第20話 契約者補正の発覚(三)
会社は、選別を直すのではなく、損失が出た後の責任を引き受けようとしていた。
代わりに、次の危機から四案を投資会社へ独占的に渡す。
四案を選ぶ基準はオロバスの中にあり、人間には確認も修正もできない。
代わりの方法が完成する前から、その選別を使い続ける条件だった。
残る四十四案は企業秘密となり、別の案なら誰の負担がどう変わったかも外部へ明かせない。
「前回より、会社が引き受けるものは増えている」
玲央が言った。
「はい。基準を超えた損失は補填し、僕個人に責任も求めません」
「前回断った理由は?」
「変わっていません。直せない選別を、次の危機からも使い続ける契約です」
ラーフルは、画面の秘密保持条項を拡大した。
「脈拍が一定だった夜も、何も感じなかったわけではありません」
ラーフルは自分の手首へ触れた。
「枝を見た翌朝だけ、正しい案が選ばれても、間違った案が選ばれても、感情がついてこない」
その告白さえ、いつもの穏やかな声だった。
「安心したふりも、悔しがるふりもできます。でも、実際には、どちらもかすかにしか感じません」
一定の脈拍は、恐怖がない証拠ではない。
判断を続けられることは、判断を続けさせてよいという許可でもない。
ラーフルは提案書の共有を閉じ、玲央とのVEIL通話を終えた。
端末の横に、オロバスの透明な投影が立った。
「受ければ、前回強制決済された口座への補填が動きます。次の危機でも、泣く人数を減らせる可能性があります」
ラーフルは返事をせず、前回、四案から外されていた介入案を開いた。
[前回非表示案]
影響を受ける口座:増
住宅費・治療費を失う口座:減
その上へ、今回の秘密保持条項を重ねた。
[秘密保持期間]
契約終了後も有効
オロバスの指先で、透明な枝線が一本閉じた。
「あなたは、泣く人数を減らすよう求めました」
前回と同じ答えだった。
どの案を見せないかは、オロバスが決める。
見せなかった案は、会社が隠す。
推奨書には、ラーフルの署名だけが残る。
ラーフルは、閉じた枝線ではなく、画面に残した二つの行を見た。
「全部を選択肢へ戻せとは言いません。外した理由と、誰へ負担を移したかは残す。
それを隠す契約なら、四案は渡せません」
オロバスは反論しなかった。
契約によって補填を受ける人も、次の危機で救われる人もいる。
それでもラーフルは、その利益と引き換えに、外した理由を明かす権利まで手放すつもりはなかった。
ラーフルは提案書に記された連絡先を開き、同じ条件を投資会社の担当者へ伝えた。
投資会社の担当者は答えた。
「基準を超えた損失は補填し、規制対応も当社が引き受けます。
四案の継続提供と、残る四十四案の秘密保持は一体条件です」
ラーフルは署名欄を閉じた。
「なら、受けません」
前回の合意不成立後も、サーバの閲覧権だけは異議申立てのために残されていた。
その権限が、その夜零時に失効した。
過去の出力一覧は灰色になり、技術責任者の表示は戻らなかった。
午前零時一分。
ラーフルの脈拍は、端末の健康表示上、正常範囲内だった。
◇
三人が提案を拒否した翌日、国家AI安全保障統括官は中央保護区画への任意移送を提案した。
会議室の中央に、空室数と医療設備、通信分離、法務担当の配置表が示された。
監禁計画ではない。
本人の同意を得て居所を把握し、外部の提案者が先に接触することを防ぐ保護案だった。
「火曜便には間に合わなかった」
統括官は言った。
「国内の三人まで、火曜便と同じ目に遭わせるわけにはいきません。所在が分かれば、次は救助できます」
橘は配置表を見た。
医療も、義体整備も、通信もある。
三人が失ったものの一部を、公費で補える可能性もあった。
「受け入れ条件は」
「共通の保護対象として登録すること。緊急時に位置情報を取得できること。外部移動は事前申告です」
「三人を共通の何として登録しますか」
「だから、分類名が要る」
玲央は公的記録の新規分類欄を開いた。
契約者補正。
そこまで入力して、指を止めた。
名前を付ければ、三人を守る根拠になる。
同時に、医療記録、義体試験、市場記録を横断して、壊れにくい人間を探すための検索語になる。
個別命令とは別に、身体へ作用し続けるものがあることは確認できた。
だが、三件の身体値との個別因果は確認できていない。
良好な検査値を、保護適性にも、危険業務適性にも変えてはいけない。
玲央は入力した五文字を消した。
「登録しません」
「では、何を根拠に保護する」
「三人を、一つの分類では保護しません」
玲央は三つの回答案を開いた。
神代には、妹の標準診療と本人の神経計測同意を切り分ける医療法務窓口を残す。
エリカには、停止担当の指名権と、移送先が事前開示されない場合の拒否権を記した試験条件書を残す。
ラーフルには、非採用案を本人の選択で開示できる独立保管先を残す。
「その三案では、保護区画ほど強く守れない」
統括官が言った。
「居所を預からなければ、外部より先に動けません」
「三人を一か所へ集めれば、提案を送った組織のどれかにその場所を知られた時、全員を失います」
「保護区画の外で、企業側が追加検査や移送を先に進めた時、責任を取れるのか」
「取れません」
玲央は答えた。
「中央へ集めて、その場所を提案元に知られた時も、取れません」
玲央は三つの回答案を伏せなかった。
「だから、本人が失いたくないものを、それぞれの手元に残します」
統括官は賛成しなかった。
それでも、任意移送を強制へ変えなかった。
◇
その夜、玲央は三人が失ったものを一件ずつ記録した。
神代の神経計測研究枠。
エリカの装備認証費用と復帰選考支援。
ラーフルの設備閲覧権。
キリエが火曜便へ送った確認は、送信済みのまま既読へ変わっていなかった。
三人は拒否できた。
火曜便には、その機会が残っているかどうかも分からない。
拒否のあとも、神代の認知課題成績は崩れなかった。
エリカの筋疲労は早く戻った。
ラーフルの心拍変動は正常範囲を外れなかった。
良好な値は、身体が健康になった証拠ではない。
少なくとも、三人の苦痛を消す記録ではなかった。
眠れないこと。
存在しない指が岩を覚えていること。
未来枝を見た翌朝だけ、安堵も悔しさもかすかにしか感じられないこと。
三つの提案書が「継続稼働可能性」と呼んだのは、三人がそれぞれの苦痛を抱えたまま動けてしまうことだった。




