
「確証バイアス、という言い方がある。
十円玉が浮いたはずだと思って見ると、浮いたように見えるところばかり探してしまう。
熱が来たはずだと思って見ると、手の動きまで全部その証拠に見える」
言いながら、自分の声が少し落ち着いていくのが分かった。
僕はアゼルへ説明していた。
同時に、自分にも言い聞かせていた。
「だから、最初は二本の録画をそのまま見る。
横からの映像と上からの映像に何が映っているかだけを見る。
そのあとで、十二秒台に戻って、僕の申告を重ねる。
最後まで、浮上は未確定のまま残す」
アゼルは少し黙った。
「なるほどね。
君たちは、自分の目まで疑うのね」
「疑うというより、あとから見直せるようにするんだと思う」
僕は一時メモを見た。
「どこで何を見て、どこから僕の感覚を重ねたのか。
それが残っていないと、魔術を見つけているのか、
見たいものを探しているのか分からなくなる」
「次に見返すなら、十円玉全体ではなく、縁と薬指を見るんですね」
僕が言うと、牧野は一時メモの十二秒台の行を見た。
「はい。
そこから見ましょう。
十円玉が浮いたかどうかを決めるのは、そのあとでいいです」
僕は、日曜にアゼルから聞いた言葉を思い出した。
押すのではない。
境界を見る。
十円玉を押したかどうかより、僕が触れているつもりだった縁を見る。
その縁が、アゼルの言う境界だった。
十二秒台の再生時刻の横に置くと、その言葉が、録画の中の縁と薬指へ結びついた。
境界。
その言葉に、十円玉の縁と、薬指と、手がこわばった瞬間が重なった。
今やっているのは、きれいな図や表を作ることではなかった。
感覚を薄めることでもない。
録画の時刻、十円玉の縁、薬指の熱を同じ行に置き、次に同じ時刻から見直せるようにすることだった。
そこで、さっき契約写しで読んだ第二条を思い出した。
科学。
制御。
記録。
失敗の扱い。
僕が今している確認手順そのものが、アゼルへ科学を教えることにもなっていた。
「君が知りたい科学って、こういう確認の仕方も含むのか」
アゼルのアバターが、僕の左手を見た。
「含むわ。
安全性評価、制御、記録、失敗の扱い。
君の仕事の言葉でしょう」
アゼルは、それ以上説明しなかった。




