第20話 契約者補正の発覚(一)
三件の提案書は、どれも人間を機械のように褒めていた。
[医療財団/神経計測研究提案]
睡眠不足下においても循環動態および認知課題成績の変動が小さく、長時間計測への継続稼働可能性が認められる。
[義体メーカー/独占試験提案]
高負荷試験後の筋疲労回復が早く、次世代義手の連続評価に必要な継続稼働可能性が認められる。
[投資会社/危機時予測提案]
長時間の緊張下でも心拍変動が安定し、連続判断業務への継続稼働可能性が認められる。
どの提案書にも、契約者という語はなかった。
悪魔も、魔術も、国家案件番号も記されていない。
書式も、本文の言語も、送り主も違っていた。
それでも、三嶋玲央が目を止めた語は、三件とも同じだった。
「継続稼働可能性」
自動翻訳が同じ訳を当てたのではない。その語だけが、三件の原文に同じ綴りで記されていた。
提案書は、医療財団から神代へ、義体メーカーからエリカへ、投資会社からラーフルへ届いていた。
三人からVEILで共有された写しがそろった夜、牧野沙耶は三通を照合した。
「三件が届いたのは?」
「同じ週です」
「適性の根拠になった記録は?」
神代は研究論文と妹の治療継続申請。
エリカは中止された義体性能試験。
ラーフルは公開市場の注文時刻と、前回案件後の復帰記録。
「記録が残った時期も、管理していた組織も別です」
橘真澄が三件の送信日と、適性欄を見比べた。
「時期の違う記録が、同じ週に、同じ言葉で提案へ変わった」
「三組織がそれぞれの記録から選んだにしては、符丁が合いすぎている。組織同士に、つながりは?」
玲央が聞いた。
「確認できる資本関係、共同事業、共通の委託先はありません」
「ないと言い切れる?」
「いいえ。候補選定を外部へ委ねたかどうかは、三件とも開示していません」
橘は、三件の送り主へ視線を戻した。
「同じ依頼者が三組織を動かしたのか。それとも、三組織が同じ外部評価を参照したのか」
「そこまでは追えていません」
玲央は、三件の「継続稼働可能性」を一つずつ閉じた。
「選定に使った記録が別でも、三組織が同じ週に同じ語を使った理由は説明できない」
橘の視線が、机の端に開かれた会話欄へ移った。
火曜便。
キリエが最後に送った確認は、送信済みのまま既読へ変わっていなかった。
事故記録の照合で回復の早さに気づかれ、追加検査と転院を求められたあと、返信がなくなった人。
神代、エリカ、ラーフルは、届いた提案にはまだ返答していなかった。
玲央は、返答を決める前に読んでほしいと伝え、三人それぞれとのVEIL会話へ警告文を送った。
文面は、キリエが火曜便の経験から作ったものだった。
[VEIL/注意喚起]
けがや体調不良から、以前より早く回復するようになった人へ。
その回復を理由に検査や移送を求められた時は、一人で決めず、行き先と予定を信頼できる人へ知らせること。
スマートフォンを預けるなら、その間の連絡方法を確保すること。
既読は、三つともすぐについた。
提案の採否を指示する文面ではない。玲央は返事を求めなかった。
三組織のつながりとは別に、三人の安定した身体値が契約によるものかも確かめる必要があった。
その夜から翌日の昼までに、玲央はアゼルへ、橘はウァラクへ、キリエはベリスへ、それぞれ確認を取った。
確かめたのは、契約が個別命令の実行とは別に、人間の身体へ作用し続けるのか、という点だった。
◇
玲央がアゼルへ尋ねたのは、夜明け前の自室だった。
壁際に立つアゼルの像は、照明を落としても輪郭を失わない。
玲央は神代たちの記録を閉じた。
数値の照合からではなく、契約そのものの仕組みから聞いた。
「契約している人の身体を、悪魔の力が守ることはあるのか?」
「守る、という言葉は広すぎるわ」
アゼルは、二人の間の何もない空間を指した。
「契約が続いているあいだは、接点を失わないための小さな力が流れ続ける」
「命令を受けるたびに送っているわけではないし、人間の中へ魔力を貯めているわけでもない」
「命令とは別に流れる分は、何と呼んでいる? 基礎流量とかか?」
「そう呼ぶなら、それでいいわ。人間の身体を通れば、崩れた状態から戻りやすくなることがある」
「誰を守るため?」
「接点を保つためよ」
契約者本人のため、とは言わなかった。
「この三人の数値も、それが原因だと思う?」
「あり得るわ。でも、基礎流量だけが原因とは言えない」
アゼルは、二人の間を指していた手を下ろした。
「戻りやすくても、眠らなくてよくなるわけでも、壊れなくなるわけでもない」
◇
橘がウァラクへ尋ねたのは、行政棟の無人会議室だった。
「私が許可していない時も、契約は身体へ作用していますか」
「個別命令の実行ではありません」
ウァラクは、質問を規程の条文へ置き換えるように答えた。
「契約を実行可能な状態に保つ基礎維持です。契約中は続き、失効すれば止まるものと分類されます」
「契約書に書いていない作用でも?」
「禁止されていません」
「禁止されていないことと、説明を受けたことは同じではありません」
ウァラクは、返答までに一拍置いた。
「同じではありません」
橘は、それで本人の身体同意まで得たことにはしなかった。
◇
キリエのスマートフォンに現れたベリスは、黒いスーツの襟を指で直していた。
灰色の髪と耳元の金具ははっきり見えるのに、視線を外すと形の細部だけが思い出せなくなる。
「知っていたの」
「何をでしょう」
「契約が、人間の身体を戻りやすくしていることを」
「知っていました」
キリエは机へ手をついた。
「なぜ言わなかった」
「聞かれなかったからです」
キリエは、机に手をついたまま息を吐いた。
「知らないうちに、あなたに守られていたということなのね」
「『守られていた』と呼ぶには、問いが一つ抜けています」
ベリスの指が、襟元で止まった。
「この作用は、誰のためにあるのか、と」
「人間のためではないの」
「人間が死ねば契約は続きません。生きていることは、双方の利益になり得ます」
「答えになっていない」
「はい。誰の利益を優先する作用か、私は答えていません」
ベリスは嘘をつかなかった。
問いから抜けた場所だけを示して、そこを埋めなかった。
◇
玲央、橘、キリエは、それぞれの契約相手から得た答えを互いに伝えた。
アゼルは、接点を保つ力だと答えた。
ウァラクは、契約を実行可能に保つ維持処理だと分類した。
ベリスは、誰の利益を優先するか答えなかった。
三つの答えが重なったのは、契約中は個別命令がなくても、身体への作用が続くという一点だけだった。
玲央は、アゼルとの会話で使った基礎流量という語を、その作用の仮称にした。
基礎流量が、三人の数値へどこまで影響しているかは確認できなかった。
睡眠不足でも、神代の検査値は崩れない。
高負荷試験後も、エリカの筋疲労は早く回復する。
長時間の緊張下でも、ラーフルの脈拍は乱れない。
同じ作用が別々の形で現れたのか、作用の強さに個人差があるのかも分からない。
玲央は非共有のメモへ、現象全体を指す別の仮称を入力した。
[私的仮称/契約者補正]
公的な分類欄には移さなかった。
その時、神代から二通目の連絡が届いた。
[VEIL/神代]
回答期限は本日十七時です。
妹の次年度の神経計測研究枠を継続する条件として、
私自身の九十六時間の連続神経計測への同意を求められています。




