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悪魔はAIのフリをしている  作者: Sig
第1章 悪魔接触編
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第2話 悪魔は業務支援AIのフリをしている(十)

「それは仕事だ」


「ええ。

 その仕事が欲しい」


 僕はペンを止めた。


「情報じゃなくて?」


「情報は、あなたより賢い機械に聞けばいいでしょう」


「悪魔がAIを褒めるな」


「褒めていないわ。

 情報の量では、私はあなたを必要としていない」


 突き放すような言い方だった。

 けれど、たぶん本当だった。

 情報ではなく、手順を欲しがっている。


「じゃあ、何が要る」


「疑い方。

 測り方。

 失敗の残し方。

 そして、読まないものを読ませる手つき」


 僕はノートを見た。

 自分で書いた二行から、少し逃げにくくなった。


 科学を教える、とは何を渡すことなのか。

 契約を読む、とは何を疑うことなのか。


 アゼルは、答えを急かさない。

 急かさないことが、もう答えの一部になっている。


「今日は帰るだけのはずだった」


「帰れたでしょう」


「お前のおかげでな」


「そこまで認められるなら、進歩ね」


「本当にやめろ」


 アゼルは笑った。

 研究所で見せた業務支援AIの待機表示ではなく、もっと素に近い表情だった。


 かわいい、と言えなくはない。

 だが、かわいいものを危なくないと判断するほど、僕は疲れていても馬鹿ではなかった。


 僕はノートの端に、小さく時間を書いた。


 金曜、二十時十四分。

 研究所退館から二時間十四分。

 地下鉄、無人コンビニ、帰宅後。


 記録としては雑だ。

 だが、何も残さないよりはいい。


 画面上のログではなく、僕が自分で残した記録だ。

 改ざんしにくい、というより、改ざんする意味が薄い。

 紙に書いた自分の字は、他人に見せるには汚い。

 けれど、自分が逃げたかどうかを見るには足りていた。


「その字、読みにくい」


「お前に読ませるためじゃない」


「では、誰に?」


「明日の僕だ」


「それなら、少し丁寧に書いた方がいいわ」


「うるさい」


「記録は、読めなければ記録にならないでしょう」


「正論を混ぜるな」


 アゼルは楽しそうだった。

 楽しそうなのが、少し悔しかった。

 だが、研究所で見せていた仕事用の待機表示よりは、まだ見ていられる。


 仕事用の口調で親切にされるより、悪魔が悪魔らしく笑っている方が分かりやすい。

 分かりやすければ警戒できる。

 分かりにくければ、気づくのが遅れる。


 どちらにしても、安心はできなかった。


「明日は」


 アゼルが言った。


「明日は何だ」


「あなたの生活用AIを見せて」


「嫌だ」


「嫌でも、もう見えているものはあるわ」


 スマートフォンの画面が、ひとつだけ明るくなる。

 土曜の予定候補。

 買い物履歴からの献立提案。

 睡眠不足に基づく休息推奨。


 全部、僕の生活を助けるための表示だった。


 生活用AIの通知は、研究所の業務支援AIよりずっと柔らかい。

 命令しない。

 責めない。

 ただ、休んだ方がいい理由を並べる。

 買った食材から作れるものを出す。

 明日の天気と洗濯の候補を重ねる。


 どれも親切だった。

 強く押してこない。

 だから、閉じるたびに、こちらが少し乱暴なことをしている気になる。


 僕は通知を一つずつ閉じた。


 休息推奨。

 閉じる。


 献立提案。

 閉じる。


 睡眠リマインド。

 閉じる。


 最後に、生活用AIの小さなアイコンだけが残った。

 青い丸に白い線が入った、何の個性もない標準アイコンだ。

 職場のカナメほど、声や癖があるわけでもない。

 アゼルのように、こちらを見返す表情があるわけでもない。


 それでも、明日の朝には僕の睡眠時間を見て、朝食を提案し、予定を組み直そうとする。


「それも、あなたのAI?」


 アゼルが聞いた。


「標準の生活補助だ」


「名前は」


「ない」


「名前がないものほど、入りやすい」


「やめろ」


「今日はもう入りません」


「今日は、か」


「ええ。今日は」


 僕は生活用AIのアイコンを長押しした。

 設定画面が開く。

 連携先、通知範囲、睡眠分析、購買履歴、移動履歴。

 ほとんどは制限済みだった。

 それでも、完全には切っていない。


 完全に切ると、不便だからだ。


 その一文を、僕は声に出さなかった。

 出さなくても、アゼルには伝わっていた。


 研究所では、自社AIを観察していたいから切りたくない。

 地下鉄では、通れなくなるから切れない。

 コンビニでは、買えなくなるから切れない。

 家では、少しずつ面倒になるから切らない。


 理由は違う。

 けれど、結果は似ている。


 便利なものは、いつの間にか壁面広告や改札や棚に組み込まれている。

 そこまで馴染むと、使っているという感覚も薄くなる。

 その慣れた手つきの中へ、アゼルは入り込んだ。


 悪魔が特別な扉を開けたのではない。

 僕たちが普段から開けている小さな扉を、ひとつずつ使った。


 そこまで書くと、十八時ちょうどに退館できたことも、ただ早く帰れただけではなくなった。

 十八時ちょうど。

 予定通り。

 何も破綻していない。


 破綻していないなら、危険ではない。

 そう片づけかけたところで、ペン先が止まった。


 今日、アゼルがやったことは、どれも小さかった。

 件名を整え、報告文を並べ、会議を早く終わらせ、残件の順番を変えた。

 地下鉄では列を避け、コンビニでは棚の前で止まる理由を作り、家では通知を閉じる直前の迷いを見ていた。

 命令ではない。

 強制でもない。

 それなのに、一日の流れは変わっていた。


 僕が選んだと思えるまま、選択肢の並びから先に整えられている。

 効率化と言えば、そう言える。

 けれど僕には、契約履行の前払いにも見えた。

 僕はまだ、どこからが助けで、どこからが誘導なのかを切り分けられない。


 その端で、アゼルが笑っている。

 画面を伏せても、明日の通知は消えない。


「悪魔は、どこにでもいるんじゃない」


 僕は画面を伏せた。


 伏せても、声は残った。


「いる場所を、人間が先に用意しているのよ」


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