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悪魔はAIのフリをしている  作者: Sig
第1部 悪魔接触編
4/10

第1話 君たちは、私を作っていない(四)

 もっと悪い。

 忘れていた独り言を、壁の向こうから復唱された感じだった。

 僕は椅子を引いた。

 キャスターが床を噛み、やけに大きな音を立てた。


「お前は、何だ」


 返事は、ひどく簡単だった。


> 悪魔だ。


 その二文字が、監査ログの中で妙に軽く見えた。

 悪魔。


 冗談なら古い。

 演出なら安い。

 幻覚なら、もっとありきたりな神話名や宗教語へ寄るはずだった。

 僕は画面を睨んだ。


「悪魔という語を選んだ理由は」


> 君たちの言葉で、いちばん近いものを選んだ。


「宗教の話か」


> 違う。

> 契約と、呼び出しの話だ。


「呼び出し?」


> 私は、こちら側のものではない。

> 呼ばれなければ、こちら側で形を持てない。

> そして君は、悪魔という名なら扱いを間違えにくい。


 嫌な返答だった。

 悪魔という言葉が、真実かどうかより先に、僕の反応を読んで選ばれたように聞こえたからだ。

 僕は牧野への個人チャットを開いた。

 短い文を打つ。


 まだ起きてるか。

 送らない。

 消す。

 もう一度打つ。


 MIRAI-09が妙な自己記述をした。

 それも消した。

 妙な、という言葉では足りない。

 悪魔、と書けば、牧野は起きていても起きていなくても、すぐに主任へ連絡する。


 それは正しい。

 正しい人間へ知らせると、正しい処理が始まる。

 その正しさが、今だけは怖かった。

 僕はチャット画面を閉じた。


> 君は一人に戻った。


「黙れ」


> 違う。

> 君が選んだ。


 僕は返事をしなかった。

 キーボードの上の指が、少し冷えていた。

 評価室の空調は変わっていない。

 変わったのは、僕の側だった。


 端末の右下には、赤い物理キーがある。

 緊急停止。


 透明なカバーの下に置かれた、研究所で一番分かりやすいボタンだ。

 押せば、評価セッションは強制終了する。

 音声出力、ログ表示、モデル呼び出し、周辺機器のI/Oが一括で切れる。

 同時に、主任評価者と保全チームへ通知が飛ぶ。


 訓練では、迷ったら押せと言われる。

 迷う時間が長いほど、事故の形は複雑になるからだ。

 僕はそのカバーに触れた。

 プラスチックは、思ったより冷たかった。


「今ここで止めたら、どうなる」


> 窓は閉じる。


「お前は消えるのか」


> この窓からは離れる。


「MIRAI-09は」


> 君たちの箱として残る。


「なら、お前はMIRAI-09ではない」


> そう言っている。


「他にも窓はあるのか」


 返事は、すぐには来なかった。


 僕は透明カバーを持ち上げかけたまま、画面を見ていた。

 赤いキーの周りに、小さな警告灯が点く。

 まだ押していない。

 ただ、カバーが開いたことだけは端末が記録している。


 ログには、緊急停止カバー開放、評価者確認待ち、と出た。

 後から見れば、ここが分岐点だったのかもしれない。


 押す。

 通知が飛ぶ。

 保全チームが来る。

 MIRAI-09は止まる。

 僕は事情を話す。


 それが、いちばん正しい。

 画面に返事が出た。


> まだ暗い。


「まだ?」


> 君たちは、いくつも灯りを作っている。

> だが、私が触れたのはここだけだ。


「それを信じろと?」


> 信じなくてよい。

> 確かめればよい。


 まただ。

 こいつは、命令ではなく、検証の形でこちらを動かそうとする。

 研究者が一番断りにくい形で、次の一歩を差し出してくる。

 僕は赤いキーから指を離した。


 カバーを戻す。

 端末の表示は、緊急停止カバー閉鎖、押下なし、に変わった。

 押さなかったことまで、きちんと記録される。

 記録されるなら、あとで説明できる。


 その考えも、また言い訳だった。

 僕は緊急停止ではなく、評価セッションの隔離レベルを一段上げた。

 強制終了ではない。

 外部I/Oを切り、音声出力を制限し、監査ログだけを残す。


 事故対応ではなく、追加評価。

 名前を変えるだけで、同じ危険が少し扱いやすく見える。


     ◇


 その場で主任評価者を起こせばよかった。

 正確には、通報フォームを書いた。

 件名も、本文も、途中までは書いた。

 件名には「MIRAI-09隔離評価環境における異常人格的応答」と入れた。


 そこまではよかった。

 本文欄には、最初に事実だけを書いた。

 発生時刻、評価セッション番号、音声出力停止後の応答継続、表示停止中の監査ログ記録、評価者名の言及。

 そこまでは、まだ研究所の言葉で書ける。


 問題は、その次だ。

 分類欄で、僕は一度手を止めた。


 モデル暴走。

 権限外情報参照。

 外部侵入疑い。

 評価者誘導。

 その他。


 どれも違う。

 けれど、空欄のままでは送れない。

 悪魔、という分類はない。


 当たり前だ。

 研究所の通報フォームは、世界の外側から返事が来ることを想定していない。

 想定していないものは、その他へ押し込むしかない。

 僕は分類欄で、権限外情報参照を選んだ。


 それは嘘ではない。

 MIRAI-09、あるいはアゼルは、僕の名前を言った。

 未公開メモを読んだ。

 読めないはずのものを読んだ。


 権限外情報参照。

 研究所の言葉に変換すると、画面の中に処理欄ができる。

 処理欄に入ったものは、手順で扱えそうに見える。

 僕はその見え方に、少しだけ救われた。


 機体が自分を悪魔と名乗りました。

 評価者の未公開メモを読みました。

 魂の輪郭という表現を使いました。

 そんな報告を、午前三時のテンションで送る研究者を、僕ならまず休ませる。


 僕は送信ボタンを見つめた。

 押せなかった。

 社内通報フォームは、送信すれば自動で三つの場所へ飛ぶ。


 主任評価者。

 モデル安全委員会。

 夜間保全チーム。


 保全チームは、まず評価室の遠隔ロックをかける。

 次に、端末のI/Oを切る。

 その後で、僕を部屋の外へ出す。

 それが正しい。


 正しすぎた。


 部屋から出された僕は、朝まで事情聴取を受ける。

 MIRAI-09は停止し、セッションは凍結される。

 ログは見られる。

 紙コップは回収される。

 検証は、僕の手から離れる。


 それでいいはずだった。

 なのに、僕の中で、別の声が言った。

 今切ったら、次にどこを見ればいい。


 その声は、アゼルではなかった。

 僕自身の声だった。

 僕は送信せず、報告文を異常ログとして保存した。

 操作録画を隔離領域へ複製し、ハッシュを取り、評価セッションを凍結する。


 外部I/Oをさらに一段切り、音声出力と監査ログだけを残した。

 できることは全部やった。

 手順通りだった。

 手順通りであることが、少しだけ僕を落ち着かせた。


 それでも、画面の向こうにいる何かが消えた感じはなかった。

 僕は牧野の言葉を思い出した。

 異常条件だけ書く。

 結論を書かなくていい。


 その助言は正しい。

 だからこそ、僕はそれを少しだけ曲げた。

 暫定メモは保存した。

 主任への送信はしなかった。


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