↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪魔はAIのフリをしている  作者: Sig
第2章 契約者顕在化編
105/106

第20話 契約者補正の発覚(二)

 現在時刻は十五時十二分。

 神代に残された時間は、一時間四十八分だった。


     ◇


 神代が提案を断っても、妹の標準診療は止まらない。


 次年度も神経計測を使う研究枠を維持し、専任スタッフを付ける。

 その費用を医療財団が負担する。

 代わりに神代は、睡眠と覚醒の境界をまたぐ、九十六時間の連続神経計測へ参加する。

 眠らずにいることを求める試験ではない。

 脳波、眼球運動、微小筋電を四日間記録し、定時に認知課題を行う。脈拍と血圧の推移も測る。


 財団は、過去の徹夜後も神代の脈拍、血圧、認知課題成績が崩れなかったことを、参加適性の根拠にしていた。


「眠れていないのに、眠らなくても動ける人間として選ばれた」


 神代はVEIL越しに言った。


 このところ、眠ろうと目を閉じても、意識が途切れない。

 目を閉じた暗がりに、妹の病室で聞いた機器音が戻り、ネルガの投影が浮かぶ。

 夢ではないと分かっている。それでも朝になると、何を思い出し、何をその夜に見たのか切り分けられなかった。


「財団には、その症状を伝えましたか」


 玲央が聞いた。


「伝えました。だから計測価値がある、と返されました」


 数値が安定していることは、苦痛がないことを意味しない。

 認知課題を完了できることは、九十六時間の計測が安全だという判定でもない。


 神代の背後に、ネルガの投影が立った。


「耐えられる」


 それだけを告げた。


「耐えられるかどうかを聞いていない」


 神代は振り向かなかった。


「妹の治療の選択肢を残すために、私が同意すべきかを聞いている」


 ネルガは、神代の背後で輪郭一つ揺らさなかった。

 耐えられるという言葉に嘘はない。

 耐えられることと、引き受けるべきことの間は、埋まらなかった。


 十六時四十分、財団から確認が入った。


[医療財団]

 本提案は一体的な研究計画です。治療研究費のみを分離して受諾することはできません。


 神代は同意欄を開いた。

 妹の識別番号と、自分の識別番号が、同じ承諾ボタンの上に並んでいる。


「断れば、妹の可能性を私が狭めます」


「はい」


 玲央は、同意欄に並ぶ二つの識別番号から目をそらさなかった。

 その欄の先にある妹の可能性を、「研究枠」の一語へ縮めることはできなかった。


「それでも、妹さんの診療継続と、神代さんの身体同意は別です」


「別にできない契約を、別だと思って断るしかない」


 神代は十六時五十八分に拒否を送った。


 十七時を過ぎると、管理画面から神経計測研究枠が消えた。

 専任スタッフの配置は解除され、次年度研究費の欄が灰色になった。

 標準診療は残った。

 失ったものが治療そのものではないからこそ、神代は失った可能性を数え続けた。


 それでも、その日の認知課題成績は正常範囲を外れなかった。

 眠れなかった人間の苦痛だけが、成績には現れなかった。


     ◇


 エリカから届いた映像には、建物前の黒い搬送車が映っていた。


「もう来てる」


 彼女はスマートフォンを窓から離した。


 次世代クライミング義手の独占試験。

 動力義手の装備認証費用。

 復帰選考会と、認証済み招待大会への推薦。


 勝利も、公式大会への出場も、企業が保証するわけではない。

 だが、エリカが競技へ戻るために欠けていた条件を、ほとんど全部そろえていた。


 条件欄には、義体本体、装着者、試験会場、停止担当を、事業者が一括管理するとあった。

 移送中はスマートフォンを預け、外部との通信は遮断される。


 存在しない右手の指先に、ざらついた岩の感触が戻った。

 親指で縁を探し、人差し指へ重心を移す感覚。

 実際の右手はなく、接続前の義手は作業台に置かれている。


 エリカは幻の指を握ろうとして、左手だけを閉じた。


「停止担当を私が選ぶ。搬送にも同乗させる」


 企業の担当者は、スマートフォンの画面で首を振った。


「試験機の機密を扱うため、当社認定者に限ります」


「私が止めろと言った時、誰が止める」


「安全管理責任者です」


「名前は」


「会場到着後に開示します」


「会場は」


「機密保持同意後に開示します」


 移送先は、同意するまで分からない。

 身体につながった機械を止める人は、会場へ着くまで分からない。


[VEIL/注意喚起]

 スマートフォンを預けるなら、その間の連絡方法を確保すること。


 同じ文面が、エリカの画面にも残っていた。

 エリカは、企業とのビデオ通話を保留にした。


 グラシャの像が、作業台の向こうに現れた。


「乗れば、失った速度を取り戻せる」


「分かってる」


「あの壁を、前より速く登れる」


「それも分かってる」


 グラシャは嘘をついていない。

 速度を取り戻せる可能性はあった。

 前より速く動く義手を、誰がどこで止められるのかだけは、言わなかった。


 エリカはビデオ通話を戻し、企業の参加回答欄へ一行を入力した。


[参加回答/エリカ]

 停止担当と移送先を私が選べない試験には参加しない。


 搬送車は、建物前で待機を続けていた。

 送信を確認した担当者が、ビデオ通話の画面で、辞退すれば認証費用と推薦も得られないと念を押した。


「承知している」


「今回を辞退した場合、次回選考の優先枠は失効します」


「承知している」


 十六分後、搬送車は出発した。

 エリカを乗せずに。


 作業台には、試験機より遅い通常制御の右義手が残った。

 エリカは自分で接続し、動作確認を終えると、床の工具箱へ指を掛けた。


 右手の反応が半拍遅れ、箱が傾いた。

 そばにいた整備士が腕を伸ばしかける。


「待って。自分でやる」


 エリカは箱を床へ戻し、握り直した。

 二度目は、遅い反応に合わせて左手を添えた。


 工具箱は上がった。

 速くはなかった。

 整備士の手は、最後まで工具箱に触れなかった。


     ◇


 ラーフルとのVEIL通話で、投資会社の提案書が共有されていた。

 前回の独占契約案を出し直したものだった。


 投資会社が欲しいのは、MBRA-1が作る四十八案そのものではない。

 ラーフルが前回使った方法で、注文期限までに四案へ絞った結果だった。

 その選別をオロバスが行っていることを、会社は知らない。

 ラーフルがいれば四案が間に合い、外せば代替できないと把握しているだけだった。


 今回は、長時間の注文処理後も脈拍が一定だった記録を、連続予測を任せられる根拠に加えていた。


 投資会社が引き受けるものは、前回より増えていた。


 前回撤回された、小口口座への補填準備金。

 採用案の実行後、損失が契約基準を超えた場合の補填枠。

 選別結果を理由に、ラーフル個人へ損失責任を求めない条項。

 選別結果を巡る規制対応。


 凍結された市場分岐研究の資金。

 高精度計算設備の利用権。

 技術責任者への復帰審査。


 契約が成立すれば、被害を受けた口座への補填が動く。

 次の危機で基準を超える損失が出ても、補填と規制対応は投資会社が引き受ける。

 ラーフルは研究環境を取り戻し、技術責任者への復帰審査も受けられる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。