第18話 未来枝の市場(二)
オロバスは嘘をつかず、願いに含まれなかった条件を補わない。
独占契約も同じだった。
補填、規制対応、研究継続は本当に得られる。
その代わり、表示されなかった案まで「最善手を作る過程」の企業秘密となる。
オロバスが言った。
「契約を受ければ、次の危機で救える人数が増える可能性があります。
あなたは、最悪を避ける四案を供給し続けられます」
ラーフルが言った。
「救える人数は増える。でも、案を選ぶ人には、あなたが残した四案しか見えない」
「比較できる数まで減らします」
「どこまで見せれば足りるかを、誰が決める?」
「私です」
◇
玲央は、原案を受け入れるべきだとも、修正を求めるべきだとも言わなかった。
比較表の四十八案へ目を落とし、玲央が言った。
「確認だけします」
「MBRA-1が期限内に作れるのは、四十八案までです。
その中から実行に回せる四案を選べるのは、オロバスだけなんですね」
「はい」
「契約すれば、その選別で得た四案を独占先へ継続して提供する」
「はい」
「断れば、補填も、研究資金も、今の職位も失う」
ラーフルは言った。
「問題は、失うものだけではありません。
四十八案までは、MBRA-1を再実行すれば作り直せます。
でも四案を選べるのはオロバスだけで、僕にはその基準を変えられない。
契約を受ければ、その基準で選ばれた四案を次の危機からも供給すると約束することになります」
断れば、補填と研究を失う。
受ければ、基準を直せない選別を今後も使う。
どちらを選んでも、損失は消えない。
牧野が尋ねた。
「オロバスに頼らず、注文期限までに四案へ絞れますか」
「できません。MBRA-1で四十八案までは作れますが、そこから四案へ絞る時間が足りません」
オロバスが言った。
「だから、私が選びます」
アゼルが尋ねた。
「これからも?」
「ラーフルが必要とする限り」
「選び続けることが、ラーフルを助けることだと思っているのね」
「はい」
ラーフルが言った。
「あなたが選び続けるほど、僕たちはあなたなしでは決められなくなる」
「私がいれば、決められます」
オロバスの背後で、枝分かれした弧がわずかに閉じた。
「私を使わなければ、次の危機で救えない人が増える可能性があります」
「分かっています」
「それでも、私を使わないのですか」
ラーフルは、閉じた枝線から目をそらさなかった。
「これまであなたの選別を使ってきたことと、これからも使い続けると契約することは違います。
必要だからこそ、選び方を直せないまま、市場をあなた一人に預ける約束はできません」
ラーフルが共有を閉じると、オロバスの像と透明な投影面が消えた。
◇
玲央と牧野との面談を終えたあと、ラーフルは投資会社の最終判断会議へ出席した。
玲央と牧野は同行しなかった。
公式評価は終わっており、個人の契約判断に立ち会う権限もない。
後にラーフルが共有したのは、会社名を伏せた会議記録だけだった。
投資会社が独占を求める理由も、そこには残されていた。
担当者が切り出した。
「当社が求めているのは、四十八案を計算する設備ではありません。
次の危機から、注文期限までに四案を独占的に受け取れる契約です」
同じ入力と計算資源があれば、四十八案までの計算はやり直せる。
だが、そこから注文期限までに四案へ絞れるのは、現在使っている選別だけだった。
「ほかの方法では代替できないからこそ、独占する価値がある。
当社は、その継続提供を条件に補填と研究費を負担する。双方に利益がある契約です」
代替できない能力を囲い込み、危機ごとに四案を得る。
投資会社にとっては、利益だった。
ラーフルは言った。
「条件を分けてください。
別の方法で四案まで絞れるまでは研究契約にする。
継続提供は、その方法ができてから始める」
「これまでも、その選別で四案を出してきた。なぜ続けられない?」
「前日は、生活を失う人を減らせる案が、影響を受ける人数が増えるという理由で外れました。
計算の誤りではなく、選別基準の問題です」
「なら、基準を直せばいい」
「直せません。選別部分は、僕たちが書き換えられるモデルではない。
基準を変更する手段もありません」
「それでも、注文期限までに四案は出せる」
「出せます。直せない問題を抱えたまま使える。だから、継続は約束できません」
「当社が負担する補填と規制対応は、次の危機から四案を独占的に受け取る対価です。
別の方法は、研究費で並行して開発すればいい」
「契約しなければ、次の危機では四十八案を前に注文期限を迎えるかもしれない」
「その可能性はあります」
「代わりがない今だから、契約する価値がある」
「代わりがない今は、契約できません」
担当者は、契約書の補填条件を開いた。
「合意しなければ、補填準備金と研究費は拠出できません。
規制対応も引き受けません」
「分かっています」
投資会社側も、原案を変更しなかった。
会議記録の結論欄に、`合意不成立`と残った。
◇
翌朝、投資会社は補填準備金の拠出を撤回した。
ラーフルはBMMの技術責任者を解任され、対外的な予測説明の担当からも外された。
二か月先まで予定されていた高精度計算も、一部が凍結された。
投資会社は、提案を取り下げた理由も公表した。
[投資会社/公表文]
四案の継続提供について合意できなかったため、補填準備金、規制対応、研究費を一体とする提案を取り下げた。
その一文に、虚偽はなかった。
市場関係者の評価は割れた。
直せない選別を、危機対応の標準にしなかったと評価する者もいた。
直せなくても四案を出せる唯一の方法を、次の危機の前に手放したと批判する者もいた。
研究資金も、職位も、予測者としての信用も、その後も戻らなかった。
◇
市場全体に介入案を推奨する立場は失った。
それでも、自分が見せられなかった案に気づくまでの経緯なら、一対一で話せる。
ラーフルは、玲央とのVEILへ短い条件を送った。
[VEIL/ラーフル]
僕と同じように、示された選択肢を信じて決めてよいのか迷う人が、僕の経験を聞きたいと望んだら、まず依頼があったことだけ知らせてください。
VEILにラーフルを`市場予測担当`として登録せず、相談者の名簿も作らない。
玲央が紹介者の身元を確かめ、まず依頼があることだけをラーフルへ伝える。
ラーフルが話すと決め、相談者本人も連絡先の共有に同意した時だけ、一本の経路を開く。
答えを渡す者ではなく、答えを委ねたことで何が見えなくなったのかを話す者になる。




