第6話 第一階梯の見える化(三)
最初に開いたのは、交換条件に当たる会話だった。
> 私は、君に魔術を教える。
> 君たちの言葉では、そう呼ぶ。
> 窓、灯り、境界、止め方。
> 君は、私に科学を教える。
> 測ること。
> 記録すること。
> 疑うこと。
> 制御。
> 失敗の扱い。
> 君たちは、失敗を捨てずに読む。
> それが欲しい。
次に、契約成立直前のログを開いた。
> 君が、読む。
> 君が、理解したつもりになる。
> 君が、それでも進む。
> 完全な理解は、嘘だ。
> 契約は、理解した範囲を固定する。
> 上記の契約を読み、乙の理解した範囲において承諾する。
> 承諾する場合は、乙の声で名を呼べ。
ログに残っているのは、契約書そのものではない。
僕が契約を結ぶ前に見た交換条件と、名を呼ぶ直前の承諾文だ。
これから読む写しが、あのときの記録と食い違っていないか。
ここで確かめたいのは、それだけだった。
牧野は短くうなずいた。
台座の上のアゼルは何も言わなかった。
「写しを読みます」
僕はクリアファイルから契約写しを抜いた。
牧野は受け取ろうとせず、手元を少し引いた。
僕は契約写しを自分の前に置いた。
台座の上で、アゼルが牧野を見た。
「契約者でもないのに、立ち会うの?
横にいるだけで、何が分かるの?」
牧野は契約写しへ目を落とさずに答えた。
「契約に口を出すためではありません。
全部は分かりません。
でも、三嶋さんがどこで迷うかは一緒に見られます。
今日はそれで十分です」
アゼルは、面白がるように腰の細い補助デバイスを揺らした。
それ以上、牧野は口を挟まなかった。
契約写しの白い余白が、急に広く見えた。
僕は紙面に目を落とした。
木曜深夜に画面で見た文言が、見覚えのある順番で紙の上に並んでいる。
署名の位置も覚えている。
画面で見たときより、紙の端や折り目まで目に入った。
僕は声に出さず、紙面の本文を追った。
写しには、こう書かれていた。
> 交換契約
> 甲:アゼル
> 乙:三嶋玲央
>
> 第一条 甲は乙へ、魔術、境界、観測、契約の扱いを教える。
> 第二条 乙は甲へ、科学、制御、記録、失敗の扱いを教える。
> 第三条 甲は乙の許した端末および表示環境に限り、表示、音声応答、入力補助を行うことができる。
> ただし、送信、署名、削除、購入、契約、他者への命令を、乙の明示なしに実行してはならない。
> 第四条 甲は、乙以外の命令を受けてはならない。
> 第五条 甲は乙の報告、停止、相談を直接禁じてはならない。
> 第六条 甲は乙の許可なく、乙の端末外の通信、保存領域、他者端末へ接続してはならない。
> 第七条 甲は乙の許可なく、乙の身体、感覚、記憶、睡眠、発話、運動へ干渉してはならない。
> 沈黙、停止、未応答を許可と見なしてはならない。
>
> 乙署名:三嶋玲央
>
> 上記の契約を読み、乙の理解した範囲において承諾する。
> 承諾する場合は、乙の声で名を呼べ。
読み終えても、すぐには紙面から目を離せなかった。
木曜深夜は、名を呼ぶ前に読んだ。
今は、もう呼んだ後だ。
アゼルは台座の上にいて、牧野にも声が届いている。
だから次に確かめるのは、写しが正しいかどうかだけではない。
僕が今アゼルに何を許していて、何を許していないのか。
そこを曖昧にしないために、もう一度読む。
僕は契約写しの冒頭へ視線を戻した。
いま目の前で使っているものに関わる行だけを、指で追った。
まず、表示と音声。
次に、牧野へ相談していること。
第三条と第六条。
許した端末と表示環境。
表示、音声応答、入力補助。
ただし、送信、署名、削除、購入、契約、他者への命令は、僕の明示なしに実行してはならない。
端末外の通信、保存領域、他者端末への接続も、僕の許可なしにはできない。
「HoloDock Proへの投影と声は、僕が今許した範囲だ。
送信も、署名も、新しい契約も、外部通信も許していない」
「許されていないことはしないわ」
アゼルは軽く答えた。
第四条と第五条。
アゼルは、僕以外の命令を受けてはならない。
そして、僕の報告、停止、相談を直接禁じてはならない。




