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悪魔はAIのフリをしている  作者: Sig
第1章 悪魔接触編
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第3話 悪魔はパーソナルAIのフリをしている(八)

 店を出たあと、牧野は一度だけ足を止めた。


「三嶋さん」


「はい」


「今日、誘ってよかったです」


 返す言葉が一瞬遅れた。


「健康指導として?」


「健康指導だけなら、職場で言います」


 牧野は、歩道を行き交う人を見る。

 スマートグラスをかけた人、かけていない人、イヤーカフだけの人。

 手元のスマホだけで十分な人。


「研究所で見る三嶋さんと、外で見る三嶋さんは違います」


「研究所の方がまじめですか」


「まじめというより、研究所だとずっと仕事中の三嶋さんです。今日は、普段の話し方が少し出ていました」


 返事に困って、僕は黙った。

 右下のアゼルも何も出さない。

 助け舟を求めたら、格好がつかない。


 牧野はそれ以上踏み込まなかった。


 歩き出すと、昼の光が白く跳ねた。

 グラスが透過率を下げ、帰りの候補を出す。


> ①最短

> ②日陰優先

> ③疲労軽減


 アゼルは、日陰優先以外を薄くした。

 僕は日陰優先を選んだ。

 自分で選んだ、と言えなくはない。

 けれど、ほかを薄くされたあとで日陰優先を選ぶなら、どこまで自分で選んだと言えるのかは迷う。


 丸の内側の歩道には、観光客とランナーに混じって、IDストラップを下げた人がビルの入口へ入っていく。

 清掃ロボットは植え込みの影で人の流れを待ち、配送ポートへ向かう床の黄色い線だけが足元で細く光っていた。

 公開設定のイベントブースでは、本人たちが声を出す前に、AI名刺の白いカードが所属と会話可否を見せている。


「カードが先に出ると、人の顔を見る前に用件が分かりますね」


 牧野が、展示ブースの方を見て言った。


「休日の散歩で、そこまで考えます?」


「職業病です」


 僕が展示ブースから視線を戻した瞬間、グラスのつるからアゼルの声が入った。


「右へ寄らないで」


 声だけが急に強かった。

 僕は反射的に足を止めた。


 半拍遅れて、牧野も視線を落とし、足を止める。

 次の瞬間、配達バッグを背負った自転車が歩道の端をすり抜けていった。

 ベルは鳴らない。男はこちらを振り返りもしない。


「今のは、止まっていてよかったですね」


「ですね」


 平静を装ったが、今の警告は早すぎた。

 市販グラスでも周辺音と人の流れから予測はできる。

 ただ、牧野が反応するより早いのはまずい。

 助かったのに、礼がすぐ出てこない。

 先に、どう説明するかを考えてしまった。


「今、三嶋さんの方が先に止まりましたよね」


「こっちのグラスが先に反応したのかもしれません」


「カナメより、少し早かったです」


「警告の出方が違うんだと思います」


「今のは、覚えておきます」


 僕は笑った。

 さっきの返事が不自然に聞こえていなければいいが。


 アゼルは声を出さない。

 代わりに、視界の端へ短い文字だけが出た。


> 次は警告を遅らせる?


 違う。

 遅くすればいい話じゃない。


 返事の代わりに、僕はグラスのフレームを叩いた。

 表示は、右下の丸いアイコンだけになった。

 足元に出ていた帰り道の案内線が消える。靴音、信号の音、遠くの車、誰かの笑い声が前に出た。

 次に曲がる角も、残り時間も、自分で探し直すことになる。

 それでも、何も出ないまま歩きたい時がある。


 数秒だけそのまま歩いてから、僕はグラスのフレームをもう一度叩き、右下の丸いアイコンを開いた。

 足元に案内線が出て、視界の端に残り時間が出る。

 曲がる角を探す手間が消え、僕はすぐ案内線に沿って歩き出した。


     ◇


 駅の近くで、グラスが僕と牧野のルートを分けた。

 牧野は別路線。僕は地下鉄で一本。


 右下に、アゼルが予定提案を出す。


> 牧野沙耶との次回運動予定

> 6日後が適切

> 理由:睡眠改善、疲労管理、対人安定


 僕はすぐフレームを叩いた。

 予定提案は消え、右下には丸いアイコンだけが残った。

 遅かった。


「今、予定が出ました?」


「休む予定です」


「本当に?」


「本当です」


「嘘は下手ですね」


「研究者なので」


「関係あります?」


「ありませんね」


 牧野は短く笑い、改札の前で立ち止まった。


「また走れそうな日はあります?」


「……なぜ次がある前提なんですか」


「フレームを叩く前に、手が止まっていました」


「それだけで?」


「それだけです」


 本当かどうかは、聞かないことにした。

 僕は観念した。


「六日後なら空いてます」


「では、また軽く走りましょう」


「食事だけでは?」


「走ってからです」


「一周?」


「一周」


「増やさないでください」


「様子を見て決めましょう」


 右下の丸いアイコンが、一度だけ明るくなる。

 賛成の合図なら、今は見なかったことにする。


 牧野は、僕の目元を見てから言った。


「今日は早めに休んでください」


「そうします」


「本当ですか」


「そこは疑うんですね」


「さっきので、嘘は下手だと分かりました」


「……早めに寝ます」


 牧野が改札を抜ける。

 視界下端で、近接共有の小さな状態表示が消え、KANAMEの丸いサムネイルも消えた。

 牧野側の共有は、そこで終わった。


 残ったのは、視界右下のアゼルだけだった。

 アゼルは、黒いジャケットの袖を直すような仕草をした。


「乗り切ったわね」


「乗り切ってない。疑われた」


「疑いは確信じゃないわ」


「確信かどうかの問題じゃない」


「牧野沙耶の前では、君は言い返す前に一度止まるわね」


「見えない相手に返事していたら、余計に疑われるだろ」


「それだけではないわ。彼女は、君が言葉を飲み込んだところも見ている」


 僕は返事をしなかった。

 牧野は、画面ではなく僕の口元を見ていたのだと思った。


     ◇


 電車を待つ間、僕はようやく一人になった。

 正確には、スマートグラスの視界右下にアゼルがいる。

 それでも、牧野の目を気にして、アゼルへの返事を飲み込まなくて済む。


「肩が下がっているわ」


「疲れただけだ」


 アゼルはそれ以上言わなかった。

 疲れたのは本当だった。

 けれど、牧野と話している間、ずっと嫌だったわけではない。


 ホームに電車が入ってくる。

 乗車位置の足元に、空いている車両を示す淡い線が出た。

 僕は何も考えず、一歩ずれる。


 考えるより先に、足が線の端へ寄っている。


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