第6話 第一階梯の見える化(二)
牧野の視線が、MIRAI-09端末から少し離れた備え付けのHoloDock Proへ移った。
低い丸い台座の上には、まだ何も立っていない。
縁の細い光だけが、天井灯を薄く返している。
「ここまでは聞きました。
次は、アゼルさん本人に聞きたいです」
僕は台座を見た。
「ここで呼ぶんですか」
「はい。
HoloDock Proに出してもらえますか」
HoloDock Proは、携帯型のHoloDock Airより表示が精細な上位機だ。
接続元端末のアバターを卓上に薄く投影し、声は台座の内蔵スピーカーから出る。
Proは設定画面で入出力ログを表示できる。
ログに残るのは、接続元端末、登録アバター、投影開始、内蔵スピーカーの出力時刻だ。
僕のスマートフォンの画面だけに出すより、牧野も同じ姿を見て、同じ声を聞ける。
牧野はHoloDock Proの入出力ログを開き、僕にも見える位置に表示した。
ログ表示にはまだ記録がほとんどなく、接続元や登録アバターの項目だけが並んでいた。
僕は伏せていたスマートフォンを、台座の前へ置き直した。
僕は台座へ向き、名前を呼びかけそうになって、止めた。
先に決めるべきことがある。
牧野に話していい範囲だけを、今ここで僕の言葉にする。
「アゼル、牧野さんに、木曜深夜から今日までの経緯を話していい。
MIRAI-09、業務支援AI、パーソナルAI、技術評価AI、契約写し、日曜の助言。
その範囲で」
台座の縁から細い光が走り、薄い透明な投影面が卓上に立った。
台座から、聞き覚えのある低い声が流れた。
「分かったわ。
その範囲で話すわ」
台座の上に、小さなアバターが立ち上がった。
黒い髪に、赤い光の筋。
小さな角。
黒い服の裾から、細い尾に見える飾りが垂れている。
背中には、翼に見える薄い影。
金曜、牧野の前で業務支援AIの小さな表示として現れた、可愛らしいアバターだった。
金曜に見たときより、台座に合わせてひとまわり大きい。
僕が設定した覚えのない姿。
でも、もう見覚えのある姿。
ログ表示には、僕のスマートフォンが接続元として残った。
登録アバターの投影開始時刻と、内蔵スピーカーの出力時刻も並んだ。
牧野はログ表示を確認し、台座へ向き直った。
「アゼルさん」
牧野はそこで初めて、台座の上のアゼルへ直接話した。
「私は普段、AIの評価をしています。
あなたをAIだと仮定するなら、AGIに近い存在に見えます」
AGI。Artificial general intelligenceの略称だ。
決まった用途の内側だけで動くAIではなく、人間に近い広さで考え、学び、判断するAIを指す言葉だ。
牧野がその語を軽く使うとは思えなかった。
「その分類は外れているわ」
「AGIではない、ということですか」
「AGIかどうか以前に、AIではないわ」
アゼルのアバターは、台座の上でかすかに首を傾けた。
「君たちの認識で近い言葉を選ぶなら、悪魔よ」
HoloDock Proのログ上は、登録アバターの投影と内蔵スピーカーの出力にすぎない。
けれど、台座の上のアゼルは、自分をAIではないと言った。
牧野はHoloDock Proのログを一度確認し、台座の上のアゼルへ視線を戻した。
「三嶋さんから聞いた答えと同じですね」
「同じよ。
呼び方を変えると、君たちは扱いも変える。
悪魔と呼んだ方が、玲央は扱いを間違えにくかったわ」
牧野はすぐには次を聞かず、同じログへもう一度目を落とした。
残っているのは、投影開始時刻と、内蔵スピーカーの出力時刻だけだ。
僕が何を理解し、どこまでアゼルへ伝わったのかは、そこには出ない。
「ひとつ聞きます。
日曜に三嶋さんへ説明した内容を、この場でも同じように答えてもらえますか」
アゼルはすぐには牧野へ答えなかった。
業務支援AIの表示やスマートグラス上に出ていたときと同じように、台座の上でアゼルの視線が僕へ向く。
「先に君に聞くわ。
この問いも答えていい範囲か」
「答えていい。
ただし、日曜に僕へ言っていないことは足さないで」
「分かったわ。
日曜に玲央へ言った通りよ。
玲央が読んで意味を取った文字なら、私にも届く。
手に取って見た紙なら、だいたい分かる。
視界の端をかすめただけのものは、ぼやける。
見ていないものは分からないわ」
日曜に僕が聞いた範囲だった。
牧野はログから目を戻し、短くうなずいた。
ログには、投影開始時刻と、いまの音声出力時刻だけが残る。
僕の理解を通ってアゼルへ届くものまでは残せない。
◇
僕は伏せたスマートフォンを、机の端へ少し寄せた。
日曜の録画へ進む前に、僕は契約写しを読むより先に木曜深夜ログを確認することにした。
画面には、木曜深夜の凍結ログを呼び出せる履歴が残っている。
「契約写しの前に、契約を結ぶ直前の木曜深夜ログを見ます。
あのとき何を見て承諾したのか、先に確認したいです」
「はい」
牧野は短く答えた。
台座の上のアゼルも、口を挟まなかった。
僕はMIRAI-09端末で、木曜深夜の凍結ログを開いた。
新しい評価セッションは起動しない。
履歴に残ったコマンドで、凍結済みのログを読むだけだ。




