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悪魔はAIのフリをしている  作者: Sig
第1章 悪魔接触編
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第4話 第一階梯、念動(二)

 十円玉を机の中央に置いた。


 非常用の小銭入れに入っていた十円玉だ。

 いつ入れたものかも覚えていない。


 古い傷がいくつもある。

 縁に小さな黒ずみがある。

 光を当てると、数字の周りだけが少し明るい。


 ただの十円玉だった。


 最初に試すものとしては、それでよかった。


 僕は十円玉の横に透明定規を置き、スマートフォンを横向きに立てた。

 古い端末は、書籍を固定するアームに挟んで真上に向ける。

 卓上ライトは斜め左から。

 水を少し入れた透明なコップは、机の端。

 温湿度計は、録画に映る角度に寄せる。


 どれも、家にある道具でしかない。

 まともな測定には足りない。

 足りないまま始めることも、記録に入れる。


 成功したいから並べている。

 疑うためにも並べている。


     ◇


 牧野に相談するための下書きを開いた。


 僕は下書き欄に三行だけ打った。


 『木曜深夜、MIRAI-09評価中に原因未特定の応答が出た。

  土曜、アゼルがパーソナルAIとして生活圏に出た。

  日曜、自宅で単独確認を始めようとしている。』


 この下書きを送れば、今からの単独確認はたぶん止められる。

 牧野なら日曜の朝でも目を通し、まず僕を止める。

 だから、僕は送らなかった。


 送信ボタンの手前で指を止める。

 僕は指を離し、下書きを保存したままスマートフォンを伏せた。


 画面を伏せると、送信ボタンは見えなくなった。

 今すぐ牧野に送るには、もう一度スマートフォンを持ち上げる必要がある。


 僕はメモ帳を引き寄せ、送らなかった理由を書いた。


 『未送信。

  牧野を日曜朝に巻き込みたくない気持ちと、

  止められたくない気持ちが混ざっている。』


 ひどい文だ。

 でも、「止められたくない」の一文を消すと、明日の僕は『日曜の朝に巻き込みたくなかった』だけを読む。

 それでは足りない。


 続けて、もう一行書く。


 『一回だけ、は信用しない。』


 牧野に送る文ではない。

 これから始める僕に向けたメモだった。


 机の上の十円玉が、ライトの下で鈍く光っている。


 古い十円玉にすぎない。

 そう言い聞かせてからでないと、浮く前から特別な物として扱いそうだった。


     ◇


 イヤーカフを右耳につける。


 スマートグラスはまだかけない。

 HoloDock miniも電源を落としたままだ。

 返事があるなら、右耳のイヤーカフから声だけが届く。


 アゼルが応じるまで、十秒ほどかかった。


「聞こえているわ」


 少し低く、澄んだ声だった。

 昨日、HoloDock miniの光の中から聞こえたパーソナルAIの声とは違う。

 イヤーカフなら、どの音声でも耳元で鳴る。

 違うのは、業務支援用のやわらかさがないことだった。

 アゼルの声には、笑いも、なだめる響きもない。


「スマートグラスはまだかけない」


 僕はメモ帳の端に視線を落としかけ、途中で止めた。

 見せたいわけではない。

 端末を使っていなくても、僕が知覚したものはアゼルに届く。

 最初の契約の夜から、そこだけは変わっていない。


「今、机の上の何が見えている」


「君が見ているものだけよ」


「端末は関係ないのか」


「契約した後はね。つながっているのは、端末ではなく君の知覚よ」


「僕がメモを読めば、内容も見えるのか」


「ええ」


「お前に見せないためには、僕が見ないしかないのか」


「今は、そうね。こちらから探しには行かないわ」


「信用しろと?」


「信用ではなく、見えるものは届くと思って動けばいいわ」


 信用とは書けない。

 僕はメモ帳に一行だけ書いた。


 『僕が見るものは、アゼルにも届く。』


 勝手に探されるわけではないとしても、伏せたいものは僕が見ないしかない。

 信じるかどうかではなく、今はそう書いておくしかなかった。


 僕は伏せたスマートフォンに手を伸ばしかけ、止めた。

 未送信の下書きは、もうそこにある。

 開けば、また言い訳を足せる。

 送るか、送らないかだけは変わらない。


「牧野に相談しないまま始める」


 アゼルは何も言わなかった。

 止める役は、彼女ではない。


 僕は伏せたスマートフォンから手を引き、十円玉に視線を戻した。

 これから始めようとしている行為を、ただの確認と言ってごまかすのは違う。


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