第19話 各国の異常ログ(一)
それから、季節が巡った。
VEILには、利用者全体をたどれる一覧はなかった。
双方が承認した相手とだけ、一対一の会話が開く。
Quanta Veilにも、利用者の本名と所在地を束ねた台帳はなかった。
早乙女キリエがVEILを開いた。
キリエと相手は、会ったことがない。
接続を取り次いだのは、キリエがすでにVEILで話していた一人だった。
その人も、相手とはVEILで話しただけだった。
取次者は、相手から、異常に早い回復と、勤務先に知られた時の不安を聞いていた。
相手は、同じ身体の変化を持つ人へ警告を渡せる相手を探していた。
取次者は、キリエならその警告を必要な人へ渡せると考えた。
双方の意思を確かめたうえで、一度限りの接続コードを渡した。
取次者も、相手の本名と勤務先は知らなかった。
[VEIL/キリエ端末・受信]
けがをしても、体調を崩しても、以前より早く元に戻ります。勤務先に知られれば、働ける身体として利用されるかもしれません。
あなたなら、同じ変化を持つ人へ警告を渡せると聞きました。変化がない週も、火曜日には連絡します。連絡が止まったら、私に何か起きたと考えてください。
[VEIL/キリエ端末・送信]
連絡が止まれば、そのこと自体は分かります。ただし、私はあなたの身元を確認できません。居場所を共有しない限り、何か起きても捜しに行けません。
[VEIL/キリエ端末・受信]
承知しています。それでも、今は名前も居場所も伝えません。勤務先に知られるのが怖いんです。
何か起きた時は、分かった経緯だけ送ります。同じ変化を持つ人へ伝えてください。
キリエは、相手の話を事実だと認めたわけではない。
コードを承認しても、開くのは相手との会話一つだけだった。相手には、ほかの会話も端末内の情報も見えない。
身元を確かめられないあいだ、キリエは定期連絡と必要な警告だけをやり取りすることにした。
ほかの利用者や調査の情報は書かなかった。
相手が接続時に設定した表示名は、本名ではなかった。
キリエは、その会話を自分の端末で「火曜便」と呼んでいた。
毎週、火曜日の決まった時刻に、短いメッセージが一通届いた。
相手は、自分の時刻帯も居場所も明かしていなかった。
ある春の火曜日。
[VEIL/キリエ端末・受信]
今週も大きな変化はありません。
短いメッセージが、いつもの会話欄に加わった。
相手は身元も勤務先も書かなかった。
夏の終わりにも、短いメッセージが加わった。
[VEIL/キリエ端末・受信]
体調も、周囲の扱いも変わりません。
葉が落ちる頃にも。
[VEIL/キリエ端末・受信]
こちらは変わりありません。
年が変わっても。
[VEIL/キリエ端末・受信]
今週も連絡できます。
言い回しは少しずつ違った。
短い報告で相手が伝えたのは、まだ連絡できることや、身体と周囲の変化の有無だけだった。
その短い報告が積み重なり、一年が過ぎた。
◇
次の火曜日。
決まった時刻を過ぎても、火曜便から新しいメッセージは届かなかった。
キリエは、会話欄へ確認を送った。
[VEIL/キリエ端末・送信]
今週の連絡が届いていません。返信できますか。
送信済みの表示は出た。
だが、既読には変わらず、相手のオンライン状態も更新されなかった。
キリエが知っているのは、これまで相手から届いたメッセージに書かれていたことだけだった。
国も、施設名も、現在地も、共有されたことはない。
表示名と会話の内容だけでは、相手の本名も捜索先も特定できなかった。
数時間後、確認への返信はないまま、長いメッセージが届いた。
[VEIL/キリエ端末・受信]
連絡できなくなる前に、経緯を残します。
物流施設の冷凍設備から冷却用ガスが漏れた日、私は危険区画へ戻り、倒れていた同僚三人を連れ出しました。私を含む四人全員が危険区画の外へ出ました。
VEILから見つかったのではありません。
◇
玲央は、シリコンバレーにいるキリエを交えた四人だけのビデオ会議で、彼女が共有した長文を読んだ。
画面に映されたのは、キリエが「火曜便」と呼ぶ相手が共有を許した部分だけだった。
牧野と橘も、同じ画面を見ていた。
[VEIL/キリエ共有画面・受信文]
私が助けた人たちの記録から、見つかりました。
添付された三つの断片は、事故と転院についての説明と一致していた。
事故の発生から、四人が危険区画を出るまでの相対時間。
救出された人数、三人。
識別欄の消えた、追加検査と転院の同意画面。
添付にも、捜索先へつながる固有情報は残っていなかった。
国名や施設名、絶対時刻はなく、画像の付属情報も残っていなかった。
キリエは、会話の接続鍵と経路監査を開いた。
「接続鍵に変更はありません。分散経路にも、改変や不正な復元の痕跡はありません」
「通信は破られていない」
玲央はそう言い、監査結果の画面から既読のつかない確認メッセージへ目を移した。
通信が守られていることと、会話相手の居場所を知ることは別だった。
牧野は、同意画面に残った四項目を読んだ。
[転院同意画面/識別欄削除済み]
検査目的:漏れたガスを吸った可能性があるため、経過を観察する。
搬送先は事業者指定。
同乗者の本人指定不可。
スマートフォンは検査区画へ持ち込めないため、搬送前に預ける。
「少なくとも、画面だけを見れば正規の検査と転院です」
牧野は、本人が搬送先も同乗者も選べない二行を指でなぞった。
同じ受信文の続きが表示された。
[VEIL/キリエ共有画面・受信文]
私が危険区画へ戻った記録は、三人が取り残され、私が連れ出したことの証拠でもあります。
三人が治療費と休業中の補償を受けるため、事故記録が照合されました。
その照合を担当した会社に、私だけ回復が早すぎると気づかれました。
最初は、七十二時間の追加検査だと説明されました。
けれど、検査の数値が安定しないとして、入院は何度も延長されました。
今度は、別の施設へ移るよう求められています。移れば、スマートフォンを預けることになります。




