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悪魔はAIのフリをしている  作者: Sig
第1章 悪魔接触編
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第3話 悪魔はパーソナルAIのフリをしている(三)

 隣を歩く会社員は、イヤーカフに向かってうなずく。反対側の親子は、スマホの画面だけで道を確かめている。

 スマートグラスをかけた人の視線は、時々、何もない空中で半拍止まる。


 犬を連れた老人には、公開プロフィールのカードが出ない。

 公開設定を切っている人にも、名前や所属は出ない。

 むしろ、その空白の方が目に残る。

 それが、いまの街の歩き方だった。


 研究所では、個人端末に試験中の補助AIを入れて、私生活で使うことがある。

 通勤、食事、運動、寝る前の通知。

 試作品を資料の中だけに置かず、研究員自身の日常で使って粗を拾う。

 IT業界でいうドッグフーディングだ。

 作ったものを、まず作った側が使って確かめる。

 そこまでは、ただの実証で済む。


 けれど、今回混ざっているものだけが違う。

 予定通知でも、新しい経路案内でもない。

 アゼルが、パーソナルAIの顔で生活支援の中に入ってくる。


 スマートグラスも、パーソナルAIを連れて歩くための端末の一つにすぎない。

 休日の皇居周辺でかけていても、そこまで変ではない。

 誰も足を止めない空気が、アゼルには都合がよすぎる。


 駅へ向かう道でも、アゼルは黙らなかった。

 グラスの左端には、最短ではなく、大きな交差点を避ける道が細く出ている。

 右端には、僕の歩幅と心拍が小さく刻まれる。

 その下に、電車の混み具合と、桜田門までの到着見込みが並ぶ。


「あの歩行者は、グラスを使っていないわ」


「人を標本みたいに見るな」


「使わない選択にも理由があるのよ」


「その言い方だと、使わない人まで観察対象だろ」


 駅前に近づくと、グラスが表示を減らした。

 人が増えた場所で情報を出しすぎると、かえって危ない。

 改札の上には遅延なし。ホームの階段には、空いている側への矢印。

 数年前なら広告で埋まっていた壁には、僕の設定に合う案内だけが残った。


 アゼルは、改札の表示、階段の矢印、広告の薄れた壁を、興味深そうに順に見ていた。


「君たちは、迷う手間を嫌うわ」


「迷うのは面倒だからな」


「でも、選ぶ手間まで全部捨てたいわけではないのね」


「朝から話を大きくしないでくれ」


「君も、返信候補を消して自分で打った」


 さっきの返信まで、選ぶ手間の例にされる。アゼルは朝から、僕が何を採用し、何を消したかまで理由にしてくる。


 ホームに着くと、足元の矢印が、比較的空いている前方車両へ伸びていた。

 僕は文句を言いながら、その通りに歩いた。足は矢印どおりに進んでいる。

 ホームへ降りる階段で、前を歩く若い男のスマートグラスの外側ランプが細く点いた。


 こちらからコース表示そのものは見えない。

 ただ、男の視線が階段下ではなく右上で一度止まり、靴先が改札側へ少し開いた。

 今の街では、画面を覗き込まなくても、誰かがAIに返事をしている反応は漏れる。

 独り言、視線の止まり方、返事の間。僕も、外からはその程度の動きで読まれているのだろう。

 考えているうちに、僕の視線も右下へ落ちていた。

 右下のアゼルが口を動かし、グラスのつるから声が入った。


「普通の通行人には、ただ通知を見ているだけに見えるわ」


「牧野さんには目立つ」


「彼女はもう知っているわ」


「アバターと名前だけだ」


「彼女なら、その二つを君の動きに結びつけるわ」


「それをやられるから困ってるんだよ」


 電車が来るまでの数分、僕はホームの端で立っていた。


 アゼルは、右下で口を閉じている。


 口を閉じている間だけは、ただのAIアイコンに見える。

 用件がある時だけ表示を開き、終われば右下の丸いアイコンへ戻る。


 その動きだけなら、扱いやすい。

 嫌なのは、表示が静かでも、こちらの呼吸の乱れまで拾っていることだった。


 電車のライトがトンネルから近づいてくる。

 ホームの端に、風だけが先に来た。


「足元、気をつけて」


「分かってる」


 僕は黄色い線の内側に立った。


 電車の窓には、うっすら自分の目元が映った。

 まぶたが重い。

 走る前から、身体が少し後ろへ引けている。


「牧野沙耶が見たら、まずそこを心配するわ」


「窓に映った目だけで決めるな」


「目だけではないわ。歩幅が短い。呼吸が浅い。返事も少し遅い」


「だから、目以外も読んでるだろ」


「君が隠せていないだけよ」


 その返しはずるい、と言いかけて飲み込んだ。


     ◇


 電車を降り、地上へ出ると、空気が軽くなった。

 住宅街の朝とは音の種類が違う。

 皇居周辺の休日には、走るために来た人、観光で来た人、朝の散歩に出た人が混じっている。


 スマートグラスは、目の前の人たちをひとまとめの人混みとして扱わない。

 研究所の実証ではなく、市販グラスに入っている標準の歩行支援だ。

 ランニングウェアの人には、進行方向を邪魔しないよう薄い注意線。

 観光客の集団には、立ち止まりそうな場所だけ淡く余白が出る。

 ベビーカーには、近づきすぎないよう距離の目安。

 表示は役目を終えるとすぐ消える。残り続ければ、視界の端で足を引っ張る。


「出すより、消す方が難しいわ」


「急にAI開発者の顔になるな」


「実際そうでしょ」


「そこは否定しないけど」


 桜田門へ向かう人の流れの中で、何人かのAI名刺が薄く浮いた。

 ランニングイベントの参加者、観光案内のボランティア、近くのカフェのスタッフ。それぞれ別の白いカードだ。


 本人が公開している範囲だけが、そのカードに収まる。

 AI名刺が浮くだけで、声をかける前の迷いは減る。

 話しかけていい人、いま急いでいる人、店の人、観光案内の人。その区別が先に出る。

 昔なら表情や服装で探したものが、いまはカードになる。


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