第2話 悪魔は業務支援AIのフリをしている(八)
眠る時間も、食べるものも、もう候補として並べられている。
◇
最寄り駅を出ると、空は濃い青になっていた。
駅前のコンビニは、半分が無人店舗になっている。
入口の上に、ウォークスルー決済対応、と表示されていた。
店員はいない。
入店ゲートにスマートフォンを近づける必要もない。
店に入るだけで、端末IDと決済設定がひもづく。
「寄らない」
僕は言った。
「冷蔵庫に何があるの?」
「知らない」
「では寄るべきね」
「なぜお前が僕の夕食を決める」
「帰宅後に倒れられると困ります。
契約履行の効率が落ちます」
「業務支援AIのフリは終わったんだろ」
「これは生活支援よ」
「もっと嫌だ」
結局、入った。
反論より空腹の方が早かった。
無人コンビニの中は明るすぎず、棚の端に細い光が走っている。
入口のゲートは、僕を客としてではなく、支払い可能な端末として認識する。
天井には目立たないカメラが並び、棚板には重量センサーが入っている。
冷蔵棚の扉は、僕が近づくと少しだけ曇りを消した。
店内に店員はいない。
いらっしゃいませ、という声もない。
代わりに、床の端に小さく、入店処理完了、と出る。
「挨拶も省略か」
「店員がいないからな」
「契約相手が見えないのは、面白いわ」
「不安になる言い方をするな」
「相手が見える方が安心するの?」
僕は答えかけて、やめた。
悪魔のアバターを連れたまま帰っている人間が、相手の見え方で安心を語れる立場ではなかった。
手に取った商品は、すぐに僕の仮想カゴへ入る。
戻せば消える。
買う、という動作がない。
選ぶだけで、支払いの半分が終わっていく。
アゼルは画面の中で、棚を見ていた。
「この店は、客に商品を取らせながら、同時に契約を進めている」
「買い物だ」
「買い物は契約でしょう」
「そうだけど」
「ここでは、店員も署名も声もいらない。
棚を見た。
手に取った。
戻さなかった。
出口を通った。
それで成立する」
「いちいち不穏に説明するな」
「私は順番を読んだだけよ。
そういう店でしょう」
棚の一つが、僕の前で少しだけ明るくなった。
疲労時おすすめ。
高タンパクのサンドイッチ。
温め不要のスープ。
カフェインなしの飲料。
僕は眉をひそめた。
「お前か」
「店の推薦です」
「店と話すな」
「話していません。
あなたが買いそうなものを、店が先に出しただけ」
「それも嫌だ」
「今日は嫌なものが多いわね」
「誰のせいだと思っている」
「睡眠不足」
「お前だ」
画面の中で、アゼルは少しだけ笑った。
僕はサンドイッチとスープを取った。
ついでに水を一本取る。
菓子棚の前で、アゼルのコードが小さく揺れた。
「それも」
「いらない」
「糖分」
「医療助言か」
「一般的な生活提案です」
「業務支援AIみたいな逃げ方をするな」
「あなたたちのAIは、そう逃げるのでしょう」
否定できなかった。
僕は小さなプリンを一つ取った。
出口を通る。
音は鳴らない。
レジもない。
ただ、スマートフォンに購入完了の通知が出る。
サンドイッチ。
スープ。
水。
プリン。
合計金額と、栄養バランスの短いコメント。
その下に、次回来店時のおすすめを表示するか、という設定がある。
初期値は、表示する、だった。
僕は出口を出たところで立ち止まり、「次回来店時のおすすめ」をオフにした。
「読んだわね」
アゼルが言った。
「読むようになった」
「いい傾向ね」
「お前に言われると、やめたくなる」
通知の下に、もう一つ小さな行があった。
購入履歴を健康管理アプリへ連携するか。
初期値は、連携しない、だった。
その初期値は、意外だった。
「連携しないんだな」
「何が?」
「健康管理アプリ」
「この店は、健康情報との連携には慎重なのね」
「褒めてるのか」
「ええ。珍しく」
僕は設定をそのままにした。
全部が悪いわけではない。
全部が安全なわけでもない。
読むしかない。
その当たり前の作業が、昨夜からただの確認で済まなくなっていた。
読めば遅くなる。
遅くなれば、便利さから少し外れる。
出口脇の棚には、買い忘れ候補が小さく出ていた。
割り箸。
紙スプーン。
保冷剤。
僕は紙スプーンだけ取った。
プリンのためだ。
「読みながら買うと、時間がかかる」
「契約とは本来そういうものよ」
「人間の生活に向いてない」
「だから読まない者から奪う」
その言葉は、もう脅しではなかった。
駅でも、店でも、研究所でも、読まない方が早い場所ばかりだった。
読まなければ速い。
読めば遅い。
速い方へ、世界は少しずつ傾いている。
店の外に出ると、夜風が少し冷たかった。
コンビニからマンションまでは、歩いて六分だった。
駅前の広場では、宅配ロボットが三台、充電ポールの前に並んでいる。
それぞれの上に、小さな配送予定が浮かんでいた。
食品。
日用品。
医薬品。
医薬品のロボットだけ、通行人から少し距離を取っていた。
誰かが近づくと、柔らかく横へずれる。
プライバシー配慮、と側面に小さく出ていた。
「配慮も表示されるんだな」
「表示しないと、配慮したことにならないのでしょう」
「ひねくれている」
「観察しているだけ」
歩道の角には、無人のレンタル傘スタンドがある。
天気予測を読んだのか、傘の一本に予約中の小さな明かりがついていた。
まだ雨は落ちていない。
それでも、誰かはもう濡れない選択をしている。
次の角では、夜間配送用の小型ドローンが、ビルのベランダへゆっくり上がっていった。
音はほとんどしない。
代わりに、壁面に飛行経路の注意だけが細く出る。
街は静かだった。
静かなまま、誰かの予定を先回りしている。
「研究所より、よく働くな」
「研究所は働いていることを隠さない。
街は、働いているところを見せないのね」
「その言い方は嫌だ」
「でも、便利でしょう」
また、その言葉だ。
大きく拒むほどではない。
いちいち立ち止まるほどでもない。
だから、読まない。
今日の僕も、同じだった。
仕事が進むから止めなかった。
予定通り帰れるから使った。
結果が合っていたから、途中の気味悪さを後回しにした。
街の光を見ながら、それを自分で認めるのはきつかった。
◇
マンションの入口も、鍵を出さずに開いた。
共用玄関のカメラが住人IDを照合し、宅配ボックスの有無を端末へ出す。
エレベーターは、僕の階をもう選んでいた。
「家まで、ゲートなのね」
「便利だからな」
「ええ。便利」
アゼルは、その言葉をゆっくり言った。




