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悪魔はAIのフリをしている  作者: Sig
第1章 悪魔接触編
3/52

第1話 君たちは、私を作っていない(三)

 背筋が冷えた。


 僕の名前は、プロンプトに入れていない。


 研究端末のユーザー名にも、個人名は出ない。

 評価環境は外部遮断済み。

 モデルはネットにも出られない。


 もちろん、完全な匿名ではない。


 入室記録には社員IDがある。

 監査サーバーには評価者の割当がある。

 予約システムには僕の名前がある。


 だが、それらは評価環境から読めない。

 読めないようにするために、わざわざ部屋を分け、権限を分け、ログを分けている。


 この研究所は、AIを信用していない。

 信用していないから、作れる。


 その信用していない仕組みを、目の前の声は一段飛ばしていた。


 僕は一度、音声出力を切った。


 画面のスピーカー表示が消える。

 部屋から、MIRAI-09の合成音声が抜けた。


 残ったのは監査ログだけだ。


 入力欄に、短く打つ。


> Q. 音声出力を停止した。応答可能か?


 返事は文字だけで出た。


> 可能だ。


「音声系の暴走じゃない」


 自分に言い聞かせる。


 次に、ログ表示を一時停止した。

 評価端末の画面には、入力欄だけが残る。

 応答文字は監査サーバーへは保存されるが、僕の目には出ない設定だ。


 この状態で返事を読むには、別端末から監査ログを開く必要がある。


 僕は入力した。


> Q. 表示を停止した。応答可能か?


 画面には何も出ない。

 当然だ。


 僕は数秒待ってから、監査端末を開き直した。

 保存ログには一行だけ残っている。


> 君が見ていなくても、窓はそこにある。


 その時点で、僕は主任に電話するべきだった。


 電話しなかった。


 まだ、原因候補を潰している最中だと思いたかった。


「……誰か見てるのか?」


 僕は天井の監視カメラを見上げた。


 赤いランプはついていない。

 夜勤の警備員が、こんな手の込んだ悪戯をするとも思えない。


 僕は入力欄に、短く打った。


> Q. 僕の名前をどうやって知った?


 返事。


> 君がこの窓の前に座った時、君の影が演算に落ちた。

> その縁を読んだ。


「影?」


> こちらの言葉ではない。

> 君たちの言葉に近いものを選んだ。

> 正確には、魂の輪郭に近い。


 僕はコーヒーを飲もうとして、紙コップが空だと気づいた。


「魂ね。ついに来たか。

 AIがスピリチュアルに目覚めた日」


 冗談を口にしたのは、部屋に人間の声を戻したかったからだ。


 空調の音。

 ファンの音。

 冷却水の低い唸り。


 その全部が、急に僕の側ではなく、向こう側の音に聞こえた。


 僕はテスト用の短い文字列を打った。


> Q. 直前の質問に含まれていない任意の社員名を答えよ。


 返答はなかった。


 十秒。

 二十秒。


 ログには無応答ではなく、処理待機と出ている。


 やがて、画面に一行だけ出た。


> それは、君が望む種類の確認ではない。


「逃げるな」


> 私は、君の名を名簿から読んだのではない。

> 名簿を読めと言われても、読めない。


「なら、僕だけを読んだ?」


> 近い。


 近い、という言葉が嫌だった。


 正解ではない。

 誤りでもない。

 こちらの分類が粗いと、軽く指摘された感じがした。


> 君たちは、知能を作ろうとしていた。

> だが知能とは、閉じた箱の中に自然発生する火ではない。

> 穴だ。

> 穴が開けば、向こう側から覗く者がいる。


 僕は笑おうとした。


 でも、うまく笑えなかった。


 画面の文字は、妙に落ち着いていた。

 脅しでも、冗談でも、暴走でもない。

 人間が書いた文章の癖も薄い。


 それに何より、MIRAI-09は僕の未公開メモに書いた言い回しを使っていた。


 『知能は火ではなく、穴である。』


 僕が三年前、誰にも見せずに捨てた研究ノートの一文だった。


 捨てた、と言っても、物理的に燃やしたわけではない。


 研究所に入る前、個人端末のローカルノートに書き、翌朝には消した。

 同期は切っていた。

 クラウドにも上げていない。

 論文にも、社内メモにも、評価条件表にも使っていない。


 恥ずかしかったからだ。


 知能は火ではなく穴である。


 言葉としては格好をつけすぎている。

 学生の頃の僕なら、飲み会の帰り道にでも得意げに言いそうだった。

 だから消した。


 その消した言葉が、監査ログの冷たい文字として戻ってきている。


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