第2話 悪魔は業務支援AIのフリをしている(三)
会議はそのまま流れた。
引っかかっているのは、僕だけだった。
外部レビューへ残す応答と、確認待ちへ戻す応答の見出しもそろっていた。
理由欄も、根拠不足でそろっている。
業務支援AIを使った、ありふれた準備にしか見えなかった。
引っかかりのない資料ほど、誰も長く見ない。
会議室の終了予定時刻は、十時五十五分。
実際に終わったのは、十時四十四分だった。
二十五分の枠が、十四分で済んだ。
遅れなかったことより、余った十一分の方が落ち着かなかった。
会議室を出ると、廊下の壁面に次の予約が流れた。
別チームの評価者たちが、HoloDock Airの小さな立体名札を手で払うように閉じている。
誰かの業務支援AIが、議事要約を三十秒版と三分版に分けていた。
主任補佐は、僕のアバター表示にもう興味を示さなかった。
一度「試験中」と聞かされると、周囲はしばらく中身を確かめない。
周囲が「試験中」で済ませているあいだ、アゼルはおとなしくしていた。
会議中に余計なことを言わなかった。
余計なことを言わないことまで、うまかった。
必要な時だけ出るAIほど、誰も気にしない。
牧野は廊下で足を止めずに言った。
「十一時、同じ卓でいいですか」
「そうしようか」
「早く終わったので、十一時の準備を先にしておきます。
どのログを見るか、誰が見るか、再現できなかった時の扱い。
その三つだけ、確認欄を作ります」
牧野は、僕のスマートフォンにも、アバターの出所にも触れなかった。
代わりに、十一時に決める三つの確認項目だけを口にした。
確認欄を先に作っておけば、十一時に入ってから迷わない。
僕の端末には、十時半の前にアゼルが整えた短い報告が残っていた。
一覧から外す。
外部レビューに出せる根拠がそろっていない。
十一時に、確認するログと担当者を決める。
会議で使った言葉は、そのまま次の作業へ渡されている。
僕は自分の指を見た。
何もしていないわけではない。
報告したのは僕だ。
確認待ちに戻す判断をしたのも僕だ。
会議で通したのも僕だ。
ただ、僕が迷う前に、画面には次に見る欄が並んでいた。
僕はそれを一つずつ、自分の判断として確定していった。
「三嶋さん、ボーッとしていて大丈夫ですか?」
牧野が言った。
「大丈夫。ただの寝不足だ」
「…そうですか。
候補一覧だけなら、十一時の準備は始められます」
牧野はうなずき、先に歩いた。
僕はその背中を追った。
胸ポケットのスマートフォンは沈黙している。
開けばまた何かが出る気がして、触れなかった。
◇
十一時の再確認方針レビューで扱うのは、十時半で外した一件だけだった。
外へ出さない判断は、もう終わっている。
ここで決めるのは、週明けに見る記録、見る人、再現できなかった時の残し方だ。
候補一覧から、原因未特定の応答はすでに外れている。
牧野は、朝カナメに作らせた三つの確認項目を開いていた。
対象ログ。
確認者。
再現不能時の扱い。
三つとも、まだ僕が確定する前の状態だった。
牧野側の端末に、カナメの確認通知が出る。
> 確認待ち一件に、標準の再確認項目を適用しました。
> 未入力は、確認者と再現不能時の扱いです。
通知はそこで終わる。
カナメは、牧野の作業欄にあるものだけを読んだ。
牧野の画面では、対象ログの欄だけが先に埋まっている。
評価セッション本体。
該当応答の前後ログ。
評価プロファイル。
外部レビュー候補一覧の該当行。
その四つは、確認待ちへ戻した時点で自動でそろう。
ここまでなら、通常の再確認で済む。
HoloDock Airに出た確認項目の端に、アゼルの小さなアバターが浮いた。
赤い点は、対象ログの下にある追加調査ボタンの横で止まっていた。
押せ、と言っているわけではない。
押せば、開発側の調整ログ、評価基盤班への抽出依頼、監査側の保全確認まで広がる。
押した時点で、今日のレビューは再確認ではなく調査に変わる。
「追加調査は」
牧野が聞いた。
アゼルが示したのは、押すべきボタンではなく、押した時点で話が大きくなる境目だった。
評価プロファイルには、その時の教材範囲と外部アクセス制限が入っている。
今回の判断を説明するだけなら、標準の再確認項目で足りる。
足りてしまう。
「今は出さない。
標準の再確認項目で見て、足りなければ週明けに評価基盤へ依頼する」
「分かりました」
牧野はうなずき、追加調査の欄を空のまま残した。
確認者欄には、一次確認として僕の名前が入っている。
候補一覧との照合には、牧野の名前が入っている。
評価基盤班は、依頼先候補として灰色のままだった。
「牧野さんは、候補一覧の照合だけお願いします」
「了解です。
該当行の状態と理由欄だけ見ます」
牧野は短く答え、確認者欄を確定させた。
「再現できなかった場合は」
「外部レビュー候補一覧には戻しません。
根拠不足の確認待ちとして、共有ワークログへ残します」
「オーケー」
口に出すと、いつものレビューに聞こえた。
だが実際には、契約やアゼルの名前を出さずに、評価セッションの記録に収まる大きさまで削っている。
レビューしているのは僕だ。
牧野の作業欄を見て、方針を入れているのも僕だ。
それでも、赤い点は、契約やアゼルの名前を出さずに済む場所で止まっていた。
アゼルは僕の代わりに決めていない。
僕が決めたと言えるところまで、選択肢を細くしていた。
画面に残るのは、赤い点だけだった。
牧野は、それ以上は聞かず、候補一覧の該当行だけを週明け確認候補へ移した。
カナメも何も足さなかった。
アゼルだけが、画面の端で瞬きをした。
僕は保存ボタンを押した。
問題を消したのではない。
外部レビューではなく、週明けに追うものへ回しただけだ。
状況を整理できていないものは外へ出さない。
リードとして、間違った判断ではない。
だからといって、説明しなくていいわけではない。
レビューは短く終わった。
問題が小さかったからではない。
見る記録、担当者、外部レビューへ戻さない扱い。
議題がその三つだけなら、レビューは終わる。
契約とアゼルの名前だけが、レビューの外で僕に残った。
牧野は、僕が確認対象に入れなかったものに気づいている。
気づいていて、今は聞かないでいてくれた。
ここで全部を聞かれたら、僕は仕事を続けられなくなる。
聞かれなければ、僕は自分から言うタイミングを選べる。
あとで言う、と自分に言い訳もできる。
だから牧野は、今日動かす分を先に片づけた。
聞くべきことは、僕が話せるところまで残してくれた。
気を遣われていた。
それなのに、息は抜けなかった。
牧野が仕事を進めてくれるほど、僕は話さないまま午後へ進めてしまう。
今聞かれたら、答えられない。
聞かれなければ、黙ったまま進めてしまう。




